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同居のストレス

 翌日、父の闘病を知らせていた親戚に、検査結果の報告をする。Hクリニックの副院長にも、報告のメールをする。まだまだ先は長いが、とりあえずよかった。
 この頃、Hクリニックは週1回だけの勤務にさせてもらっていた。父の通院に合わせて休むと他の職員さん達に迷惑がかかること、引っ越したことにより通勤時間が倍近くかかるようになってしまったことなどから、毎週水曜日のみ固定で入らせてもらうことになったのだ。入職したときは「30年働きます!」と息巻いていたのに、とても残念だし悔しかった。
 Hクリニックの勤務は続けるとして、父の体調もよくなってきたことだし、かけ持ちで別の仕事を探したら?と夫に言われ、正直あまり気が進まなかったが、家計のためにもそうすることにした。求人誌から、家から15分ほどで通える処方せん薬局を見つけ、面接の申し込みをする。話がはずみ、調剤事務のパートとして採用の方向でと言ってもらえた。
 
 ところが、夫はこう言ったのだ。
「薬局が週4勤務なら、Hクリニックと合わせて週5になるやん。そんなに働いて大丈夫なん?」
 むっとした。パートを探し始めたときは、私が気が進まないことも伝えているのに「お父さんも今元気なんやから、ガッツリ働いてほしい」と言っていたのだ。
 病院嫌いで医療に関する知識が乏しい夫は、父の予後を過信していた。このまま抗がん剤を続けながら10年は生きてくれるだろうと思っていたらしい。そんなことはあり得ない、色んな状況を考慮した上で、どんなにがんばったとしても3~5年が寿命だろうと私は考えていたが「お父さん今めちゃくちゃ元気にしてるやん。抗がん剤だってどんどん改良されてるんやから、もっと効く薬が出てきたら、治ることだって考えられるやん」と、楽観視した答えが返ってくるばかりだった。
 
 同居開始から2ヶ月半。押さえ込んでいたお互いへの不満が、そろそろ容量オーバーに達する時期に来ていた。
 もともと、夫も私も頭に血が上りやすい性格で、結婚当初から些細なことでよく喧嘩をしていた。調味料の置き場所や、パンにマーガリンを塗るか塗らないかなど、くだらないことで火がつき、週に1回ペースで喧嘩、月に1回離婚の2文字が口から出るくらい頻繁に衝突した。そうでないときはお互いによくしゃべり仲がいいので、周囲からはうらやましがられるくらいだったが、実際は話し合ったり謝ったり忘れたふりをしたりしながら、騙し騙し切り抜けてきたのだった。
 同居する前にも一度「このタイミングで離婚してしまった方がいいんじゃないか」と夫から切り出されたこともあった。それはやめようと私から言って、何とか一緒に暮らす方向で和解したのだった。
 私にも悪いところは沢山あったと思うが、同居を始めてから夫への不満がどんどん溜まっていった。先のパートかけ持ちの件のように、話す度に考えがコロコロ変わるところ。引っ越してすぐに、もともとの家具の配置が不便だからと必要以上の模様替えを要望してきたり、たとえばキッチンで使っているスポンジラックがおしゃれじゃないから買い換えようというようなことを何度も言われたりした。おしゃれじゃない?それがそんなに不満なの?確かに今のままでは夫は生活しづらいかも知れないが、父と私は20年近く住んでその不便さに慣れてしまっている。あまりにも性急に家の中の色んなものを変えてしまうのはストレスになるから少しずつ考えさせてほしいと話しても、夫は何か気になることがあるとすぐに私に言ってきた。
 夫は長男だ。古くからの日本の慣習に従って言えば継ぐべき家もあるのに、私の父の家でマスオさんをしてくれている。それは本当にありがたいことだ。夫がいなければ車で父の通院を助けることも出来ないし、引越しも出来なかった。おしゃべりが好きなので、寡黙な父に色んな話を聞かせては笑わせてくれている。食事や洗濯も、他の家の旦那さんよりもはるかに沢山協力してくれている。
 でも、単なる私のわがままかも知れないが、それでも不満なのだ。こちらが侵されたくない領域にズカズカ踏み込んで来られたような思いがした。挙句の果てに父の病気について3人で話しているとき「お父さんのがんは治らないからね」と言ってしまった。予後について父に話していいかどうかの確認を私に取ることもなく、だ。もちろん父はふんふんと聞いていても全く耳に入っていなかったわけだが、これには私は憤慨した。
「お父さんに話すかどうかは娘の私が決めるんやから、勝手に言わんといてよ!」
 お父さんの表情や理解度を見て話しているから大丈夫だと夫は言ったが、そういう問題ではない。「思ったことを話したらあかんのやったら、お父さんとの距離を縮めて家族になることが出来ないやんか」
 夫は夫で、奥さんの実家に同居しているという居候感、自分が家族の輪の中に入れていない疎外感をずっと抱えていたようだ。夫にそういう気持ちを抱かせないようにものすごく気を遣っていたつもりだった。父と夫では食べ物の好みが違うので、夕食用に父には煮魚を作り、夫には豚肉をたっぷり入れた野菜炒めを作った。それも、父の分は19時に用意して私と2人で食べ、夕食は寝る前にとりたいという夫にも合わせて22時には再びキッチンに立つようにしていた。家のものを買うときには夫に了解をとってから買いに行くようにしたりなど、小さなことでも必ず夫に相談するようにしていた。少しでも事務所で仕事をすることに時間が取れるよう、一緒に家にいてほしい気持ちがあっても我慢して一人で家事と父の相手をがんばっていた。
 お互いの言い分が食い違い、夫との間にどんどん溝が広がっていく。父の前ではお互いにいつも通り振る舞うようにしていたが、父は少なからず私達の溝に気がついていたように思う。

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