はづき

わたしもあなたも楽に楽しめる道を作りたい。

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最近の記事

読書録(仮)その1

こないだ借りてきた本の要約と感想があまりにも長すぎてついったに書けなさそうなので、ひとまず箇条書きで載せていくことにする。 「仕事なんか生きがいにするな」泉谷閑示著 ・過去の経験で自主性を奪われてしまった人は、あらゆることに対する「意味」を問いはじめる。もはやそれを考えなかった頃には戻れないので、じっくり向き合うが吉。逆に、リワークプログラムなどの実利主義的なやり方では根本の「あり方」に対処することができない。あくまでも元の環境に再適応させようとするもの。 ・マズローの

    • 日々ハードル上げがち

      可能な限り人との接触を避けつつ、玉野に1泊してきた。ひとり旅。 着いて早々本屋さんに行き ご飯食べて温泉に入り 海をぼーっとみて かき氷食べて 本屋さんに行き 海に足を浸して かえってきた。 ひとり旅はもともと好きだったけど、何で好きかとかあんまり考えたことなくて 何もしたくなくて家を飛び出してきたはずなのにずっと同じ場所に滞在するわけでもなく、どこか1つは新しい体験や場所に触れて帰ってくるような気がしていて そんな自分をなんか不思議だなーと思いつつ、ちょ

      • 福祉とまちづくりとデザインについて考えてたら、平和観がアップデートされた

        どうも、ごぶさたしています。気づいたら2021年もあとひと月。 ここ数年は年越し帰省したりしなかったり、特に年の境目を強く意識したことはなかったけれど、なんか今年はすごく感慨深くて「ここまできたか〜」な気持ちが強い。たぶん人生の中で新たなフェーズにたどり着いた1年だったんだろうな、となんとなく思う。 最近のことを書こう書こうと思いながら先延ばし癖が発動していた今週。おとといのイベントで大きく背中を押された気がして、ひとまず昨日のことにフォーカスしてみようと思いたった。

        • 若干しんどいかもしれんけど、それも含めて私でした

          先月、自分への誕生日プレゼントに、短歌を作ってもらった。 あなたのための短歌一首 いつどこが入口で「なんか短歌好きや」となったのかまったく覚えていないが、以前何かのキャンペーンで『つむじ風、ここにあります』をサイン付きで送っていただいたこともあった。 結構前から「わたしのための短歌ほしいな~ほしいな~」と思っていたのだが、おさいふと長らく交渉し、誕生日プレゼントということで思い切って買ってみた。 届いて、写真を撮って、手帳に挟み、スマホでよく見るところにもスクショを貼

        読書録(仮)その1

          (宣言)海を見に行くよ

          ここ2か月たくさんのことが同時並行で進んでいる中で、自分のやりたいことを形にするのに必死だった。意識しないと息継ぎを忘れてしまいそうなくらいだった。 なんで夏ってこんなに忙しいんだろう。なんだかんだ毎年夏が一番大変でやることがいっぱいある季節のように感じる。 成し遂げたいミッションやプロジェクトが発生するとあたまの勢いが止まってくれなくて、正直困る。からだとこころがついてこられないスピードで四六時中フル回転しようとする。 なぜあたまが止まらないのかというと、「自分が納得

          (宣言)海を見に行くよ

          最近のこと

          どの季節もその季節なりのしんどさがあって適応できない。もっと過ごしやすい場所はないのか。季節によって住む場所変えるとかしたい。 5月中旬ごろから体調がかなり悪くて、ストレスを感じている事柄についてはいったん立ち止まってなるべく整理したうえで離れようと決めた(まだケリはついてない)。その一方で会いたい人に会いに行ったりオンラインでしゃべったりバイトしたりする中で楽しいことも新しく発見できたこともあり、なんとなく自分は自分の思うままに選択していけば進んでいけるという実感が湧いて

          最近のこと

          備忘録

          思うままに書いてみたら、なんだか被害的ポジションが強く出てしまった気もするけど、今の私の備忘録として残しておく。 自分を騙すことと自分なりに折り合いをつけて納得することの境目は何だろう。今の自分には、到底分かちがたくどちらが表か裏かも判別できない一体的なものに思える。 何かがおかしいと薄々気付いていて、でもしばらくその気持ちを騙して進み続けた。些細なことがきっかけで何も信じられなくなって、私は私自身をも信じられない弱いやつだったんだと愕然とした。多少今までに経験してきた分

          解像度を上げる試み

          久しいな~。ついつい間が開いてしまう。 言葉が自分の中に溜まっていって爆発するまでほっといてしまう。 引き続き自分の中にある違和感と向き合って、できればそれを人に吐き出せる練習をしてみるのが目標。 今まさに頭の中が「わからん」「何もしたくない」で埋め尽くされているので、解剖してみる。 【ぱっと出てくる気持ち】人に頼るのが怖い。自分が思ってることを言うのが怖い。担当を割り振られた瞬間にめっちゃ体重くなる。人と仕事するのってなんでこんな難しいんやろ。背中めっちゃかゆいし我

