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親子留学を決心した理由


次男は、小学校4年生の冬からタイのインターナショナルスクールに留学した。

それまで通っていた私立小学校に籍を置いたまま、留学のために一時退学という形を取っていた。

留学のきっかけは、彼が日本の学校生活において徐々に自信をなくしていたことだった。

次男は所謂、発達障害を持っている。根本的な要因はトゥレット症候群という脳の神経伝達異常で、チック症を伴う。5歳ころから発現し、成長とともに治まることを期待していたが、平行線のままだった。

トゥレット症候群には、注意欠陥や識字障害を伴う特性がある。加えてチック症状にも波があり、症状が強い期間は、生活を維持するだけでも簡単ではなかった。

学年が上がるにつれ、周囲との差が少しずつ顕著になり、工夫や努力をしても、なかなか目に見える結果を得られなかった次男は、みるみる自信を無くしていった。


他のプラスを伸ばそうとしても、やはり、数字で測る勉強の成績は子供にとって大きな指標になる。苦手だからと匙を投げることはもちろん良くないし、一方で、どんなに努力しても上達しないことを続けることが酷なのも事実。

多くの日本の学校は「基準」に達することを求める。当然、文科省の制定した学習指導要綱に準拠した内容を「習得」することが重視される教育である。

識字障害を持つ次男にとって、漢字の習得は容易ではなかった。
しかし「8割以上」を取れないと不合格という規則の下、何度も何度も追試を受ける。追試の前の日は不安で眠れないと訴える日もあった。
どんなに練習しても、8割が取れない。前回書けた文字が書けない。
放課後に残って受ける追試は、多い時は7回。それでも合格できず、苦しんだ。

「また追試ダメだった~ぼく、頭悪いからさ。また頑張るよ」と小さく笑う内側には、彼なりのプライドと親への配慮があったのだろう。私は、そんな次男を見ながら、時が解決してくれるのではという淡い期待を抱いていた。
しかし、ある日、彼のランドセルの中にあった追試用紙を見たとき、恐怖と後悔で、実が震える思いがしたのを覚えている。

追試用紙の最後に書かれたマジックペンの文字
「もうダメだ・・・先生、僕はバカでごめんなさい」
このままではダメだと思った。

この子は、自己肯定感を失いつつある。
漢字が書けないだけなのに、他には秀でていることもあるのに、
「基準」に満たないことが学校という社会では大きな足枷になることを思い知った。

全ては塩梅だし、そこで何とか踏ん張る道もあった。
ある意味、逃げだったのかもしれない。
でも、私は親として、彼の自己肯定感がつぶれてしまう事だけは避けたかった。

その年の夏休み、次男はタイ北部の町のインターナショナルスクールのキャンプに参加していた。本人は乗り気ではなかったが、夫と私で相談し、この学校で学ばせてみることにした。

当時の次男は、家族離れ離れで暮らすこと、自分が希望したわけではない留学+寮生活に、全力で抵抗。泣く、脱走する、閉じこもる。
「ママなんて大っ嫌いだ!!僕はこんなところに来たくなかった!」と泣き喚く次男を振り払ってタクシーに乗る時は、身を割かれる思いがした。

年齢が低い子供の留学は、本人の強い意志が必要なのかもしれないが、半ば親による強引な留学であった我が家も、結果的には上手くいった。

途中の道は、なかなか険しく厳しいものだった。何度も決心が揺らいで、帰国しようかと悩み、私自身もどれだけ泣いたことか分からない。それでも、今となっては貴重な経験だと思えるし、その時間があったからこそ、今の私たちがある。

親子留学は、親にも試練が多く、子どもはもちろんだけれど、私自身も大きく変わった。その辺りのことも、また別でお伝えしようと思います。



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