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吃音に苦しむ人たちの叫び

著者自らが吃音です。大学院卒業後、吃音のために就職をあきらめ、結婚直後に妻と海外に出て五年半を過ごします。現地から送ったルポなどが採用されて作家への道が開かれました。

マリリンモンローもアナーキストの大杉栄も吃音という悩みを抱えていました。著者はマリリンについてこう述べています。

「映像でわからないからといって彼女の悩みが小さかったとは決して言えない」

この言葉は胸に刺さると同時によくわかります。
続けて書いています。

「彼女の死はいまも謎に包まれているが、吃音がその要因の一つだった可能性もあるのではないかと私は思う。周囲にはわからずとも、吃音は本人にとって極めて大きな悩みとなりうるのだ。
なぜそう言い切れるのか。私自身がそうだったからだ」

死を考えるほど吃音に悩み、言語聴覚士となった人が本書に出てきます。彼の患者だった男性は吃音の症状は改善に向かっていたのですが、顎の病気のために治療を続けることができなくなりました。その男性は悩んだ末に死を選んだのです。

「彼が望んでいたのはきっと“普通に“話し、“普通に“名前が言えること、ただそれだけなんです。そんな極々ささやかな望みをかなえるために、一緒になってもがくのが、ぼくの仕事だと思っています」

三歳の頃から吃音が発症し、現在では小学二年の男児の母親は言います。

「私はこれまで勉強ができるとか、速く走れるとかポジティブな面しか評価できないところがありました。以前は他の子と比べてばかりでしたが、いまは苦労がある人、悩みがある人が世の中をいいところにしているんじゃないかとも思うのです」

著者も同様に長年に渡って吃音に悩まされてきた一方で、現在の自分を形成した重要な要素であると思い、話せることの意味や思いを伝えることのありがたさを実感できるようになったそうです。
私は槇原敬之の「五つの文字」の歌詞を思い出しました。

なんでも当たり前にみえる
心のメガネを外したら
今日という日は神様からの
素敵な贈り物と気づけたんだ
最後に付けた五つの文字を
僕はやっと書き直せたんだ
「あたりまえ」から「ありがとう」と

前述の言語聴覚士の元で訓練をしている男性がいます。彼は激しい吃音に悩み、17歳で高校を中退してマンションからの飛び降り自殺未遂を経験していました。
彼は好物の「アメリカンドッグ」という言葉が言えなくて10年以上買うことができませんでした。それが今では買えるようになり、訓練に行くときはいつもコンビニでアメリカンドッグを二つ買ってくることを自身に課しているそうです。
「二つ」というのは自分と、父子家庭である一人娘のためにです。

よく生きてくれた、と思わずにはいられません。

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