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パリ逍遥遊 ルルドへの旅

シャンパーニュ ドラピエを訪問し、テイスティングを開始する前に敬意を示した「聖ベルナール」は、カトリック教会の聖人の一人だ。https://note.com/mikihozon/n/na6f39125c38b

彼はシトー修道会に入り、クレルヴォー修道院の院長となり、シトー修道会において最も大きな影響力を持つようになっていく。ベルナールが奇跡を起こしたという噂が広まり、クレルヴォー修道院には、各地から病者や障害のある者がやってきて、奇跡的な治癒を願ったと言われている。


奇跡的な治癒を願って訪れる場所として、フランスにはルルドもある。こちらはルルドへの旅について、認めてみよう。

恩師である民主的教授が、10年ほど前、大腸がんを患い、5年生存確率5%と宣告された。手術後、私に「もう一人で十分やっていけるから、好きな道を行け!」といわれたと同時に、大学からも私の年齢からか、「これからは研究だけでなく、大学の色々な部署で大学全体のことをやってほしい」といわれ始めていた。このままでは研究からどんどん離れていかなければいけないのではという不安に駆られた私は、新天地を探す決意をした。幸運にも霞ヶ関に新天地を求めることができ、初めて生まれ故郷である岡山を離れることとなったのである。


生存確率5%と宣告された後、彼はフランスへと巡礼の旅に向かった。目指すはルルド。ルルドの泉の水、マリア様と十字架に止まった白鳩への祈りのお蔭か、彼は出術後10年経っても、ぴんぴんして、多くの著作を執筆している。ルルドでの出来事は彼の著書「魂のかけらーある物理学者の神秘体験」(春風社刊)に詳しく記載されている。さて、ルルドでの水と祈りに効果があったのか、その真偽の程を議論するつもりは全くない。合理性の極みである自然科学者が、物質を対象した研究でなく、精神を対象としたとき、自然科学の手法が使えないことを彼ほど十分に熟知している人はいないからだ。彼は精神と物質を一つのものとして捕らえようとしているのだ。この考え方は、彼が尊敬する偉大な物理学者エルヴィン・シュレディンガーの世界観と全く同じである。それはさておき、フランス滞在中に私もルルドを訪ねたいと思っていた。


ルルドは、私にとっても縁のある地だ。大学で禄を食んでいたころ、縁ある神父様から聖ベルナデッタの写真とカレル医師の『ルルドへの旅・祈り』という本を頂いた。この本を食い入るように読んだのを覚えている。そして写真はずっとわが机を飾っていた。いつかはルルドへの旅が、やっと実現した。パリモンパルナス駅の8番線を私の乗せたTGVが出発。


すでに感極まって涙があふれていた。民主的教授に手術後呼び出されたときのことが思い出されたからだ。そして電車に揺られながら、電車のたびは人生の旅に似ているかもしれないなとふと思った。線路はどこまでも続き、山を越え、谷をわたり、そして時には止まり、息をつく。まさに人生の流れそのものだと。そしてあきらめなければどこまでも連れて行ってくれる。そう、【あきらめなければ】。TGVはボルドーを過ぎ、ルルドに近づくとピレネー山脈を進行方向右手に進む。この山を越え、巡礼者たちはサンティアゴ・コンポステーラを目指す。6時間後、やっと小さな駅(Lourdes)にTGVが滑り込んだ。

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この地が、今から156年前、聖ベルナデッタがマリア様のお告げを聞いたところだ。今回、私はローマ教皇ベネディクト16世が提唱した順に巡礼することを決めていた。最初にベルナデッタが洗礼をうけた礼拝堂を訪れた。礼拝堂のステンドグラスには、聖ベルナデッタがマリア様からお告げを聞いているところが描かれている。

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次に「カショ」と呼ばれるベルナデッタの生家を訪ねる。質素な家の中にも信仰心と祈りが満ち溢れていた。

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カショを後にし、マリア様が現れたといわれるマサビルの洞窟を目指した。マサビルの洞窟こそが、マリア様のお告げを聞いた場所だ。お告げ通りに泉を掘ると、そこから水を湧き出す。その湧き出た水が奇跡的に病気を治癒させると言われている。

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洞窟にお参りをしようとする巡礼者たちの列が後を絶たない。私もその列に並び、巡礼者たちと一緒にゆっくりと進んだ。彼らはゆっくりとその洞窟の壁に願をかけながら進んでいく。その真摯で情熱的なまなざし。【願をかける】とは、真剣勝負なのだということを思い知る。


夜になると、ロウソクにぼんぼりをつけ、ロザリオ聖堂へと集まってくる。そしてアベマリアを唱いながら、ロウソクを高く掲げ、願をかける。マリアのお告げを聞いたベルナデッタは、自分がこの世で最も無知だったからだと語るが、無知だからではない、素直な心の持ち主だったからではないだろうか。素直な心で、信念を持ち、与えられた使命に挑戦し続けること、これこそが信仰、いや人生の生き方なのだと、ルルドの旅は教えてくれたようだ。

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そして、非常に美しい受胎告知を見ることができた。ルカの1章を読むとバブテスマのヨハネの父親であるゼカリヤとイエスの母親となるマリアの対応が対称的に記述されている。ゼガリアは天使のみを信じることができず、子供(バブテスマのヨハネ)が生まれるまで口がきけなくなる。しかし、マリアは、私は主のはしためです。お言葉どおりこの身になりますように、と信仰深い対応を取る。ルカの1章は宗教的な神秘ではなく、女性の信仰、生き方をしるしたものであり、素直な心と信念が必要ということを私は学んだのかもしれない。

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