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高校時代、演劇部にいたことがあった

*3月1日追記あり*

突然思い出した。高校時代に演劇部に所属していたことを。
中学の時に仲が良かった友人が演劇にハマっていてその影響を受けた、と言えばそうだった。

劇、といえば学芸会でみんなで演じる「みんな仲良く、明るく、元気よく」みたいな、NHKのEテレのような劇しか知らなかったので、友人達が有志で結成した演劇部が文化祭で上演した演劇にちょっとばかり衝撃を受けたのだ。確か「環魂記」という題の劇じゃなかったか?(よく覚えてるなぁ)どこかの国の王様とお妃が出てくる、内容が大人っぽく私には心に響く内容だったのだ。大した舞台装置さえない中学校の体育館の舞台で演じられた劇にしては、内容が濃くて「演劇ってこう言うものなのか!」とちょっとばかり感動した。細かいことは全く覚えていないけど。

その時は私は見るだけだったけど、演じる側にまわったら面白いかも?と高校入学と同時に演劇部に入部した。(考えが単純だわ)
演劇部では、学校の近くの河原に出て発声練習したりランニングしたり、腹筋を鍛えるために運動したり。インドア派で運動大嫌いだった私にはちょっとばかりキツかったけど初めての体験が楽しかった。


その後、高校1年の時の文化祭で演劇部が演じたのは寺山修司の「星の王子さま」だった。

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寺山修司って今はあまり聞かないけど、あの当時、文化的リーダーのような存在だったと思う。有名な「書を捨てよ、町へ出よう」と言ったのは彼じゃなかったか?(評論集の題名だそうです)そして有名な劇団「天井桟敷」の主宰者でもあった。美輪明宏が主演をつとめた「毛皮のマリー」も彼の書いたものだ。

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↑このポスターは美輪明宏主演のものではないみたいですが。


その年の文化祭で上演することになった演劇部の舞台で、私は初舞台なのに準主役を演じることになっちゃった❗️演劇未経験者ですよ、発声もまともに出来ない初心者の私が、ですか〜?
本当はビビりで小心者でハッタリだけで虚勢を張っていたような、当時の私。ロックにのめり込んでいて、やたらと反抗的で勢いだけはあった気がする。←すごく痛い人ですね💦

で、その時演劇部の先輩だった人たち(演出担当者)は、卒業後に劇団四季に入った人もいた。2歳年上なだけなのにものすごく大人びて見えた。その先輩達が、当時活躍中だった寺山修司が仙台に来た時にアポを取って、会いに行ったのだよ。上演する「星の王子さま」の台本内容の解釈等について質問するためだった。
寺山氏が滞在しているホテルの部屋に訪問し、あれこれ質問したらしい。もちろん訪問は先輩達複数人でだったし、面会時間もわずかだったようだ。

だけどそれが、学校に知られる所となりちょっとばかり問題になっちゃった。有名人だとは言え、ホテルに滞在している男性の部屋に女子高校生が訪ねて行ったのよ。風紀上問題視されたんでしょう。

若干の騒動にはなったけど、結局その後は大きな問題にはならず、文化祭にはその寺山氏の「星の王子様」は上演されることになった。私についた役は「オーマイパパ」というふざけた役名がついていた。主人公の母だけど男装しているって設定。

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緊張しいで小心者で虚勢だけ張ってる高校生の私は、上演当日までプレッシャーと緊張感で食事も満足に取れなかった日が続いたように思う。

夏休みを返上しての台本の読み合わせと基礎の発声練習や柔軟体操。繰り返しての舞台稽古。そしてとうとう上演当日。演劇用のドーランをべったり塗ったメイクで三揃いのスーツを着たなりで舞台に立ち、スポットライトを浴びる。あの時の緊張感を思い出すと今でも胃のあたりがキュッとなる。あんまり思い出したくない感覚。

上演時間の関係で台本は端折った部分もあり、上演前半で私は舞台から退場した後は出番がなかった。だけどその前半のセリフがかなり多くて私にはかなり負担の重い役だった。その後、私が演じた役はもっとちゃんと演技のできる先輩が役を引き継ぎ、県の高校演劇祭にも出たような記憶がある。

高校入学から力を入れていた演劇部の活動だったけど、文化祭が終わって脱力してしまい「もうこの演劇部で自分がやるべき事は終わった」気分になり、続ける情熱を失って退部した。その後は同じく演劇部で仲の良かった友人と共に化学部に入部する。全く脈絡も根気もないなぁ😅

寺山修司氏はそののち亡くなったけど、天井桟敷とかの活動はその後も受け継がれ、そこのポスターを描いていた横尾忠則は現在は現代美術の巨匠となり、その流れは長く演劇界や社会的にも影響を与え続けている。文化的な一つのエポックを築いたと言っていい。


あの時演劇部にいて、その後の自分に何か良い影響はあったか?

強いて挙げれば
◉「声がよく通る」←娘には「みけは声がデカくてうるさい❗️」と今もよく言われる。
*長女はもう10年以上前から私のことをお母さんと言わず「みけ」と呼ぶ(笑)


◉いざと言う時に肝が据わった態度が出来る(笑)←内心びびってるんだけど。


そんな事くらいかしらね〜。(笑)

3月1日追記

高校時代、演劇部(とその後の化学部)で一緒だった友人がこれを読んで連絡くれた。彼女によると寺山氏との面会はこんな感じだったらしい。

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あの時、私は寺山修司に会ってるよ。仙台ホテルで。
ジャンケンで勝って、誰かに先輩に譲るのが当たり前、みたいに言われたけど。
ジャンケンで決めようと言ったのはお前らじゃないか。ということで、譲らなかった。
九条(映子)さんがロビーまで来て、ロビーの人が部屋に行くのは〜って言うのを“寺山がそうしろと言ってますから“って。
シングルの中庭が見える部屋だった。床に座って話を聞いたのさ。内容は忘れたけどね。
30分位だったはず。
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そうだったか。私はその時のことはもうざっくりしか覚えてないわ。きっとそれまでほぼ「寺山修司」という人を知らず、それほど興味もなかったから忘れちゃったんだろう。
という追記でありました。




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