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ここはどこ?私は…笑う巡礼者!【その1】

その日は朝から青空が広がっていた。

前日まで大気はサハラ砂漠からの砂塵に覆われ、太陽はかすみ、寒々とした日が続いていたので、日差しに思わず目を背けることにすら喜びを感じる。

吐く息は白く、地面には芽吹いたばかりの芝に霜が降りていて、踏みしめるたびにサク、サク、と音がする。
もう春だというのにジャケットと手袋、そしてネックウォーマーは欠かせない。けれども気分は上々で、いつものように黄色い矢印(聖地への道標)をたどって軽やかに歩む。

「ああ、なんて素晴らしい朝なんだろう」
「ご褒美のようだ」

私を取り巻く景色のどこを切り取っても、感動が湧き上がる。

巡礼路はやがて車道へ差しかかり、矢印は前方、山道を指しているように見えた。
私は迷わず車道を渡り、柔らかい土の道へと進んだ。

 山の木々はまだ枯れ葉をつけたまま。春はもう少し先のように思えるけれど、茶色い地面のあちらこちらから、小さな黄色い花々や青草が顔を出している。

しばらくすると道は川沿いへ伸び、風景はいっそう神々しさを深め、川面を漂う靄、そこに太陽が当たってキラキラと光が踊る。



「ああ、なんて素晴らしい日だ!」
「きれい!」
「ありがたい!」

ありとあらゆる自然礼賛の言葉が次から次へと溢れ出る。

まさに恵みのような天候と景色に足取りは軽やか。ともすればスキップでもしそうなほど上機嫌だったが、道は決して平坦ではなく、川と斜面に挟まれた岩場を恐る恐る足を踏み出さなければ通れないようなところもあった。

 もちろん、巡礼路はいつも歩きやすいところばかりではない。高低差1,200mの山越えや、バックパックを頭上で抱えながら裸足になって川を渡らなければならない場所もある。だがそれらは、巡礼路だと信じるからこそ乗り越えられるもので、黄色い矢印が「ここを通れ」と指し示す限り、巡礼者は突き進む。

しかし、この日は少し様子が違った。というのも、その頼りの黄色い矢印をいつからか見なくなっていたのだ。

急に不安がよぎる。

もしかして、道を間違えたのではないか?

サンティアゴ・デ・コンポステラ巡礼の間、私はWifiルーターや現地対応のSimカードといった類を持ち歩いていないので、スマートフォンはあっても、自分が今どこにいるのか、所在を確かめることができない。だから前日に泊まった宿でインターネット回線と繋がっているうちに翌日の行程を確かめ、当日はその記憶をもとに、道標を頼りにして歩く。

道標は、これでもか!というぐらいに四方に掲げられているときもあれば、最後のをいつ見たかしら?と不安になるぐらい間隔が開くこともあるので、道を外れたの否かをすぐには判断できない。

その日は幸い、いつも巡礼路とともに見かける別の道標(白と黄色の横線)があった。

トレッキングコースの印

巡礼路は一般のトレッキング道と合流している箇所があり、巡礼路の道標である黄色い矢印や帆立貝を象った印のほかに、赤や青や緑の横線でトレッキングコースを指し示していることがある。

この日は、白と黄色の横線をいくつか目にしていたので、とりあえずその道標をたどっていれば、大丈夫だと確信を持った。

道はやがて川を離れ、今度は山を登りはじめた。

おや?

ここで再び首を傾げる。

なぜなら、前日に行程を確かめたとき、今日は全体的にゆるい下り坂となっていたからだ。まあ、地図の高低差というのは大まかなもので、多少の上り下りは省略されているのが常。今回もその微差の範囲だろうと判断した。それに白と黄色の横線は、まだあるから大丈夫。

だが、

いよいよおかしい!と疑いが鮮明になったのは、太陽が身体の左側を、そして、正面を射しはじめたときだった。

私が向かっているのは北。道が東に西に曲がっているにしても、基本的に太陽は午前中の間、だいたい右側を照らしてくるはずだ。それがいつの頃からか左を射し、正面を射すということは、私は南へ向き、東へ戻っていることになる。そしてまたしばらくすると、太陽は左を射しはじめた。
 おいおいおい、これは絶対におかしい。白と黄色の横線印があろうがなかろうが、違う!

 疑いが確信にかわったのは、小一時間ほど歩いた後のことだった。もはや来た道を引き返すには遠すぎる。それよりもどこでもいいから人里へ出て、自分がどこにいるのかを確かめるのが先だ。そうすれば再び巡礼路を見つけられるかもしれないし、それが無理ならバスかタクシーを使って巡礼路へ戻る、あるいは目的地まで行ってしまうこともできる。そのときはまだ午前中だったので、時間にはまだゆとりがあったのだが……。

(つづく)

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