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みきちゅ×大石蘭スペシャル対談〜ちゅside〜前編「こんなんでいいのか自分の人生!」

新EP『みーんな国宝だよ EP』サブスク解禁を記念して、「推しと人生トリップ」リリックビデオのイラストも手掛けてくださっている大石蘭さん(イラストレーター・ライター)によるロングインタビューをお届けします!

“元アイドルのシンガーソングライター兼音楽作家”として胸を張れるようになってきた今だからこそ、蘭ちゃんの優しい言葉に導かれて波乱万丈なアイドル時代のことも初めて深く話すことができました。

蘭ちゃんのnoteに掲載された、
活動ヒストリーを掘り下げるインタビューもぜひ合わせてお読みください!
みきちゅ×大石蘭スペシャル対談 前編 「みきちゅだけどみきちゅじゃない」って?
みきちゅ×大石蘭スペシャル対談 後編「女性版ヒャダインさんになりたい!」

異色なデビュー、そして活動休止を乗り越えて突き進んだ11年間

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左・みきちゅ/ 右・大石蘭

大石:今回インタビューをするにあたって、みきちゅの過去のインタビューも読んでいたんだけど、2015年の活動休止直前の記事が印象的で、あの頃のみきちゅはなんだか傷ついてる感じに見えました。

みきちゅ:そう…。「頑張るぞ!」と思って仙台から強い意志を持って上京したのに、半年ちょっとで活動休止することになってしまって、あのインタビューの時は蘭ちゃんがいうように傷ついていたと思います。
今日のインタビューでは、前向きにいろんなことを話せたら嬉しいな。

高校時代~アイドル時代ーー「作詞作曲するアイドル」って今までいなかった

大石:まず、活動を始める前の高校時代まで遡りたいんだけど、そのころアイドルは誰が好きだったの?

みきちゅ:AKB48さんとBerryz工房さんがすごく好きでした。
とくにAKB48は、仙台にいるときからバイト代つぎ込んでCDも箱で買って握手会に行って…。
アイドルが好きすぎて、自分も握手をする側になりたい、サイリウムを焚かれる側になりたい!と思うようになっていきました!

大石:そうだったんだ!仙台ではフリーで活動をはじめたんだよね。

みきちゅ:そうそう!もともとはバンド志望で、先輩が出てるライブハウスに通ってそこの店長さんと仲良くなって、高2の2009年からライブをやり始めた流れだから、事務所に入るっていう発想がなかったの。
結局バンドはコピーバンドばっかりで長続きしなかったので弾き語りがメインの活動になっていくんですけど、仙台で弾き語りやってもお客さんがいないし、対バンする人もいない、そもそも女の子ひとりで活動してる人がいないから畑がなくて、どうしたらたくさんの人に届くか考えながら活動してました。

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▲ライブデビューは2009年5月31日・弾き語り

大石:ファンの人たちもその頃からついてきてくれてたのかな?

みきちゅ:いや、ぜんぜん!バンド仲間が見に来てくれてただけです。
お互いのライブを見に行き合うって感じで、ファンって呼べる人はいなかったですね。
あ!でもひとりだけ、当時のホームページとかをいつも気にしてくださる方がいたんですけど、アイドルみたいなことを始めたタイミングで去っていっちゃって…今でも元気かなって考えます。

大石:じゃあ、アイドル活動を始めてからファンがついてきたって感じなんだね!
当時のみきちゅファンの人ってどういう層が多いのかな?

みきちゅ:ファンの人はみきちゅでアイドルを初めて知ったって人が多くて、趣味も年齢もバラバラだったんです。「たまたまYoutubeで曲を聴いたら良くて、えっアイドルなの!?と思った」とか、「通りかかったリリースイベントがガヤガヤしていて楽しそうだったから」って興味を持ってくれました。
いわゆる地下アイドルってファンの人が一体になってわーってやったりするんですけど、私は「アイドルシンガーソングライター」だったこともあって、ちょっと異色だったかも。私自身、バンドからきてるし…みきちゅって本当に不思議なバランスで成り立ってるなと改めて思う(笑)。だからかアイドルじゃなくなった今も応援してもらえてるのかもしれないな。
男女比的には男性の方が多いけど、ワンマンとかになると女の子も結構来てくれるのは自慢です!

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大石:オーディションとかは受けていたの?

みきちゅ:最初はAKB48のオーディションを受けてました!10期だったからみおりん(市川美織さん)が入ったところ。でも、最後の面談まで行けずに落ちてしまって。
AKBに入れないならアイドルになれない、くらいに思ってたんですよ。
だけど、弾き語りの活動に行き詰まった2011年に「閃光ライオット」っていうバンドのオーディションに、なぜか作詞作曲するアイドルとして出ることにして(笑)。

大石:閃光ライオットがアイドルのデビューのきっかけになるって、異色…!

みきちゅ:過去にギターの弾き語りで落ちて、ピアノの弾き語りでも落ちてきてたんだけど、アイドルを取り入れた瞬間「今までいなかったタイプの子が出てきた!」と取り上げてもらえたの!それでZeppでライブができて、自信がついて本格的に「アイドルシンガーソングライターみきちゅ」を始めた感じですね。
「SCHOOL OF LOCK!」(閃光ライオットを主催していたラジオ番組)のリスナーの人たちもすごく優しくて、「みきちゅ良かったよ」って言ってくれたのも励みになったので、私にとってすごく大事な出来事でした!

大石:その後の曲はどんなふうに世に出していたの?

みきちゅ:EMIのガールズオーディションを受けて、加茂啓太郎さん(現:フィロソフィーのダンスのプロデューサー)に出会ったことがきっかけで新人発掘のGreatHuntingに所属することになりました。そこで「恋愛パズル」と「I☆SSW」という2枚のシングルの発売をサポートしてもらいながらライブ活動をしていました。

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▲2012年・1stSingle「恋愛パズル」レコーディングの時

大石:なるほど!みきちゅのことを講談社のオーディション「ミスiD」で知った人も多い気がするんだけど、ミスiDを受けたのは、アイドルとしてしばらく活動してからだったのかな?

みきちゅ:ミスiDは、GreatHuntingでの育成契約が終わって完全にフリーになった2014年に受けたから、「アイドルシンガーソングライター」というのを確立できてきたころ!
CDも自分で流通にかけてたんですよ!いろんな会社に連絡とったり、リリイベやったりアグレッシブに活動してて。
口コミで広がってTV出演とかもさせてもらったりしてたんですけど、「Mステに出たい」とか「武道館でライブしたい」とかそういう規模の夢を抱いていたから、ライブハウスでずっと活動してても叶わないのかなって思って悩んでいたんです。
その頃にミスiDを知って、玉城ティナちゃんや蒼波純ちゃんもいるし、ミスiDに出たら有名になれるかもって思ってオーディションに参加しました。

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▲ミスiD最終選考でのカメラテスト。ワンピースはLIZ LISA。

大石:そうだったんだ!
ここまで我が道を突き進んでいたような印象を受けるけど、冒頭で話していた活動休止まではどんなことがあったの?

みきちゅ:フリーで一生懸命活動して、ファンの人たちとオリコン9位まで掴み取って充実していたんだけど、東京での活動と仙台での大学生活の両立が大変で、自分でやることの限界も感じていたんだよね…
それで事務所所属の流れになったんだけど、所属してすぐスタッフがどんどん辞めていって、新しく担当になった方がBiSのような「翻弄されるアイドル」みたいな構図を作りたかったみたいで…

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