福祉観を語ります

もうすっかり秋ですね。暑かったり寒かったりしますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

だいたいnote書こうってなるのは何かから刺激を受けたときなのですが、例によってすさまじく楽しくて刺激的な体験をしてきました。

今回は「自分の福祉観」について書きます。


まずはこの衝動のきっかけとなった出来事について。


先日「おかやま地域カレッジ2020 第2回」を聴講してきました。

何するところかというと、「社会福祉法人が地域の一員として、自らの地域での困りごとを探り、…法人でできること+関係者のチカラを活かした取り組みを一緒に考えましょう」とあります(岡山市社会福祉協議会HPの開催要綱より引用)

偶然ぐぐったら出てきたイベント(?)だったので、半ばお試しのような気持ちで参加申し込みをしました。


はじめてきらめきプラザに足を踏み入れ、同じエレベーターに乗った人全員が同じ行先だったのでさらに緊張しました。笑

グループに入れてもらって、OBの方や参加者の方のプランを聞きながら、フィードバックの付箋を書きまくる…という、頭をフル回転させながらの4時間でした。

そしてこの場で初めて日本福祉大学出身の方にお会いすることができました。前期スクーリングが開催されず、誰一人として出会ったことがなかったのです(;;)

15プランの発表を聞き終え、フィードバック付箋を渡しに行きながら交流させてもらいました。たくさん名刺もいただき「いつでも遊びに来てください!」「また次回(全3回構成で、次が最後)会いましょう」と声をかけてもいただいたので、これからいろんなところに出かけていきたい!


元はと言えば、私が型にはまった就活が苦手だという自覚があり、かつフラットな目で法人・企業さんのことを知りたいという想いもあっての参加だったので、超特大収穫を得られた1日でした。


さて、本題にいきます。


①福祉の道に進みたいと思うようになったきっかけ


約2年前、最初に入った大学に適応できなくて鬱になった、というのが大きなターニングポイントでした。

休学してこれからのことを色々考えているうちに、「モノじゃなくて人と対話する仕事につきたい」「生きづらさを抱える人と一緒に歩く人になりたい」と思い始めました。

福祉を学ぶことで、心理的だけでなく、社会や仕組みそのものにアプローチするやり方も知れると思ったので、福祉系の通信大学に編入することにしました。社会福祉士の資格取得も目指しています。

太字にしたところが、ざっくり自分の好きなこと・関心事ともつながっている気がします。

・自分や相手がどのようなことを考えているのか知りたい。対話したい。

・相手の困りごとや理想を分かち合い、解決や実現に向けて動きたい。

・課題を個人に帰結させるのではなく、環境や仕組みもよりよくしたい。


また、自分自身に起こったことだけでなく、周りに様々な困りごとを抱える子ども(を取り巻く環境)がいた(あった)こともあり、今は特に、児童福祉・障害者福祉に関心があります。

ただ「人間の老い」は誰にもいずれやってくることなので、高齢者福祉の現場ももっと知りたいと思っています。

(福祉の領域を高齢者・児童・障害者と3分割してしまうと、そこに当てはまらないパターンが多く出てくるのであまり得意ではないのですが、日本の福祉の成り立ち的にそうなっている気がするので、ここでは3つの領域にあてはめて書きました)


②現代社会の抱える課題と、福祉を通して作りたい社会・生き方

次はもうちょっと大きい夢を語ります。笑


「福祉」を分かりやすく説明するならば、

「ふ」だんの、「く」らしを、「し」あわせにするもの

と言うことができます(よく研修とかで聞くやつ)


もっとざっくり、かつ私なりに言うと、「みんながよりよく、ありのまま生きられるような社会にする」のが、福祉の役目だと思うのです。

大人でも子どもでも、「自分のありのまま」が受け入れられる場所は必要だと思います。「もっとこうしたい」という理想や願いを話せる場所が欲しい人もいるんじゃないでしょうか。


