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臨死体験&自分とは何者か?の答え|MikaGoRock美加語録

たくさんのマスターが残した言葉は、メタファーではなく、本当にそのまんまを言葉にしていたのです。

死は無い。私たちは永遠の命の存在である。

私たちはこの言葉を複雑に解釈してしまいます。ところが、真理はあまりにシンプルなので、先人たちでさえも簡単な言葉でしか表せなかったのです。

死は無い。私たちは何者であるか?私たちは永遠の命の存在です。


そのことに気が付いた直接的なきっかけは「37度1分の臨死体験」でした。

ある日36度9分の微妙な熱がでました。首から肩、背中にかけて激痛があり、食欲も体力もなく、お昼から寝込んでいました。夜になると37度1分になり、オーマイガッとコロナ・ウィルス感染を疑いました。

そしてふと、そうだったら、生きるか死ぬかは五分五分だなと思いました。実は今まで何度も死の淵手前までを体験しましたが、生きることに全集中するために死を意識したことはありませんでした。

ところが、今回のコロナ禍において、私は初めて自分の死を実感したのです。たった37度1分なのに。。。。

そして「死ぬのかぁ~、それは大自然がきめることだな」とあきらめた時、突然に莫大な歓喜が沸き上がってきたのです。

「あそこに行ける!嬉しい!」という、体からやってくる喜びの感覚でした。

「あそこ」とは、瞑想によっていく超越世界です。

超越世界とは、死の世界ではありません。おおいなる命の世界です。ですから、この嬉しいとは、死ぬことが嬉しいという意味ではなく、「真に生きること」が嬉しいという意味です。

私はこの3年の間、ある種の瞑想ににフォーカスすることで、様々な状況下で超越世界(霊的エクスタシー)を少なくとも3000回体験してきました。

その体験は必ず一つのプロセスを通過します。

まるで日焼けした皮が皮膚からペロ~っと剥がれ落ちるように、自我が自然に離れて消滅します。自我がなくなるので、記憶できるのはここまでです。完全に満たされた無らしき気配、あとは全てが消えます。うまく説明はできないのですが、なぜか体はその後の感覚を歓喜として肉体に記憶します。

回数を重ねるうちに、その身体感覚が厚くなり、だんだんと潜在意識から表層意識に逆浸透していきました。そして日常で何かの拍子にその肉体感覚が蘇ると、今超越世界に存在していることを体が教えてくれるのです。

あの微熱の中で感じた死への喜びは、その超越世界に溶け切っているときの喜びと全く同じでした。それは完全に解放された、永遠の歓喜、永遠の命、大いなる生命エネルギーであるとわかったのです。

自我が離れていくとき、最初から存在している永遠の命が浮かび上がってきます。死を信じ切っている自我が永遠の命を全く見えなくさせていても、永遠の命は始まりも終わりもなく存在しています。

つまり死とは完全な幻でした。


そして死後であるところの超越世界から今の人生を俯瞰したとき、
私という人生は、本当に好きなことだけをしてきたのだなとわかりました。

喜び、幸せだけではなく、間違ったと思った道、嫌だったこと、煩悩、苦しみ、ダークサイドさえも、すべてが計画された好ましい出来事でした。そのすべての行為のひとつひとつは、ダイヤモンドカットの一反射面であるように、人生はトータルとして美しい無数の光を反射する神聖幾何学多面体でした。

そしてその輝きの最先端に今という瞬間がありました。

たとえ今何をしていたとしても、また、何もしていなくても、その最先端の瞬間は人生にさらなる美、深み、色、複雑さ、光を加えていきます。

そして善人悪人に関係なく、すべての人がこの宇宙において、等しく美しい光でした。それは無限の創造であり、同時に無限の幻という運動でした。

やがて走馬灯がやってきました。

愛する人、憎んだ人、傷つけた人、傷つけられた人、すれ違っただけの人、深くかかわった人、あらゆる人が現れて過ぎ去りました。彼らは私にとって「感謝をするべき相手」でははありませんでした。

最初から「感謝という存在」でした。私の人生のすべて、あらゆる細部に至るまで、感謝という存在の縁によって成立していたのでした。

そのことに気づいた瞬間のことです。

あれほどの背中の激痛が一瞬にして消え去りました。熱も下がって体力も戻りました。驚きました。天は私を生かすことにして、これからはこの気づきと共に生きていく人生になるのだと確信しました。


道修行というのは、健康な日常生活の中で少しづつ安全に臨死体験を重ねているようなものでした。そして今回の体験によって、地上の天国に知らないうちに軟着陸していたことに気が付きました。何のことはない、最初からそうだったのだと。


死は幻想です。(←当事者にとって)
このことに気が付くと、私は何者であるかは簡単にわかります。

私は永遠の命です。
永遠の命だからこそ、今この瞬間を楽しむことが最高の贅沢なのです。
未来も過去も頭の中の幻想です。

今、この瞬間こそが永遠の命であり、それをこの肉体をもって思う存分体験すること、それが私たちが選択してきた地球人生です。

「道修行の目的とは一言で言うと、全宇宙、すなわち大宇宙に満ちる大いなるその生命エネルギーを全身で受け止め、全天地と融和することである」(青木宏之師)

生きていても、死んでいても、その区別はなく、私たちは常にそうであると気が付くこと。

ただ、気が付くこと、それが答えだったのです。

アヴぇ・マリア

(photo: ©MikaRin)







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