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意志を育むという矛盾に我々は立ち向かうべきなのか?


 素晴らしいリーダーには、万難を排して理想を実現させる力強いコミットメントがある。コミットメントの弱い人にはリーダーを任せることはできない。リーダーは色々な人の色々なものを背負う。

 そのコミットメントの源泉は、周囲からの評価や報酬かもしれないし役割への使命感かもしれない。ただ、リーダーにも様々なタイプがあって、そのタイプによって何を源泉としているかにある程度の傾向はあるだろうと思っている。

 例えば、大きな方向性を示し組織の成すことに魅力的な意味を与えられるリーダーには、「自らの意志」がコミットメントの源泉を占める割合が大きいように思う。
 意志とは、リーダーとしてこの組織を導きたいという強い思いだったり、実現したい世界観だったりと形は様々だが、自らの選択によってそれに身を捧げるもの。右でなく左に行くのだという意志と、状況証拠が示す最適解とは必ずしも一致しない。
 他者が何と言おうともそちらを目指すことを決め、その強い意志が組織の活動に新しい意味を生み出していく。これは、直近でそういったタイプ(だと私が勝手に思っている)数名のリーダーに話を聞いて感じた私の主観的な感覚。

 では、第三者が働きかけることによって、リーダーになるかもしれない人の「意志」なるものを育むことはできるのだろうか?
 少し思ったことを書いてみたい。主観ではあるけれども一定真実を孕んでいると思う。


意志を育むという矛盾に立ち向かうべきなのか?


 意志とは、こうしたい、ああなりたい、という大なり小なり誰もが持っているものだ。誰にも干渉されない自分だけのものであっていい。「こういう意志を持ちなさい」と言われて持つようなものではなく、その人の先天的なもの(性格や原体験など)の影響が非常に大きい。
 そのため、意志を持つことを第三者が企図するのは、そもそも意志というものの性質と矛盾する。

 ただ、ここで考えたいのは「その組織をより良い方向に導くリーダーが備える意志」について。

 組織が既に存在している以上、その組織が新しいリーダーに期待するのは自分達をより良い方向に導いてくれることだ。そして、これが重要なことだが、どんな方向が自分達にとってベストなのかは組織側もはっきりとは分かっていない。組織は、新しいリーダーの出現と、そのリーダーの意志による全く新しい方向性の提示をセットで切望している。
 意志の具体までは既定しない(できない)が、組織として意志を持つことは求める。これを第三者が「育む」と表現することにする。

 組織側に考えられる打ち手を大別すると3つ。

➀ 矛盾度:低    意志がありその他条件も満たす人を探す
② 矛盾度:中    意志はあるがその他条件を満たさない人を鍛える
③ 矛盾度:高    意志は確認できないがその他条件を満たす人の意志を育む

➀は言わずもがなだろう。そんな人が居れば即抜擢すべきだ。

②も先天性の影響の大きい意志(自分なりの理想や世界観)をそもそも持っている人材への働きかけであり、矛盾がそれほど大きくはない(その他のテクニカルスキルなどは後天的に獲得しやすいとここでは考える。人格といった先天性も一旦度外視する)。
 だが、「意志」という非合理なものの有無で人を選別することへの心理的難易度が大きな障壁となる。つまり、これまで社内で優秀だと評判だった人を差し置いて全くそうでなかった人に白羽の矢を立てるためには、合理的な理由を必要とする。

③は取り組みをスタートさせやすい。優秀さが認定された人材を選出することは容易なためだ。
 しかし、やり方には非常に繊細さが求められる。意志を「育む」のではなく、特定の意志を「植え付ける」といった色が出てしまうと、途端に大矛盾に陥って奈落の底に向かってアクセルを踏み込んでしまう危険性が高い。
自戒も込めて、多くの企業は意志を育むことではなく植え付けることに執心してしまい、失敗し苦しんでいるのだと思う。

私は、➀〜③のいずれも取り組むべきことだと考えている。
特に、③は大きな危険性をを孕んでいるとしてもだ。どうすればその人固有の意志を育み、さらにそれを会社の行く末と重ね合わせていくことができるのか。それを探求したい。
(➀と②は、どうやって意志ある人材を見つけるかが論点になりこちらも非常に奥が深い。これは別の機会で。)

意志が形成される瞬間はどこにある?


 漠然と「修羅場体験」と言ってしまうのは簡単だが、もう少し考えてみる。事前に、数名の経営者/リーダーに自分の成長の軌跡をインタビューしたところ、以下のような共通点が見られた。

■先天性に紐づくと思われる原体験
・人、コト(課題)、価値などについて持論が形成された原体験がある

■後天的な経験
・ボロボロになるほどの挫折を経験している
・苦しい時期に、組織への愛着が高まる出来事に遭遇している
・不退転の覚悟を決め、葛藤を乗り越えて決断した経験が複数回ある
・自身をメタ的に捉えて本質の追求に目覚めた瞬間がある
・視座の急激に高まる出来事や出会いがある
・メンターなど第三者の存在が介在している


