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かつては徳山藩館邸跡、周南市徳山動物園の歴史と今

こんにちは、周南市市民ライターのorangeです。山口県周南市には、60年以上前に開園した歴史ある動物園『周南市徳山動物園』があります。JR徳山駅からは徒歩約20分。土日祝日は市街地循環線「ちょい乗り100円バス」が運行していて、とても便利な場所にあります。

徳山動物園入口

まちなかにある動物園

徳山動物園近くには周南市文化会館周南市美術博物館があり、大阪市から北九州市まで繋がる国道2号線が近くを通っています。かつては徳山藩の屋敷があった歴史的にも貴重な場所であり、動物園の敷地内には今も史跡が残っています。

徳山藩主が住んだ場所

戦国大名としても有名な、西国の覇者・毛利元就。その孫の輝元は、息子である就隆(なりたか)に今の周南地域一帯を任せ、現在の動物園、文化会館がある場所に『徳山藩』の屋敷を構えました。就隆は、殖産興業や新田開発による税収増加に務め、特に米・塩・紙の生産に力を注ぎ「三白政策」と呼ばれました。そして、領民の負担軽減にもなるよう財政改革にも尽力したと言われています。

徳山動物園の隣には、初代徳山藩主・就隆と9代藩主・元蕃(もとみつ)が祭神の「祐綏神社(ゆうすいじんじゃ)」が建立されています。動物園やその周辺一帯には、徳山藩ゆかりの神社・寺院・史跡が今もなお残っています。

今回、園内史跡を記事にするにあたり、徳山動物園より資料の提供を頂きました。

まど・みちおと『ぞうさん』

徳山動物園へ入って行くと、ゾウ舎エリア前に、まど・みちおの歌碑と詩碑があります。童謡「ぞうさん」や「やぎさんゆうびん」「一ねんせいになったら」など、多数の作品を残しています。周南市出身のまど・みちおさんは、25歳の時に北原白秋に才能を認められ、1994年に「ちいさなノーベル賞」ともいわれる国際アンデルセン賞作家賞を日本人として初めて受賞しました。

まど・みちお歌碑・詩碑

1994年11月にサバンナゾウ「マリ」を見て「まあるいみみで まあるいちきゅうを きいているよ」(抜粋)の詩を作り、その碑がゾウ舎前に建てられています。

現在は、スリランカゾウのミリンダ(雄)とナマリー(雌)2頭のゾウが飼育されており、とても仲の良い光景が見られます。

ミリンダ(左)とナマリー(右)

徳山動物園内にある史跡

贈従四位飯田先生旌功の碑

ゾウ舎向かい側の、こんもりと木に囲まれた場所に建っているのは「贈従四位飯田先生旌功の碑」です。

飯田忠彦(いいだただひこ)は、江戸時代後期の歴史家で「大日本史」に記録されていない、後小松(ごこまつ)天皇以降の420年間の歴史を著書『野史(やし)』に書きあらわしました。完成までに約30年以上かかったと言われています。しかし、尊王攘夷派の指導者と思われ「桜田門外の変」の時に捕らえられます。そのことに憤慨し、1860年切腹自殺をしました。飯田忠彦の功績を称えて大正2年、有志により碑が建立されました。

徳山動物園提供資料より

著書「野史」は、291巻もの大作であったそうです。残念な最期でしたが、碑が建てられたことにより後世まで語り継がれる歴史となりました。

そして、園内中央広場奥には、フクロウがお出迎えしてくれるエリアがあります。私が来園した時には、シロフクロウの目が治療中でした。看板には「目薬などを頑張っています」と書かれていました。元気な姿をまた見せてほしいですね。

目を治療中のシロフクロウ
遥拝石(ようはいせき)

そのフクロウがいる場所近くに「遥拝石(ようはいせき)」の史跡があり、徳山藩の3代藩主毛利元次(もとつぐ)が朝夕座って、太華山の山頂にある仏像を拝んだと伝えられる石です。

周辺には「桜百本奉納碑」「鳥獣魂碑」などの史跡も見られ、職員の方の話では、❝ 鳥獣魂碑は全国の動物園の中で一番古いとおっしゃっていました。そして徳山藩があった頃からこの碑は建立されていたのではともいわれています。毛利公の所有地だった当時、飼育していた牛馬などを弔ったものではないか ❞ と考えておられました。

園内で一番の古株「オオバタン」

オオバタン

徳山動物園で一番の古株は、オウムの「オオバタン」。鳥の中でも長寿であり、60年~70年くらい生きるそうです。園内では一番のおじいちゃんです。

この日は止まり木をかじり、この体制を維持していましたが、頭の冠羽を立てると鮮やかなサーモンピンクが見られるそうです。ペットとしても人気のオオバタンですが、違法な捕獲や熱帯雨林の破壊などにより、野生では絶滅危惧種に指定されています。まだまだ長生きしてほしい、徳山動物園のおじいちゃんアイドルです。

2023年8月17日に亡くなった雌ライオンの「シジミ」

シジミ(雌)とモイカ(雄)

2023年8月17日にライオンの「シジミ(雌)」が亡くなりました。職員の方の話では、癌で亡くなったそうです。6月くらいから体調が悪くなり、食欲不振や歩様異常など体調不良がみられました。

上記写真は、たまたま5月後半に動物園を訪れ撮った写真です。モイカと一緒に仲睦まじく寝ている姿を写し、まさかこれが最期のお別れになるとは思いませんでした。

2006年8月4日に富士自然動物公園で生まれ、2008年12月1日に徳山動物園にやってきたシジミ。好奇心旺盛で展示場内の遊具や段ボールなどで遊んでいたそうです。

もう2頭での仲良しツーショットは見れませんが、長年私たちにライオンの力強い姿やカッコいい姿を見せてくれて、ありがとう。安らかにお眠り下さい。 

園内にあったシジミの献花台

徳山動物園を支えるスタッフ、そして今後

職員の方が目の前にエサを置いてくださいました

最後に、来園したお客様に楽しんでもらうため、目の前でエサを食べる風景や、間近で写真を撮れるような工夫がされていました。館内職員の皆さんが、動物の魅力を最大限に届けてくれていることに、感謝とたくさんの温かい気遣いを頂きました。

かつては徳山藩屋敷があったこの場所は、文化会館や動物園となり、人を楽しませてくれる場所となりました。これから先の未来も、過去の歴史を引き継ぎ、たくさんの歴史を刻んでいってほしいと思います。

※この記事は、周南市の魅力をPRする周南市市民ライターの活動として発信しています。


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