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父親は認知症⑤

あけびーです。

私は、両親とは距離を感じて生きてきた。

小さい頃から、この両親には頼れないから一人で生きていかないといけないと思い自分ではそのように生きてきたつもり。

昨年、父親の認知症の症状が少しずつ出始めて実家に帰ってほしいと言われた時も「犠牲になりたくないから」と断っていた。

そうも言いながらもどこかでそんな自分に罪悪感も感じていた。

そして、罪悪感を感じさせる母親に対して、いつも私に罪悪感を感じさせる存在として疎んじていた。

でも、その罪悪感は違った。

ある人のお陰で、私は私を苦しめていた母親に対して「私と同じように苦しめばいいんだ」と思っていた事に気づいた。

それは私自身も驚くような思い。

そこまで、恨んでいたんだ…

でも、今回の施設の事で母親への見方は変わった。

私は、家の中で一番お金の管理が出来る人だった。

そして、家族内でお金を頼られる存在である事に嫌気がさしていた。

母親に話しかけられると、またお金の話かと嫌な顔をするぐらいに。

でも今回、実家の掃除をするにあたり色々な物が私の目に入ることになった。

母親はノートにお金の出入りを書いて、母親なりに管理を一生懸命していた。

母親はお金の管理が苦手な人間で、それでも何とかしようと頑張っていたのだ。

父親は、女が上手にやりくりするのは当たり前という古い時代の人間だから、そんな母親を責めていた。

私はそんな父親も嫌だったけど、私は私で親だったら子供に迷惑かけるなと思っていた。

でも、向かない人がするんだから、そりゃ無理だよね。

やっと、そう思えた。

私が嫌な顔をするから、相談も出来なかったんだろうな…と。

この家では、私が管理をする事は役割だったんだろうなと今は思う。

それに数々の書類の把握や銀行の手続きなど年寄りには難しい事も今回でよくわかった。

母親の性質を理解出来たことで、これからの役割を嫌々ではなく淡々と出来るだろう。

そして、両親が施設に入った後の誰もいない実家で、ずっと恨んでいた母親が走り書きしたメモを見た途端私は子供のようにワンワン泣いた。

兄に愛情を注いで、私には注がれていないと思い生きてきた私に充てた言葉が突然目に飛び込んできて驚きと共にこれまでの感情が飛び出した。

ある意味、その言葉で私は救われたんだと思う。

私は重い荷物を少し下ろしてこれからの人生を生きていけるようにしてもらえたんだから。

だからといって私が急に優しくなるわけではないですけどねw

続く…






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