 「ふむふむ、なるほど。やっぱり挫折経験って必要だね」ということでは断じてない。

 挫折経験そのものにはあまり意味はないようだ。挫折をした後、自分の中の公式のようなものが書き変わる瞬間があり、それが揺るぎない意志の形成に繋がっているような印象を受けた。公式が書き変わる瞬間こそが意志が形成される瞬間であり、必ずしも挫折経験がなければ到来しないものではない。

 では、その「公式が書き変わる瞬間」とは一体何なのか?これに明確な答えはなく、当然ながら狙って確実に生み出せるものではない。
 
 ただ、その瞬間の発生の確率を高めることはできるかもしれない。
 というのも、インタビューを聞いていて強く感じたのは、その意識の変化の過程はU理論が論じていることにそっくりだということ。U理論で述べられているセンシング~プレゼンシングを誘発する考え方をなぞれば、「公式が書き変わる瞬間」の発生を誘発できるかもしれない。
 

U理論におけるセンシングとプレゼンシング


 U理論は非常に難解。触りとして以下サイトを引用しておく。

 U理論で述べられる意識の変化過程を簡単に表現するなら、

➀自分をナナメに見る(ダウンローディング)
----評価や判断の声を乗り越える----
②ハッと何かに気づく(シーイング)
----諦めや皮肉の声を乗り越える----
③これまでの枠組みを取り去って新しい見方を受け入れる(センシング)
----恐れを乗り越える----
④覚悟を持った選択や自己受容によって今までの執着やアイデンティティを手放す(プレゼンシング)

 このような感じ。

 おそらく、リーダーとしての意志が形成される「公式が書き変わる瞬間」とは、センシングの状態から自己変容への恐れを乗り越えてプレゼンシングに到達した瞬間なのではないか、と思う。

 センシングに到達しやすい状況は、研究の中で以下のように整理されている。

■センシングに入りやすい状況
・自覚のなかった自分と自分の状況を実感するケース
  -自己内省による気づき
  -代謝からのFBや診断結果による自覚
・相手の側からみた自分や相手を取り巻く状況を実感するケース
  -他者の自己開示やエピソードによる実感
  -追体験による実感
  -他者の心情を察知することによる実感
・事象,外部環境の側から自分とその取り巻く状況を実感するケース
  -システムの内側に入る
  -起こり得る未来に直面する

※人と組織の問題を劇的に解決するU理論入門(著:中土井僚)より

 
問題は、恐れを乗り越えてプレゼンシングへ到達することができるかどうか。そのためには以下のような場面が必要とされている。

■プレゼンシングへ到達するための心理的動き
覚悟をもった選択、完全なる自己受容、静寂の時間などによって、古いアイデンティティによる執着を手放す
・退路を断ち、不都合な結末によるアイデンティティの死を覚悟する
  -腹をくくって選択し宣言する
・何があろうとなかろうと、あるがままの自分でよいと自己を受容する
  -周囲に素の自分が受け入れられていると実感できる体験をする
・状況から一旦離れて自分だけの静寂の時間を持つ

※人と組織の問題を劇的に解決するU理論入門(著:中土井僚)より

 

意志を育む(=プレゼンシングの発生確率を高める)ためには?


 そもそものこのnoteのお題は「意志を育むという矛盾に我々は立ち向かうべきなのか?」だった。それについては一点の曇りもなくYes。
 そして、意志が形成されるためにはU理論のプレゼンシングのような「公式が書き変わる瞬間」に出会うことが必要ということも何となく合点がいっている。

 となると、前回の記事とも関連するが、公式が書き変わる瞬間を誘発するような経験を、組織は意図的にデザインすることができるのだろうか?という話になる。

 経験デザインの参考として、世界的企業の多くでは重要ポストにはそのポストに就く人材に課す前提条件として「ファンダメンタルズ」と呼ばれる経験が設定されている。例えば、2か国での経験、2種類の事業責任者の経験、3種以上の職種経験など。ファンダメンタルズを経験することで、そのポストの職務を全うするための基礎力が養われる…としている。

 これは非常に分かりやすいが、完全ではない。ファンダメンタルズの経験を全てクリアできるような優秀人材は「公式が書き変わる瞬間」を勝手に経てくるだろうという前提があるように思える。

 大事なことは、ある経験からシーイング、センシングを経てプレゼンシング=「公式が書き変わる瞬間」に至る確率を上げるためのHow(機会、場面設定、第三者介入など)を確立することだろうと思う。それが、メンタリングなのか、レビューなのか、山籠もり合宿なのかはそれぞれの組織によってスタイルがあるだろうし、唯一の正解はないと思う。

 リーダーを育成する時、多くの組織では得てして「決断経験」「挫折経験」「事業クローズの困難な経験」など表層の経験を定義してそこに期待人材を充て込もうとしてしまう。そこをグッと堪える。

 その経験は、

 ・疑似的な経験によってパフォーマンスを測るためなのか
 ・テクニカルな能力を拡張させるためのものなのか
 ・意志の形成を期待するものなのか

といったことを常に問い直し、意志の形成を期待するのであれば、その瞬間を生み出すための仕掛けをセットで講じる。

ということだと思う。

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