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日本にも身近にポン中がいる話

年末で一年に想いを馳せている人がいるなか、不機嫌そうに苦々しい思いを沸々とさせている残念な車椅子ユーザーが一人いる。私だ。

私は昔から耐えがたいことがあった。それは私の意志を無視されることだ。
例えば店で買い物していると「この色でいいですか?」と店員さんは私ではなく私の側にいる友達や家族に聞く。商品を持っているのは私なのに。いや、それ私の買い物だから…と思うんだが何も言えない。そして、お会計の時に私がクレジットカードを差し出しても受け取らないで戸惑った表情で家族や友人をみて「カードでいいですか」と確認をする。まるで私に判断能力がないかのように。
家族といる時はまあ、いい。でも、友人といる時にそれをされると私はとても屈辱的で恥ずかしい気持ちになるんだ。何故だろう。でも、そういう気持ちになる。
もちろん、店員さんも悪気があってやっているわけじゃない。それは分かっているんだ。ただ、悪意がない行動で人が嫌な思いをしたらそれは、悪意がなくてもしない方がいいよね。

ただ、私はここ10数年こういった思いをあまりしてこなかった。一人行動が増えたのも一因だろう。
プラスして時代も変わったのかもしれない。すっかりこの感覚を忘れていた。
それが数日前、思い出した。その日はホテルで友達とアフタヌーンティーを楽しんでいた。さしたら、ホテルのスタッフの方がお水を入れにきた。因みに私と友達は向かい合って同じテーブルに座っている。するとスタッフの方は友達に小声で何かを聞いた。どうしたの?と友達に言ったらコップを小さいのに変えるか聞いてくれたそうだ。私は唖然とした。同じテーブルにいるのに…でも、善意で聞いてくれたこと、私はコップを持ってきてくれた時にその人の目を見て伝わるように「ありがとうございます」と言った。そしたら、その人は目を合わせず軽く会釈だけした。そして、私は過去の苦々しい想いがあふれでたのだ。きっと、人から同じような態度を取られる人はほぼいないだろうと思う。特殊な状況だし、この苦々しさは伝わらないかもしれない。
しかも、今度は善意が元になっているのでいいじゃん、別に。と思うかもしれない。
そう思ったら、逆の立場ならと想像してもらえると嬉しい。
ただ、私も多少なりとも成長している。
何故、人はこのような態度になるのか
私なりに分析してみた。

1.車椅子ユーザー(障がい者)にどう接していいかわからない。
→これは理解できる。でも、どうしていいかわからない時は対等な人間として接するのが無難。

2.私は病気で身長が小さいので子どもみたいに思える。
→これは仕方ない。でも、自分で言うのもなんだけど、子どもには見えない。

3.身体障がい者は知的にも障害があるのだろうと思っている。
→残念ながらこれは一定数いる。

ここまで思い付いたところで第4の要因に繋がる事を思い出した。

それはアメリカに滞在してた頃。また、アメリカかと私の過去のコラムを読んでくれてる人は思うかもな。私だって嫌なんだよ、アメリカかぶれみたいで。でも海外の滞在経験がアメリカしかなく、アメリカが大好きになったので許して欲しい。狭い世界で生きてるな、私…。
話を戻してアメリカに滞在している時に私がアメリカで一番嬉しかったのが、意志確認をしてくれるところだった。例えば車椅子を自走していても必ず助けが必要か聞いてくれる。もちろん、買い物で判断能力を問われることもない。子ども扱いされてると感じたこともない。対等に一人の大人として接してもらえていると感じた。生きやすかった。
いや、違う。私の意志も気持ちも無視して行動してきたやつがいたわ。

それが、ポン中だ。

皆さん、お気付きだろう。意志確認をしない、第4の理由がまさかのポン中なのだ。

ここで私の分析した私に直接、意志確認しない理由を改めてまとめる。

1.車椅子ユーザー(障がい者)にどう接していいかわからない。
2.私は病気で身長が小さいので子どもみたいに思える。
3.身体障がい者は知的にも障害があるのだろうと思っている。
4.ポン中です

私は1.の要素が大きいんだろうと思っていたがここに来て4.の可能性もかなり高くなってきた。サンタモニカにいたら、右も左もポン中。あいつら私の意志も気持ちもお構い無しやりたい放題だった。
わかるよ、さすがにそれとは違うだろうと。そう言いたいんだな。
確かに挙動は違う。でも、彼らと同じくらい私は存在してないのかな?と感じるんだ。
ポン中説は名誉毀損に匹敵するくらい乱暴な見解だ。だが、みんな忘れてやしないか?
『ランボー怒りの鉄拳』を。そう、これは、私の乱暴な怒りの鉄拳だ。本人に伝えるとただの暴力なので、今後同じことをされたら、密かに心の中でポン中認定をしようと思う。

私は最近、友達から周りの人に感謝する大切さを教わった。説得力のかけらもないが今年は感謝の気持ちをもって年を越そうと思う。
ありがとう、ポン中たちよ!お陰でコラムが書けた。そして、こんなロクデナシのコラムを読んでくれた皆さん、ありがとうございます!!!良いお年を!
2023.大晦日


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