          解像度を上げる試み

          ゆずれないものもゆずれるものもある

          夜にnote書いてしまうと脳内がハイになって眠れなくなるんだが、かといって午前中に書く気になるかというとそうでもない。 やりたい時にやるのが勝ち(結論) さて、今日は #自分にとって大切なこと というテーマで書いてみる。 まず「ゆずれないもの」から! 二項対立からの脱出 白でも黒でもないグレーの領域の、その中のグラデーションを追い求めている気がする。 完全に白/黒って断言できる事柄って、思うより少ないんじゃないかという気がしている。だからこそ難しいなあ、と感じ

          ゆずれないものもゆずれるものもある

          福祉と平和と歴史がつながった話

          こんばんは。 2021年初noteかと思ったら既に書いてて自分でもびっくりです。頭の中やTwitterにはいっぱい吐き出してるので、今年はまとまりのある長い文章にもチャレンジしていきたい気持ちです。 最近全然写真を撮ってないので、結構前のシュモクザメをカバーにしました。かわいい。 いつものようにぼんやりと一人考えていたら、びっくりするような(よく考えてみれば当たり前かもしれない)視点が生まれてしまいました。 それでは早速、タイトルの通り3つのつながりについて書いていき

          福祉と平和と歴史がつながった話

          なんでもいいから書こうという意地

          ホルモンバランス的に地獄の2週間が終わって気分が落ち着いてきた。 トラウマが蘇って怒りが湧いてくるしいっぱい泣いた2週間だった。引き続き折り合いをつけるのが課題。 病院ではじめて相談した時、「自分がそうマインドコントロールしちゃってるのかな?」って流されそうだったので『PMSではないかと思うんですが…』ってちゃんと主張できたの、今思い返しても自分を褒めたたえたい。薬で解決することが本当の目的ではないが、聞かないと得られなかった他の選択肢もあった。 しんどさに対して気のせ

          なんでもいいから書こうという意地

          福祉観を語ります

          もうすっかり秋ですね。暑かったり寒かったりしますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。 だいたいnote書こうってなるのは何かから刺激を受けたときなのですが、例によってすさまじく楽しくて刺激的な体験をしてきました。 今回は「自分の福祉観」について書きます。 まずはこの衝動のきっかけとなった出来事について。 先日「おかやま地域カレッジ2020 第2回」を聴講してきました。 何するところかというと、「社会福祉法人が地域の一員として、自らの地域での困りごとを探り、…法人で

          福祉観を語ります

          2020/08/06

          8月6日・9日・15日をはじめとする「戦争」にまつわる日付が私にとって大きな意味を持つようになったのは恥ずかしながら2年前からでした。去年からの1年間で自分が考えたことなど振り返りつつ、今の時点で私が考える平和について述べます。 (約)1年間の振り返り2年前~去年のPN!でたどりついたのが、「対話」が平和につながる、ということでした。 それがより深まった(迷走したともいう)のと同時に、「やっぱ政治、デカいな」という想いが確固たるものとなりました。 なにがデカいのかという

          2020/08/06

          自己責任説に限界を感じた話

          今日の山本太郎さんの街頭演説を聞いてるともうたまらない気持ちになったので書きます。 ①ヤジを飛ばす人に対して「この人全然話聞いてないやん」とか「もっと考えまとめてから話してほしい」とか思ってしまった。でも、太郎さんはちゃんと聞いてた。そして、その人の抱えてる苦しさを引き出した(中盤かな?ぜひ見てみてほしい…)。 とことん話を聞き、台本なしで自分のビジョンを自分の言葉で語る太郎さんの姿勢を見てると、自分の聞く姿勢がどれだけ不寛容なもので他者受容から程遠いか気付かされた。

          自己責任説に限界を感じた話

          ほめを通して、よりよい生き方や関係の構築をめざしたい

          「『他者理解』から考えるほめ方セミナー」に参加していろいろと思うところがあったので備忘録も兼ねて書き殴り。 ①ほめることは、結局のところ手段であるほめる側が何のために・誰のためにほめるのかについて自覚しとかないと、暴力になりかねない。 人が何かしらとる行動・言動について、相手のためと言いながら結局自分のためでした、なんてのはよくある話である(それが無意識的に行われることはなくなってほしいけれど、人間の利己性は全く以て自然なことであるとは思っている。詳しいことは割愛)。

          ほめを通して、よりよい生き方や関係の構築をめざしたい

          「でも」でもいいじゃん。

          ➀なんか心の中がふつふつとしている。すごく窮屈だ。 自分が行きたいところに行けない。でも生活できないからバイトには行かなきゃいけない。周りの人のしんどい顔を見てると自分も余計疲れる。 自分のやりたかった勉強ができててめちゃくちゃ楽しい。でも毎日パソコンばっかりで目と耳が明らかに疲れてる。 思うことやもやもやがたまっていって、Twitterの下書きが増えていく。でも「ツイートする」ボタンを押すと、遠いところに自分の言葉が行ってしまいそうで押せない。 ➁半年くらい通ってた

          「でも」でもいいじゃん。