新しいことや変化し続けることを言語化する必要性
今日はとある組織の対話会に出て「新しいことや変化し続けることを言語化する必要性はあるのか?」という問いを立てました。
言語化するというのは、誰かに説明をしたり、理解してもらうために必要なことだと思う。
でも生きている組織や変化変容し続けている組織って説明しづらいと思うんですよね。
言語化することで鮮度が落ちてしまうことも事実です。
一人一人の命を大切にしていると、それをひとまとめにできるような言葉なんてない。
最近思うのは外側の世界に合わせる必要は無いということ。
「あの人たちに我々の組織を理解して欲しい」という感情が湧き上がってきたときには私は自分にこう問いただす。
「理解してもらえる人に関わってもらえる組織でいいのでは?」
「その人たちにわざわざ説明する必要性は?」
そもそも形が明確で理解できる枠組みがない組織を信じられない人には、表面的に説明を取り繕ったところで内部に入ると曖昧なことだらけで理解できなかったりする。
わかりにくいことを理解してもらうことより、波長を感じて共感してくれる人たちと作り上げていけばいいのではないかと思う。
だからと言って何もしないのではなく、自分ができることは全てやる!
その上で理解してもらえないことはあきらめるということも大切だと思う。
縁がなかったのか、タイミングが今じゃなかったのか・・・
私が大切にしていることは今ここに集まっている命を大切にし、信じること。
この世に必要な組織だったら残っていくだろうし、不要であればいずれ消えるでしょう。
命(組織)の存続もコントロールできないと思っている。
信じる・委ねる・諦める(執着しない)・変容を受け止める
これからの新しい組織には必要なことだと思っています。
「人の振り見て我が振り直せ」ということで
私自身も自分のコミュニティーに照らし合わせていろいろ考えました。
6年の研究レポートという形で言語がしましたが、日が経てば経つほどまた内容も変わるんだろうなって思っています。
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