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父の理解度

父との本格同居が始まりました。
抗がん剤の副作用に悩まされながらも、落ち着いた日々を過ごす父。元気で誕生日も迎えることができました。
が、自分の病気をちゃんと理解しているかと言われると・・・。
高齢者ってこんなものなのでしょうか?

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 同居開始から2週間後の2月11日は、父の71歳の誕生日だった。1年前、70歳の誕生日にサプライズでケーキをあげたらすごく喜んでくれたので、今回もそうしようと前の日にケーキを用意し、当日の朝父が起きてくると「お誕生日おめでとう!!」とローソクをつけた。父は「わあ」と驚いて嬉しそうに笑い、切り分けてみんなで食べた。写真も撮ったが、髪はほぼ全てなくなり、頬はやせこけている。でも嬉しそうだ。よかった。抗がん剤が効いてくれたおかげでケーキもしっかり食べられる。よかった。
 夜はすきやきにした。昨年の入院前日のように、黒門市場でおいしい牛肉を買って、という贅沢は出来なかったが、父はぱくぱくと沢山食べてくれた。「食べ過ぎたかなあ」とげっぷをしていたが、前回よりもよく食べられているし、げっぷが出るといえど食後もずっと落ち着いている。よかった。プレゼントにと渡した地図帳(父は昔から日本地図を眺めるのが好きだった)も喜んでくれた。よかった。
 抗がん剤の副作用で悪戦苦闘する期間があるので決して楽ではないが、ギスギスとした父との2人暮らしとは全く違う、父と夫と私の3人暮らしがそこにはあった。こんな日々がこの家に訪れるとは思ってもみなかった。
 その抗がん剤の副作用は、手のしびれに加えて足のしびれも増したと感じる日も出てきたようだ。寒い日が続いており、手足が冷えるとしびれがより強く感じられるようになると誰かから聞き、カフェRの行き帰りにホッカイロを持たせたり、手首に巻きつけるタイプのカイロを使ってみたりもしたが、あまり効果はないようだった。一緒にカフェRに行くと、他のお客さんのことはおかまいなしに通路に置いてあるストーブを自分の側に向け、手をかざして温めている。数日経つとましになってきたとは言うものの、物が上手くつかめない、字が上手く書けないと度々訴えるようになった。
「早く抗がん剤が終わってほしい」とこぼしたり、朝起きてきて「杖をつきながら、何でこんな目に遭わなあかんのやって言うてる夢見た」と言った日もあった。
 食欲はしっかりあり、あれが食べたいこれが食べたい、スーパーのチラシを見て「いも餅が食べたい」と買いに行ったり、3食に加えて昼と夜のおやつも楽しんでいた。自分でも「何でかなあ、食べることに熱中して…」「(よく食べられるようになったから)もう点滴いらんわあ」と笑っているくらいだ。私達も冗談で「胃がんなんて嘘なんちゃう?きっと誤診やで。CT撮ったら、先生が、ごめん間違いやったって言わはるわ」と笑っていた。
 
 父が「今日、テレビで胃がんの特集やるねんて」と私に教えてくれたのは、3度目の抗がん剤からすぐ、副作用の便秘で悩んでいるときのことだった。健康をテーマにした15分ほどの小さな番組で、3日間連続で胃がんについて取り上げるらしい。
 M先生や私達の話にうんうんと耳を傾け「わかりました」とも答えるが、父は自分の病状をまだちゃんと理解していない。それなのにそんな番組見て大丈夫?真実を知ってショックを受けたりはしないだろうかと心配になったが、夕食の後一緒に見てみることにした。
 番組はわかりやすく「胃がん治療の第一選択としての手術」「術後や転移している場合の抗がん剤治療」「手術の後遺症」と3つのテーマが放送された。自分のがんは相当進行していて治らないのではないかと気づいてもおかしくないような内容もいくつかあったが、父は毎回見終わった後に「何や、ようわからんかったなあ」と不満気につぶやいた。こんなに噛み砕いて説明してくれている番組なのに、それでも理解出来ないのか・・・とガクッとなる私。
 とりあえず「手術したら後遺症で大変なこともあるみたいやから、お父さん、手術しなくてよかったんちゃう?」とだけ言っておいた。

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