「でも」でもいいじゃん。

なんか心の中がふつふつとしている。すごく窮屈だ。


自分が行きたいところに行けない。でも生活できないからバイトには行かなきゃいけない。周りの人のしんどい顔を見てると自分も余計疲れる。


自分のやりたかった勉強ができててめちゃくちゃ楽しい。でも毎日パソコンばっかりで目と耳が明らかに疲れてる。


思うことやもやもやがたまっていって、Twitterの下書きが増えていく。でも「ツイートする」ボタンを押すと、遠いところに自分の言葉が行ってしまいそうで押せない。


半年くらい通ってた教会に行くのをやめた。どうしても自分を抑圧してるような、自分の考えを否定されることが怖くて仕方なくなった。でも聖書は読みたいし、神さまとかこの世界とかについて考えることもやめたくない。でもどうしても地域教会に行く気にはなれない。


法改正のトレンドを見つけて色々調べる中で、自分がいかに政治について知らなかったか、興味を持ってこなかったかに気付いた。あまりにも国民の生活を軽視した空っぽの議論に呆れちゃうくらい悲しくなった。でもこのままあきらめたくない。


自分の行動は、「怒り」とか「衝動」が原動力になってることが多い。でもこの原動力には限界がある。怒り続けることはめちゃくちゃしんどい。いつか自分が(何と比べてかはさておき)先に滅びる。でも、わいてくる想いは止められない。

労働者をこき使う「経営者」に。時代遅れの持論を押し付ける「先生」に。国民のために本当に役に立つことをやってくれない「政治家」に。自分の耳障りのいいことばかりをアーティストに言わせようとする「ファン」に。やりたいとは思ってるのにできない「自分」に。

怒ってばかりいる。それで、勝手に疲れてる。


ここまで本文書いて、「でも」が8回出てきてた。

矛盾する気持ちや相反する気持ちを抱えてても、明日もご飯食べたりおやつ食べたり推しの尊さに震えたりフリマサイト漁ったりしながらこんな自分と付き合っていくんだろうなー。

「でも」がいっぱいあっても私は私。というか、「でも」ばっかりなのが今の私。

と思えるのも、成長ってことにしとこう。1年前の自分は、1年後の私が生活費と学費賄えるくらい働くとは思ってなかったんじゃないかな。


自分を一番に守れるのは自分。自分を大事にできてこそ周りの人も大事にできるって信じてる。

どーにもしんどかったので、自分の思うことを言葉にする練習でした。まだまだ書きたい話があるので、そのうち。

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