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ちぎり絵の迷路【ちぐはぐなかけらで描きたい人生をつくる方法とタイミング】

あの時は迷路しか思いつかなかった。

小学生の頃、図画工作の時間にちぎり絵をした。先生に指示された訳でもないのに「紙を適当にちぎった形に合わせてひとつの作品を完成させなければならない」と思い込んでいた。

大きさも形もばらばらの紙のかけらを眺めながら、作れそうなのは迷路だな、と思った。その頃、友達や兄とペンを使った迷路遊びを盛んにやっていた影響も強い。出来上がった作品が壁に貼られたとき「つまんない」と感じた。その周りにある自動車や果物や動物が「わかりやすい」形でいいなと思った。

時は流れイタリアで子育て真っ最中の時期に、息子達とちぎり絵をして遊んだ日のこと。黒い台紙に鮮やかな青い車、黄色いバナナ、赤いリンゴ、白いうさぎを作った。

小学生以来、やっていなかったちぎり絵で「迷路しか作れなくてつまんない」と思っていた自分に「〇〇をつくる」と意図すればちゃんとできるよ、と時空を超えて教えてあげた気分。ばらばらのパーツに合わせて絵を仕上げるのではなく、完成形に合わせて紙のかけらをちぎって絵を作っていく。

ちぐはぐなかけらを整えるのだ。
自分の意図する形に仕上げるために。

途中で飽きた息子達を半ば放ったらかしにして、私はちぎり絵を仕上げた。どこかに発表するためでもなく、工作指導の見本でもない。ただ作ろうと思い始めたことを終わらせた。小学生の頃に抱いたもやもやした感覚を一掃できて、すっきり満足した。

このエピソードから受け取ったメッセージは3つ。

① なにを作りたいか意図する。
  そうすれば必ずその形になる。

② 作りたい形にパーツを整える。
  そこにある素材を活かして活用する。

③ 夢中になって仕上げる。
  周りがやめても作りたいものを完成させる。

どんぴしゃりで人生にあてはまる。

ただし人それぞれに人生のタイミングがあるし、持っている資質も価値観も違う。「〇〇歳だから大丈夫」とか「もう遅い」っていうことは、ほとんどあてにならない虚言。他人の言葉は排泄物。質が良くて適量なら土壌を肥沃にするけれど、そうでなければ汚物まみれになってしまう。

これを書きながら思い出した。中学生の頃の立体表現の作品でも迷路を描いた。私の人生のテーマだった。遊具としての迷路も好き。あっちかな?こっちかな?と手探りで迷いながら進むことにわくわくするから。

年月を経て変わったことと言えば、迷路を上から眺める俯瞰視点。これを自由自在に扱えるようになり、楽になった。ドキドキのスリル感は和らぎ、穏やかな喜びが増えた。休憩しやすい地点がだいたいわかるし、選択肢の増える場所もなんとなく視える。焦らず急がす歩みを進めることができる。

もし、今の私があの頃のちぎり絵のつまらない迷路に手を加えるとしたら、花や動物や仲間をカラフルに描く。くねくねした道が華やかで楽し気になるように。

素敵な週末をお過ごしください。

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