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【番外編Vol.1 糸井翔子】普通の人がアメリカでサッカーしてきた話

どうもこんにちは

なぜ今回わたしが登場したかというと、


「なにか新しいこと始めたいって言ってたよね?」

「うちのnoteに執筆してよ」

とまいまい(←呼んだことない笑)から

オファーを受けたからです


「アメリカに行ってた時のこと書いてよ」

なんともざっくりなオファーです


でも「なにかを始めたい」と言っていただけのわたしに

声をかけてくれたまいまい(←呼んだことない)に

感謝のつもりで書きます

こう見えてわたし、

大学卒業後にアメリカに行きました

四年制大学に一年間

語学学校に半年間

一年目の留学で助けていただいたのは、

ブリッジという団体です


アメリカの学校は日本と違い

9月スタートなので

大学卒業(3月)してからがぎゅっと詰まってました


・大学女子サッカー部の監督とやりとり
・入学のための手続き
・渡米のための手続き

を自分自身でやるということが

ブリッジの方針なので、

周りの手を借りながら、なんとかやりました


大学の女子サッカー部の監督とは主にメールでのやりとりです

もちろん英語です

そのときは、Google翻訳をそのまま、ぺっでした

(Google翻訳が通用しないということは

アメリカに渡ってから気づきました)

この時は、プレー動画も送りました


学生ビザが渡米3日前に届いたことに関しては

わたしの準備の適当さが伺えます

アメリカに着いてからもばたばたです

空港でスーツケースが見当たらない

初日の練習は、時差ぼけで体調崩して途中棄権

練習だったり

授業だったり

監督をはじめ、先生、みんなが言ってることが

全くわからない


まさしく呪文


でも楽しかったことももちろんいっぱいありました

大学内の寮に住んでいたので、

部屋とか造りが、

THE アメリカ!って感じだったし

カフェテリア(食堂)の食べ物も

ジャンキーなものばっかだったし

ピザおいしいし。


もちろん新しいお友達も

たくさんできました


ジャパンからです

だけで、興味を持ってくれる人たちがたくさんいて、

ジャパンに生まれてよかったと思えました。


ジャパンを出ることで、

ジャパンの良さを体感できたとも思っています。

大学の女子サッカー部に所属しましたが、

みんな足が長い


監督、コーチの言ってること

全くわからなかったし、

自分の伝えたいことも伝えられなくて

サッカーでこんなにもフラストレーションが

溜まるとは、、いい経験でした


日本とはちがった練習メニューに


日本では経験したことなかった


デカさと速さと強さ


そして、毎試合前にセレモニーで国家が流れるところ


すげーーーーーー


でした

わたし、なにをお伝えしたいのかというと


もうアメリカ(その他海外)はそう遠い世界ではない


ってことです

「海外でサッカーしてるのかっこいい!」


特に女子サッカーだと

「あの時対戦した同世代の子が海外行ってる!!

すげーーーー!!!

わたしも行きたい!!!」


わたしは、これ↑で

アメリカに行くことになりました

立派な理由がなくても

英語が苦手でも

ちょっとお金に不安があっても


もうアメリカ(海外)は思っているほど遠いところではないんです


この大学は1年だけにして、

移動して、違う地に行くことに決めたんです

そのことはまたの機会で(笑)

作成者:しょこたん

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