常識に囚われない生き方をしよう!

【何故、常識に囚われない生き方をしようと思うようになったのか?】

「~すべき」「~じゃないと!」
自分は昔、誰かに決められた型にはめられにいくことが多い人生を
生きていた
それも自分がそれを望んで行っているわけではなく、
そうせざるを得なかったから、というただそれだけの理由で
自分が本当にしたいことは何かを考える余地すら作れないまま
誰かに決められた道を歩いていた

そんなある時、ある人から衝撃的な一言を言われた
「「君って自分がないよね」」

一度きりの人生
自分のためにある命の時間
自分にしか生きられないこの人生
自分が何を考え、何を想い、何を行動に起こすか
逆に、どういった行動は起こさないようにするのか

どちらかが大事という訳ではない
どちらも大事なのだ

自分の人生の選択権は誰にも奪われちゃいけない
”譲渡すること”と”奪われること”、結果は一緒でも経緯が違う
自分が自分の意志で他者に委託しているのか、
他者が勝手に請け負っているのか

どんな理由であれ、人の人生を本人の意思を無視して
周りが勝手に決めるのはいかがなものかと思う
「「あなたはこう生きなさい」」
「「あなたみたいな人はこう生きた方がいい」」
そういうアドバイスは、助言のように見えて、
相手を自身の思考の檻に閉じ込めようとしているだけだ

本当にその人のためを思うのならば、その人が未だ見つけれていない選択肢を提示してあげよう
「~べき」「~した方がいい」
ではなく、
「~したらどう?」「~という道もあるよ」
という言い方で、あくまで、

【世の中に数多くある思考タイプの一つを紹介している】

という温度感で

【相手の思考のレパートリーを増やすことを目的とした助言】

ならいいのではないかと思う

まあ、それも時と場合、そして伝える相手をしっかり見極めたうえで
言った方がいいに越したことはないけどね
(※相手の尊厳を侵害しない程度にね)

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