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不自由の中心で自由を叫ぶ

本題に入る前にまず、自己紹介をさせてほしい。私は外資系の企業で色んな国のモンスター優秀な方達と関わりながら仕事をしている40代の女性だ。そして、私は先天性の難病のため車椅子(自走式)を使用している。お、ちょっと重い話か?さては、車椅子は大変だけど幸せに生きてます!みたいなよくある話だろ?と、このページを閉じようとしたあなた!

ちょっ、待てよ~。

とキムタクばりの名演技で言わせてくれ。(古い?昭和世代、カモン!)

いや、違うんだ。少しそうだけど、違うんだ。
車椅子ユーザーであることは、このテーマに必要不可欠なので伝えさせてもらう。
ちなに車椅子は物心着いた時から愛用中。筋金入りの車椅子愛好家?だ。歩いたことは1度もない。(羨ましいだろ?)
要は歩ける世界を知らない人間だ。だから、歩ける世界がどんな世界なのか知らない。きっと自由な世界なんだろうな~くらい。ん?ということはみんなは車椅子で生きる世界が、ピンとこないわけだな。ざっと良いこと/あまり良くないことで分けてみた。
あくまで1人で生きていることを想定してみてほしい。

【良いこと】
・すぐに覚えてもらえる。一回しか行ったことなくても常連さん
・優先されやすい。あと、知らない人から話しかけられやすい。(親しみがわく!?)
・見ず知らずの人の優しさに触れられる
・不自由なことが多いので創意工夫が必要不可欠。知恵を培うことができる(これが一番良いことかも)
・障がい者は低能と思ってる人が一定数いるので、普通の事をしただけで賢い人扱いされる

【あまり良くないこと】
・入口が段差や階段の路面店は入れない。階段だけ、もしくは階段上ったとこにエレベーターがあるビルの上の階のお店は入店不可。店内が狭い店舗は時に入店拒否(仕方ない)
・トイレは多目的トイレ以外は利用不可。必然的に多目的トイレがあるモールとか駅の近くとか多目的トイレ基準で外出先が決まる。
地味に路面店のお洒落レストランとか行けなかったりするのが残念。でもトイレは大事。
・コンビニやスーパーで高い棚に置いてあるものが取れない。声かけられる人がいない、もしくは気を遣うので声かけるのしんどい時は買いたいものを買わずにしょんぼり帰る場合もしばしば。今の時代はネットで買えちゃうけど、原材料とか消費期限とかみたいよね!
・車の駐車は身障者スペースじゃないと不可。ドアを全開にして車椅子を横付けして運転席に移乗ができない。車止めのあるコインパーキングが使えない。これ、本当に地味に不便。あとセルフのガソリンスタンド、私は手が届かない(チビゆえ)ので使えない。
・一人暮らしできる家を探すのがまあ、大変。(拒否される、不動産屋さんが怒るくらい)

ざっとこんな世界で生きている。なーんだ大して不自由じゃないじゃんと思う人もいれば外出先限られるのはきついな~とか人それぞれだろうな。
私は私の生きている物理的な世界は不自由だと思っている。でも、周りの人が思うほど気にとめてなければ、歩けるようになりたいとも思わない。今の自分でも全然幸せなんだ。

物理的に不自由なのになぜ幸せか?


それは私の心は誰よりも自由だから
※ここで言う"心"は感情とかではなくマインドです

心が自由とは?

私の心には基本的になんの垣根もボーダーもない。単純だけど、例えば国境とかって私には訳がわからない。
そもそも国境なんてどこの誰か知らない愚か者同士が殺しあって決めたものじゃないか。私は賛成した覚えはないぞ??なんでそんなんに囚われなきゃいけないんだ。おっと、勘違いしないでくれ。別に密入国企ててる訳じゃない。でも私は海外の人も日本人と同様に仲間意識をもっている。人類皆兄弟とはよくいったものだ。そうすると、海外で困って途方に暮れた時、必ず無償の親切を誰かが与えてくれるんだ。そんなときの彼らの頭には私が日本人であることなんて全く気にも留めてないだろう。
みんなはどうだろう。困っている外国人をみた時、どう思う?困っている日本人と何か違いはあるかな?

あなたの心に国境はあるかい?
あるとしたら、その心の国境は必要かい?

私はいつもそう心の中でみんなに問いかけてるよ。別に愛国心を否定する訳じゃないよ。国境を持たないことが正しさでもない。
でも、他国の素晴らしいところや海外の人の素晴らしい感性が心の国境で見えなくなってる人があまりに多くて悲しくなるときがあるんだ。今一度自分がどうありたいのか考えてもらえると嬉しい。

さあ、ここから本格的に心の自由に迫っていこう。
心の自由とは端的に言うと何にも囚われないことだと思うんだ。
そんなの簡単じゃんと思うかもしれない。
では、私が囚われず自由に生きたことでどうなったか実例をご紹介したい。

