人生の棚卸しと今、大切なこと
「質問の仕方でその人の成長率がわかる」
今日、父と話していてそんな話になった。
私はものすごーーく質問が苦手。
話を聞いていて、私は成長率の遅いタイプだな、と実感した。
私の父のこと
父は工業高校卒で大手企業に入り、技術職で今は定年後の嘱託勤務。
管理職には進まず、ずっと技術職で現場にいる…という認識でいるけど、合ってるかはよくわからない。
管理ツールなど、時代に合わせて変化する部分はあるけれど、基本的な部分は大きく変わらないから、若手の方が有利、という分野ではないらしい。
例えば私は医療だから、相手をする人間の体が変化していくわけではないけれど、新しい知識や技術、注目されている治療法など時代における変化にはついていかなければならない部分は多くある。
経験年数は私の方があるけれど、新人の方が今どきの知見や考え方を知っているんじゃないかな、と思う。
資格をとってからもう15年以上。
医療の流れも変わってきている。
育児をしながらでも続けてきて良かったと思うのは、辞めたら復帰する勇気がなかったかもしれないから。
父が進んだ道は、経験のある父を必要とする人が多い様子。
技術や知識の変化が激しい分野だったら、あっという間に自分が古い人間になってしまったりもするものね。
必要とされなくなるって、心がポッカリしちゃいそうだもの。
父は今でも現役のようで、イキイキと仕事の話をした。
そこで、冒頭の言葉だった。
経験で学ぶものには個人差がある
人に質問をするときには聞き方がある。
自分が知りたい答えをもらうためには、どんな聞き方をすればいいか、どんな情報を伝えたらいいか、それが整理されていて、伝えられるか。
今の私にはその意味がよくわかるし、それが大切なこともよくわかる。
だけど、社会人になりたての頃は分かったかといえば、それがとても苦手だった。
多分、自分の中で整理できてなかったんだと思う。
その整理できてない、ということもわかってなくて、どうしたらちゃんと質問できるかも理解できてなかった。
困っているのに、解決できないってやつ。
そんなんね、学校で学ばないやつじゃん?
多分、いろんな経験をする中でそういう考え方ができるようになる人もいるし、
できなかったけど何かのキッカケでそれを学べた人もいると思うけど、
気づけなかったりそこに到達しなかった人もいると思うのね。
私は気づけない人で、経験をする中で、ああそっか、そういうことか!と知識と経験をつなげていくことで学ぶタイプだった。
父に言わせると、そういうタイプは成長が遅いし、経験しなくてもいい失敗をすると言う。
その通りよ!
でもその失敗も私の中ではいい経験値につながるのだけど、上から見ていると効率悪くてできないやつなんだろうな。
夫に聞いてみた。
質問ってさ、どうしてた?って。
夫「質問ってさ、自分が得たい答えをいかに聞き出せるかなわけじゃんか?
すごく考えるよね。」
私「そういうのってさ、いつから考えられた?
社会人になる前?」
夫「うん、そうだね。
そこは大事だって思っていたよ。」
そうかぁーーー。
やっぱりそう考えられる人は考えられてるんだな。
父「管理職とかで人を使う人は、自分が経験してないことをいかに経験しているかのように話すのが上手いよね。
実際にやるのは経験している部下だったら何ら問題ないわけだから、いかにそこへつなげられるか、それが上手いんだよ。」
なんかわかる気がするな。
夫もそういうポジションうまそうだもんな。
自分が動かないで、人を動かすのがうまい人っている。
私はダメよ。
自分が動きたい方だし、全体像見られないもん。
待つのも苦手。
なんかやっぱり適性ってあるんだよね。
人生の棚卸し中
私の父、母がテレビの話題を出した。
私は正直、今はテレビのことなんか興味がない。
ニュースは見る。
でも仕事で必要な医療の話題がメインかな。
夫はよく知ってる。
何でも知ってる。
脳みそが違うなーってよく思う。
父と母の話題にも答えてた。
そんな姿をよく見ていて思ったのが、
「私、興味がないことってとことんないんだ!」ってこと。
興味がないと掘り下げてこなかった。
表面的にできていればオッケーで、それ以上考えてこなかったことはいっぱいある。
正直、人にもあまり興味がない。
仕事で人と接していて、目の前にいる人にはもちろん興味があるし、自分の仕事をしっかりとやり遂げたいと思う。
でも、自分からテレビや本でいいなって思って深めていくとかない。
なんか、狭いんだなぁーって思った。
私、結構狭い世界に住んでたんだな。
40歳を目前に広がる世界
正直、今までは目の前のやるべきことにいっぱいいっぱいだったんだと思う。
次から次へとやることを引き寄せていたのは自分なんだけどさ。
とにかく行動と経験をしてきた30代まで。
それを元に人生の棚卸しと、これからの自分の人生を選択して、必要のないことは手放していく40代。
そんな時期なのかな。
誰だっけ…ユングだったかな。
40代前後を人生の正午って言ってなかったっけ。
人生の折り返し地点。
人生100年の今は、まだ折り返しとも言えないかもしれないけれど、そうやっていろいろ考える時期にきたのかもしれないなぁー。
今まで生きてきた自分を振り返って、こんな人だったな、こんな人生だったなって思って、じゃあこれからどう生きていこう?って考える。
仕事は大好きだし、それなりに勉強してきたと思ってる。
でも就職して5年で出産して、子育て中は学びながら続けることで精一杯。
気づけば15年以上になっているけれど、これといったキャリア形成ができなくて、できることといえば、多くの分野で仕事をしてきたから、どんな人でも治療ができます、ということくらい。
それから、人とのやりとりも問題なく可能です、くらい。
どこの職場でも多分大丈夫。
だからといってどこでもいいわけじゃない。
これからは自分で決めていかなくちゃ。
だけど、決め手がない。
私は「人」が見たかったし、「からだ」が見られるようになりたかった。
漠然としてた。
だってどこの分野に行っても楽しかったし、学びはあったし、強いて言えば職場の環境や組織の形の方に合う合わないがあったくらい。
でもそれも自分の働くカタチかもしれないなぁ。
今が幸せ、それが一番
夫「結局はさ、自分の力だけでは無理だよ。
学歴を持ってる人は頭がいいだけじゃない、親に経済力があったりとか、勉強できる環境があったりだとか、それだって必要なんだよ。」
私「うん、そうだよね。
自分の力だけじゃないよね。
そんでもって、そういう自分の能力と環境にいくら恵まれていて、とても優秀な学歴を持っていたとしてもよ?
その人が幸せな人生を送っているかどうかは、また別なんだよね。」
夫と話しながら、自分で自分に頷いてた。
私「私さ、今、夫と結婚してすごく良かったと思うし、3人の子どもと出会えたことも良かった。
自分のできなさ加減とか、子育てに軸を持てずにブレ過ぎちゃうとか、ここんとこすごーく向き合ってきたのね。
で、結局、うまくできないことも多いけど、私は今幸せだって思った。
それが大事なんだと思う。
できるできない、よりも、今幸せだと思えることを大切にしたいって思った。」
情けない気持ちとかうまくできない悔しさとか、最近はモーレツに感じてて、私って何なんだろって思ってたけどさ。
こういう結論に至れて良かったなって思う。
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