見出し画像

【リアル注意】和痛分娩出産レポ!これでもスピード安産@愛育病院

この記事は出産直後、夫に向けて書いたトツキトオカの日記を元にしている。基本的には出来事を淡々と記録していったレポであり、普通にリアルなので注意してほしい。

執筆の意図

愛育病院はコロナ対策で立ち会い禁止となっていた。ひとりきりで陣痛を体験している最中、私は以下のように考えた。

・陣痛は到底言葉で表せるようなものではない
・経験なしに想像できるようなものではない
・人間の脳はこの経験を長く覚えていられないだろう、確実に記憶から消去するようにプログラムされているはずだ

陣痛の痛みは子の可愛さですぐ忘れるよ!
とはよく言われている。
(産後2週間以上たったが、確かにその通りで、可愛い可愛いと毎日言っていたらすっかり忘れている。笑)
でも、この壮絶な経験をなかったことにはできないと直感した。このまま何にも夫に共有しないで、そのまま忘れてしまったら?少しでも知ってもらって、想像しようとしてもらう努力を、自分がやらなかったとしたら?
きっと、産後の我々のコミュニケーションにすれ違いが産まれるだろう。


痛みに悶えながらそんなことを思ったので、産後すぐに出来事をメモして夫に公開し、結果、コミュニケーション齟齬を防ぐことに成功した。

出産は破水から始まった

出産のスタートは、シロッカー手術の抜糸をしてから数日後。
昼ごはんにカレーを食べて立ち上がったら、お股にちょろちょろ〜と水が流れる感覚があり、すぐに破水とわかった。

病院に連絡すると即来てくださいとのこと。タクシーにて陣痛待機室に到着。そのままシャワーをしたが、出た瞬間、更衣室にて鈍痛が始まってしまった。何となく計測してみたところ、ピッタリ4分おき。笑

これなに?陣痛って最初はもっと間隔があいてるんじゃないの?!とめちゃくちゃ戸惑いつつとりあえず服を着た。

夕食が運ばれてきたが、4分おきの痛みは増すばかりである。後から聞いたらグルコースを摂取したり、身体を温めたりするとお産の進行が早まるらしい。

助産師さんを呼んで、痛いんですが…と訴えるもあまり相手にされず、もっと痛くなったら言ってといわれる。

ちなみにこの時点ですでに、麻酔はいつですか…と思うレベルで痛かった。

痛い、しかしこんなもんじゃない

何度か助産師さんに訴えるも、この方はなかなか厳しいトークをする方で、苦しむ私をぶった斬っていった。

『陣痛はこんなもんじゃない。波の合間にトイレまで歩けてたでしょ?普通は歩けないよ。長洲さんが相当痛みに強いならあれだけど』

『麻酔したら陣痛が弱まるからお産は長引くよ。ママは痛みから解放されるけど、痛い時は赤ちゃんも苦しいの。赤ちゃんが長く苦しむことになるよ』

『今もし麻酔したら、おやすみコースだね。ひと晩ゆっくりして、朝から促進剤入れて、そこからお産スタートってこと』

などとネチネチ言われ続けた(と、当時は感じていた)。しかし、後から聞くと初産婦に対するトークとしては正しい話だったらしいし、今思うとMAXまで痛みを耐えさせるプロだったのかもしれない。

しかしここまでの痛みは『痛み』と表現できる程度の痛みに過ぎなかった。

陣痛、信じてもらえない

21時ごろだっただろうか。
全身から汗が出て寒くて痛くてぶるぶる震えていた。助産師さんを呼び、ソックスを履かせてもらう。

ここから先は痛みが段違いとなり時間感覚は曖昧である。

うぅぅぅぅん、、、
とか、
わぁぁぁぁぁ、、、
とか、声を押し殺しながら耐えていたところ、

『麻酔します?周りの人もいるし(うるさかったらしい)。その代わりお産は長引きますがママの判断です』と言われた。初産婦にこの判断を委ねるのは酷ではないだろうか。私は我慢強いことに定評があるので、うっかりもう少し耐えますと言ってしまう。

絶対に長引かずこのまま産まれる!と確信したのは22時ごろであった。麻酔しますとだけ伝えて分娩室へ。

しかし道中ですら『おやすみコースだねー。普通はこんなに歩けないから、陣痛まだ弱いと思うよ』と言われてしまう。無論そんなレベルの痛みではなかったし、産まれる確信はあったので、どうにでも勝手に言ってくれ〜と思った。この助産師さんとはここでお別れとなる。

子宮口7cm、全身ガクガク

麻酔が始まるまでも準備が長かった。
まだ準備中なのに、既にいきみたくなってしまう。
このとき確か、子宮口は7cm。『いきみたいですううう〜』『まだいきんじゃだめ!』『いきみたいです!麻酔したらいきまなくてよくなりますか?!』『うーん…その感覚はなくなるかな…』という謎の会話を覚えている。

全身ガタガタ痙攣し歯もガチガチ鳴りながら『いぃぃぃたいぃぃ〜』とか『ひやぁぁぁ〜』とか呻いていた。後から思えば、確かにこのときは、さっきの助産師さんが言っていたとおり、痛みの合間に歩ける状態ではなかったと思う。これが陣痛か!

