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パリで暮らすこと

色んなことを書き始める前に、私にとってのパリでの暮らしを決意した理由のようなもの、そして現状について書き留めておく。6年も住むと、かなり色んなことが見えてくる。良いことも、良くないことも。

6年前に一人でこの街に越してきた時、私には既にパリのイメージが明るいだけのものではなかった。大学時代に研究していた、現実主義者のエリック・ロメールの映画にまず、惹かれた。キラキラしたパリを描く映画の見過ぎによってパリという街の間違ったイメージを植えつけられる寸前だった高校3年生の私には、彼の作品は非常に強い刺激でありショックであった。まるでハンディカムで人物の後を追って隠し撮りしているかのような手法で撮られた雑味の残る映像のリアルさ、飾らない俳優たちの飾らないおしゃべりなどによって映されるパリ。田舎から出てきた女の子をバカにする意地悪なカフェの従業員、マルシェでの財布泥棒と財布を盗まれた女の子がカフェで遭遇、永遠におしゃべりを続ける女の子たち。彼の作品の主題はまさにパリで日常に起きることの現実そのもの。このように説明をすると、一体良いんだか悪いんだか分からなくなってくるのだが、こんな風に正直に飾ることなく描かれていたロメールの映すパリにまず惚れてしまった。

そして、6年前に拠点をここに移す前に2度短期滞在をしていて、パリという街が、人々が一般的に持つ華美なものでは決してないということも分かっていた。道は汚く、路上で生活をしなくてはならない人は山程いて、フランス人が必ずおしゃれということもない。エッフェル塔も凱旋門も前を通過した程度で、旅行の目的はアパートでその辺の人にいる住民達のように生活をしながら、ロメールの映画で見ていた本物のパリという街を知るためであり、その経験はすごく自分のためになった。レストランで食事をする代わりにスーパーへ行き料理をし、ゴミの日には自分でゴミを出し、自分の世話は自分でした。ここで生活をしている人たちと同じ目線になりたかったのだ。そのおかげで、綺麗なものや素敵なものを見た思い出だけでなく、パリの本質を少しでも見つけることが出来た。思っていた通り、日本の過剰な演出の雑誌や番組で見るようなパリはほんの上部でしかなく、現実は甘くなかった。だけど私はそこに、自分だけのパリでの、フランスでの暮らしの良さを見つけた。日本のような集団主義ではなく、完璧な個人主義な民族ということを知ったからだ。だから人のことは関係なく、他と比べることをしない民族なのだ。私は、他者とひとまとめにされて「あるグループの一部」として見られることが嫌いだ。女だから、何歳だから、という理由で周りと天秤にかけられて比較されて、周りと違うからとあれこれ制限される必要はないと思うし、これによって自由が閉ざされている気がする。個人主義の定義を私の捉え方で見るとこんなもんだ。生きていく中でする必要なことは人それぞれ異なり基準はない、そして誰かと比べることは必要ないのだ。こんなことが当たり前のこの国で暮らしてみたいと思った。フランクな目で色々なことを見ても良い社会、良い国で。そんな国なんだから外国人の私一人くらいが増えたって、彼らには何の関係もないことなんだから、と、私もまた自由すぎる解釈でこの国に飛び込んだ。

社会性だけでなく、フランス語という言語にも惹かれていた。日本では外国語として中学校から英語を習い始めるが、フランス語は普通は習わない。これもまたロメールの映画での出会いであり、一気にフランス語のメロディーを奏でるかのような音に惹かれた。全く分からないけど、とても美しい言葉に思った。映画の中で見るフランス人達は口を尖らして、まるで文句があるかのような表情で話していた。表情だけで本当は文句を言っていたのではないと思うけれど、感情を映し出している言葉に思った。彼らは表情で物を言ってるようだ。内面になにかを押し隠すようなこともしないそんな話の仕方にも惹かれたのかもしれない。

全ての理由に自由という言葉が共通する。私は自由を求めてここに単身で飛び込んだのか? 長い期間をかけてお金も情報も準備してきたので覚悟は出来ていたんだろいが何のアテも確実さもなく、そうやって私は6年前にこの国にやってきた。やらないで後悔するよりやって後悔した方が良い、といつも信じている。6年後の今は何の後悔もしていない。現実に満足しているかと問われれば即答は出来ないが、これで全て正しいのだと思う。

実際、人生で一番、この6年間は濃密である。毎日が必死でものすごいスピードで過ぎて行った。今まで、生きている実感がこれほどあったことはまずなかった。25年間、私にとって当たり前であったことがここでは当たり前ではない。全ての常識をぶち壊されて、この国のそれに塗り替えられていく。まさに、郷では郷に従えなのだ。それが出来なければ苦しいだけで順応出来ず、だんだん弾かれていく。いくら努力しても全ての違いを受け入れることは出来ないが、そうしているふりをしていたのかもしれない。全てを肯定できなければ、自分がここまでしてやってきた意味までも否定することになってしまうと思っていたのか。歳を重ねて、余裕を持てるようになった今でこそ冷静に思えている。全てを受け入れることが出来なくても、そこにどのようにして自分を置き、どのようにこの国、社会と付き合い生きていくかが重要となるのかと思う。




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