私はアメリカに短期のホームステイ留学をしたいと思ってた。現地の人と寝食を共にして交流したかった。赤の他人の家族と生活するのってなかなか凄くない!?そんなおもしろい経験絶対したいと思った。だから絶対条件にしていた。ところが、留学エージェントからはこう言われた。「一般家庭で車椅子ユーザーを受け入れるところはないだろうしサポートできない」
確かに一般家庭では難しいかもしれない。でも無理とは言えない。エージェントの言葉に囚われず私は心の赴くままに行動することにした。ちなみに私の留学を応援してくれた人間は周りに誰もいなかった。でも、そんなことにすら囚われなかった。そして、私は片っ端からエージェントに会いに行き情熱を伝えまくった。そして、最後の一社となった時、奇跡は起きた!
やるだけやってみましょうと言ってくれるサポート会社が決まったのだ。そこから奇跡の連続。受入れ家庭が見つかり、受け入れ先とコミュニケーションをとり私の生活に必要な環境が整えられたんだ。そして、私は3ヶ月のホームステイ留学をして現地で老人ホームのボランティア活動までやらせてもらった。
もし私が固定観念や常識や他人の意見に囚われていたら実現しなかったであろう。


そう、心の自由は自分の可能性を広げることにつながるんだ。

留学後の私は更に自由に色々な会社を転々としながらやりたいことを実現してきた。その積み重ねが自分との信頼関係に繋がり、自分を好きになることができた。だから幸せなんだろうなぁ。
まあ、あまり成功体験ばかり書いていいことばかり書くと今流行りのスピリチュアルと自己啓発の間のような訳のわからない人間がやるセミナーみたいになるからな。

ここらで私の失敗体験、そして自由に生きるデメリットについて話していこう。
失敗ほやほやだ、一昨日の話だ。詳細は割愛させてもらうが私は自分の直感に全振りしようと突き進んでいたことがあった。でも、自分の直感力を信じ抜く強さが持てなかった私は不安に押し潰されてしまって感情にのまれ自爆してしまったんだ。みっともなかったと思うし関わった人には嫌われたと思う。
でも自分の思う通りにいかなかったからって自分の直感力を間違ってると思うのも違うと思ってる。普通なら諦めるだろうけど。
また自分からアクションをすることはしないかもだけど(自爆防止)、自分の気が済むまで直感を信じてみようと思う。そして、運命が動くのを待っているよ。私はどこまでも自由だから、傷ついたって信じたいことを信じるんだ!

それでは自由に生きるデメリットに触れておこう。
1.必ずしも自分の望む結果はでない
2.傷つくことがある

先の私の失敗のようにうまくいかない、自分の望んだものが得られないことがある。でも、それって当たり前じゃないか?魔法使いでもない限り、なんでも思う通りにいくはずがない。
そして、望み通りにいかなきゃ傷つく。あと、自由に生きてる人間を不自由な世界のに囚われの民たちが妬むんだ。そして、嫌な言葉を投げかけてくる。ここでも傷つくことがある。ただよく考えて欲しい。不自由に生きたとしても傷つくことなんて沢山ある。そもそも自分の心に嘘をついて生きたら必ず傷つくから。だったら自由に生きてたまに傷つく方が良くないかな?どう思う?

さて、私の自由の意気込みは伝わったかと思うんだが、そもそもなぜ自由に生きようと思ったのか?
それは小さい頃からずっと周りの大人たちから可能性を否定されたり、ネガティブな考えに囲まれて生きてきた。いまだにそうだ。

一人暮らしはできないんじゃない?
大学は難しいと思うよ
働くなら市役所しかないのでは?普通の会社で働くのは難しいと思う
車の運転は難しいよ
外資の金融は無理でしょ
留学?できるといいね…
一人旅?そんなことできるの?

私はそれら全てを実現した。残念ながら引き寄せの法則で楽々しました~皆さんワクワクしましょう♪とは言えない。引き寄せの法則を否定はしないけど、引き寄せの法則で願いを叶えようとするマインドではその法則は発動しないと思うぞ。みんな冷静になれ。おっと、横道にそれてしまったな。
引き寄せじゃないけど、私は気付いてしまったんだよ!宇宙の法則に!!それは人は思った以上に無責任な発言をする法則。親とか近しい関係性でも同じだ。私はその宇宙の法則に気付いてから自由の法則を生み出したわけだ。
そして私の周りにはどうも不自由な心で生きている人が多い気がする。常識、倫理観、固定観念、体裁、他人の目、友達や仲間とのしがらみ。あげたらきりがないがそういうものに囚われてやりたいことが出来ない、チャレンジできない人を何人も見てきた。それは本当に囚われるべきものなのか!?不自由に生きるのが間違ってるとかではない。ただ私の目には苦しそうに見えるんだ。もちろん、私の主観だが案外、不自由な心の世界で生きづらさを感じてる人は多いんじゃないかな。だから、この自由の法則を伝えたくなったんだ。

ちなみにこの自由の法則をうまく活用するポイントがある。それは想定できるリスクを洗いだし、できる限りリスクヘッジをすること。これをしないとただの無謀な人になってしまう。しかもそのリスクを自分でリカバー出来ない時は慎重に行動することもポイントだ。
そして一番重要なポイントは時にはリスクとるということ。例えば何かを叶えたいと思ったときに叶った時の幸せがリスクを勝るならば、臆せずリスクを取るんだ!

そして、最後に言わせてくれ。

不自由な世界の囚われの民よ、そっちの世界はどうだ?本当にあなたの望む世界なのか?
自分を解き放てるのは自分だけだぞ。さあ、どうする?

自由な世界の、囚われなき民よ。さあ共に自由を謳歌しようぞ!私たちの可能性は無限大だ!!!





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