※ここまでくると、痛いとか、壮絶とか、人間の言葉で表現できる次元ではない。陣痛というしかない。あまりお産のリアルが語られない理由はこれだろう。言葉で伝わるはずがないと経験者の誰もが思うからだ。

痛み、増幅される

麻酔が始まった。
麻酔をしたら一時的に陣痛が強くなりすぎるらしい(!)。そのせいで何度もみかんの心拍が下がってしまう。

『赤ちゃんが苦しそうなので!』と言われ、酸素マスクをつけられ、四つん這いになり、何度も深呼吸をした。四肢を投げ出し大変な姿勢である。首も曲がってもげるかと思った。こんな格好になってしまうとは、夫の立ち会いがなくて良かったとさえ思った。陣痛を和らげる点滴も始まった。

このときみかんは上を向いており(下向いてないと産めない)、このことも痛みを増幅させる原因となっていたらしい。

もし心拍が戻らず、みかんも下を向かなければ帝王切開になると言われ、なんと、帝王切開の医師までやってきて準備をし始めた。

痛みは全然おさまらない。
『麻酔追加します?でもそうすると陣痛が弱まるかも…。追加しなかったら下から産める確率は上がります』と言われてしまう。帝王切開がいかにつらいかの知識はあったので『追加しません…』とつぶやいた。
ここでもさらに耐えてしまった自分よ。来世ではもっとのびのびとした性格に産まれてほしい。

そのままスピード出産

そのうち、麻酔なしの陣痛を10とすると、8くらいにはなった。
どのタイミングか忘れたが、最後にみかんはぐるんと下を向いて『あ!急に産まれる気になった!』と言われた記憶がある。『痛いですよね〜1回いきんでみます?それで頭がどのくらい出るか見たいです』となり、やってみたらいきみが上手かったらしく、このまま産みましょ!とほめられた。

絶対にすぐ産むぞと決心。

陣痛の波に合わせて5回くらいいきんだところでついに、みかんが、にゅるんと出てきた。出てきてからも静かにお股のあたりで脚がにょろにょろしており『あ、お腹の中でもじょもじょしてたのが出てきたんだな』と分かった。少し刺激されて泣き出したが、羊水を飲みすぎてガラガラうがいになっていた。すぐに手当てを受ける。苦しい中頑張って産まれてきたことがよくわかった。

産後の第一声は『すごいお仕事ですね!すごい体験でした!』

その後は写真を撮ってもらい、会陰の縫合をされながら医師と会話した。『初産婦で麻酔したにしてはすごく早かったです!第二子はもっと早いから痛み始めたら即来院ですね〜。産院変えるときは申告してくださいね』とのこと。だいたいの初産婦は、例の「おやすみコース」になるらしい。あの助産師さん、意地悪言ってたんじゃなかったんだ!と誤解が解けた瞬間だった。

我が子は可愛い

有難いことに、産まれてきた子は想像以上に可愛かった。
出産直後は、そこまで可愛いと思わず、産後すぐに母親になるわけじゃないんだな~と思っていたが、触れ合ってお世話をするうちに、というかもう翌日には『かんんんんわいいいいいい!!!!!!!!!!』と思うようになった。

結局麻酔はあんまり効かなかったが、元気な子が産まれたし、帝王切開は免れたし、初産婦にしては陣痛から4~5時間とかなり早かったので、結果オーライと言っていいだろう。頸管無力症だったということも、スピード出産の理由のひとつだったかもね、とのことだった。

そして何よりも医師や助産師の仕事は本当に本当にすごいと思った。感謝してもしきれない。後日、入院中の私のところに出産時の助産師さんが会いに来てくれたが、あまりの優しさ、あたたかさに、彼女が去ったあとは涙が止まらなくなった。

愛育病院での出産レポはいったんここで終わりである。
翌日から地獄の母子同室ブートキャンプが始まることになるとは、この時は想像もしていなかった。このときのメモも残っているので、また落ち着いたら記事にしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?