「社会を変える」というのは大げさで難しいことのように思えますが、私がよりよくしたいのは、もっと小さな範囲です。「自分と、自分に関わる人と、その人からつながる人…くらいの、半径数メートルの関係性」が、もっと居心地のいいものになったり楽になったりしたらいいなあと思っています。


当事者研究などをされている小児科医の熊谷晋一郎さんが話をされているのですが(リンク先参照)、「自立」とは一人で何でもできることではなく、複数の場所に頼ったうえで、毎日を送れることだと思います。

そう考えると、人間には、家と職場(学校)以外にも、もっとたくさんの居場所があってもいいのではないでしょうか。


今の社会では、自分の中での職場や学校の比重が大きすぎる気がします。その場所が合わなくて変えたくても、代替できる場所がなかったり場所を移ること自体に抵抗感を抱く人が少なくないと思います。

この問題が「不登校」には顕著に表れています。

様々な理由で学校に行けなくなったとき、それを代替する手段(たとえば、フリースクールなど)があまりにも少なすぎます。もはや「学校の受け皿」としてではなく、学校以外の教育機関をきちんと整備し、最初から(途中からでも)選択肢として選べるようになったらいいのに、と思ったりもします。

また、学校に通っている期間だけでなく、大人になってからも当てはまりそうですが、「人生における空白の期間」が全然ない人生を当たり前のように進んでいかされます(誰からの使役だろう)。この刷り込みが大きいので、不登校になってからも、「次の進学・就職に向けて進まなきゃ」みたいな無意識なプレッシャーを抱えている子どもは多いと思います。


もし不登校支援に関わることがあるなら、「進みたいときは一緒に進む。止まりたいときは誰にも遠慮せず自分の意志で立ち止まれる」環境でありたいです。規範意識や同調圧力の強い学校に適応できなくても、「自分がどうしたいか」を大事にできれば、自分のための人生を送ることができると実感しているからです。

かなり主観的に書き散らしてしまいました。何分身近なもので。



最後に、お金と政治の話です。自分の中では福祉と切っても切り離せない部分であり、矛盾した気持ちを抱えている部分でもあります。


世の中で「お金があれば解決するのに」ってこと、いっぱいあると思います。

介護とか。外注するとお金がかかるし、お金がなかったら家族でどうにかやりくりするしかないですよね。そうやってずーっと日本の政策はアンペイドワークに頼ってきました。

進路変更・転職もそうです。続けてきたことから外れて別の道に進むとき、出費が増えたりして収支が苦しい状況になりがちです。

専門性を持った人に頼むことや別の進路・職業をめざすことがどうして負担になるんでしょう。賃金が低いのでは?つなぎの制度がみんなをカバーできるものになっていないのでは?


個人の選択によって生活を脅かされることがないように、政治がよりよくしていかないとだめじゃないかと思っています。

でも政治の監視って難しいし、政治ってほんとに人によって好き嫌いが激しい。パクチーみたい(?)。政治が自分の生活に関係あると思ってる人も思ってない人も、それぞれのフィールドで生きていけたらいいのかなあ。どうなんだろう。自分が誰かの考え方を変える力はないと思っているので、そこらへんは消極的に捉えがちです。


サービスを提供する側になることを想像してみても、やっぱりお金は大事だよな~と思う反面、そんなにお金がないと何もできないのか?というのも浮かびます。

不登校支援について考えていて、「ただ遊ぶだけ、勉強も教えないし何をするもしないも自由、みたいな場所」ってお金を払う価値ある?って思ったのですが、答えは出てません。そういうやり方やアイデアもいろんなところから盗みたいです。

授業とバイトの行き来でメンタルも停滞してきていたので、ぼちぼち外に出て行こうかな、と思っています。


とりあえず書かなきゃ!書きたい!と思ったので、今の時点での「福祉とは何か」「何を目指しているのか」などについて書いてみました。

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