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【ADHD】余計な話はいっぱいするけど、肝心な話は出てこない

ADHDな私の体験談なので、思い込みとか成長過程での思考のクセとかADHD以外の要素も満載かもしれません。

いろんなものが勝手に結びついて、マイワールドで思考が展開されてしまうから、その辺を前提にお読みくださいね。

そして、まとまり悪いのでめっちゃ長文。

私のADHDっぽさをご堪能ください(笑)


あれ、何でそんなに自分がわかるの?

夫や長男と話していると、何でそんなに自分のことがわかるんだろう?

自分のキャパがわかってて「やらない」選択ができたり、自分のできないことがわかって「仕方がない」と思えたりしている。

実はその感覚、私にはないんです。

言われたらとりあえずやってみる、だってできるかどうかなんてわからないじゃん?というのが私の持論。

本当にわからないから。

だからやるんです。

その姿は果敢に挑戦するチャレンジャーに見えるらしいですが、やらなきゃわかんないでしょ、と思って生きてきました。

だから失敗はひといちばい多いと思う。


そして失敗を全て自分の能力不足で片付けてきました。

だからホントに苦しかった。

全てにおいて努力が足りないって、よく考えたらおかしな話なのに。


それは多分、自分の持っている能力ってこんなもので、これからやろうとしていることはこういうことで、きっとここが自分にとって難しいだろうな、この部分は計画的にやらないと失敗するな、みたいなダンドリがポーンと抜けているからなんでしょうね。

人の頭の中なんて見えないし、自分の思考も客観化できなかったので、今思うとあんまり考えられてなかったなぁーって恥ずかしくなります。


それでもね、学生時代って経験が大事、みたいなところがあるから、何でも挑戦するっていうのはそんなに悪いことではなかったんですよね。

班長の班長とか学級委員長とか議長とか文化祭委員長とか、気になることは何でもやってみたなぁ。


ところが仕事となるとそうはいかない…やる前にしっかりと道筋を立てて、予測をして、リスク管理もできないと厳しい目が向けられます。

学生時代をチャレンジャーで切り抜けてきたADHDの人が社会でつまずくひとつなんじゃないかなって思っちゃいます、勝手に。


夫や長男は全くの正反対で、物事をよく捉え、考えないと動きません。

とても慎重で、準備が整っていないことに対しては全てNO!

見ていてついイライラしてしまったり、何考えてるの?と思うことも多かったのですけど、周りがとやかく言わなければ彼らは自分のペースで自分のやれることをひとつひとつ着実に積み重ねていける人たちです。

協調性とか周りに合わせていくのは苦手だろうけど、ちゃんと自分を持っていて、自分を大切にできるんだよね。

それに気づいたときはスゴイなって思いました。

そして私って自分のこと、周りのこと、全然見えてなかったし、考えられていないのだなぁーと気づけたんですよね。

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状況を理解→思考するがうまくいかない

ADHDのある次男を見ていると、私もそうだったんだろうなぁー、と思えることがたくさん起こります。

彼の行動のキッカケは「目に見えたこと」です。

目の前の出来事にどんどん反応して、どんどん行動が起こります。

やっていいのか悪いのか、なんて考える余地もなく動いているのがわかります。

やってはいけないこと、を理解させたくて

「ご飯を食べているときに三男にちょっかいを出さないでね。

 三男はご飯を食べているときはご飯を集中して食べたいタイプだから、嫌な気持ちになってるよ。」

理由も説明し、感情的にならずに伝えていても

「オレはバカだから!」

と返ってくる。


単細胞か(笑)

もっと状況を理解してよーー。

と思う。

それくらい、理解が苦手。


私にもうっすら覚えがある。

親に怒られて、その内容よりも怒られたことにキレていたこと。

ムカつく、何でそんなふうに言われなきゃいけないわけ?

怒られた感情をそのまま跳ね返した感じだったと思う。

その感情いらない、そのまま返すわ、みたいな。

いわゆる逆ギレ。

何を言われたんだろう?と理解する力がついてきたのは結構あとのこと。

もしくは言われたときは理解できずに反応してて、夜ゆっくりと考えられる時間になって

「ハッ!そういうことだったのか?」

と気づくとか。

これは今でもよくある。


すぐに反応しないことが大事。

特にマイナスの感情を抱いたときには。

それがわかっていても、心がざわついていたり、メンタルが落ちているとそのブレーキも効きづらくなって、反応しちゃう。


自分がしたことの意味がわかってない小学生くらいまでのときは、親には逆ギレし放題、外では怒られながら少しずつ適応していったと思う。

中学ではやったら褒められることを中心に行動するようにしてた。

自分なりの生きるスキル。

でも自分のしたことがわかるようになってくると、どんどんと苦しさばかりが募るように。

これはいろいろ見えてきた今の方がキツい。


次男を見ていると自分が子どもの時にしてきたことと似ていてわかるから、次男のよき理解者になれる良さはあるのだけど、自分が苦しい。

こんなにもわからんちんだったのだなって。

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次男への支援

次男に伝えたいことは言葉よりもメモの方がすんなりいくことが多かったかな。

余計な感情のやりとりがなく、シンプルだからだと思う。

何か理解して欲しいことがある時は、状況をイラストで描いて、それぞれの人のセリフとその意図をモクモクで言語化してわかりやすくすると理解を促せた。

パパが怒って次男が逆ギレしたときは、その状況と、「何でこんなことを言ったかというとパパは次男にこうなってほしいという想いがあるからなんだよ」って、イラストがあると全体像と親の気持ちが理解できた。

もちろん本人の気持ちを聞くことも忘れずに。

だからこんなことも一緒に考えたよね。

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でも次男に話していて、なかなか難しいことだなぁとも思った。

そもそもこういうことに興味がないから。

そうよね、私だって子育てしていて必要だから、今やっと学ぼうとしているくらいなんだもの。


私が苦手なことはこういうことなんだと次男を見ていてやっと理解したこと↓ 

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ありのままの現実と憶測がごちゃ混ぜになって混乱するメカニズム、の図。


リアルタイムでのやりとりで、目の前のこと(表情とか言い方とか相手の性格とかに)に反応せず、状況を見る視点の切り替えや周りの人の頭の中を考えること、ちょっと時間をおいて反応することはかなり難易度が高い。

何かが起こった状況でどう動くとよかったのか、と伝えても次男の否定につながってうまくいかない。

結局、何がいいのか考えると次の3点がすんなりいくと気づいた。

① 次男を見ていていい行動ができているときにそれを伝えながら、それのいい点はこうやって考えて行動できているからね、と解説する。

② 行動する前に、理由とともにこういう場面ではこうやって動けるとカッコイイよね、と怒られずにいられる行動パターンを一緒に考えておく。

③ 起こってしまったトラブルに関しては、正すというよりも本人の気持ちやなぜそう動いてしまったかの理解に重点を置き、本人に考えさせて、それを認める。


でもこれは周りの人間にとって難易度が高い。

どうしてもやったあとの行動に目が行きがちだし、次はやらないようにしてほしいがために正しい行動を促しがちだから。


そうなると無難な線でいくと、周りはやったことにはある程度大きな気持ちで許容しつつ、良かった行動に注目してその行動を強化していくことが大切なんだと思う。

で、可能な範囲で事前にルールを確認したり、本人の気持ちを聞きつつも適切な行動とは何かを伝えていく。


結局療育で言われてきたことにつながっていくのだけど、成長段階で、今度は自分で考えさせることもしていく必要があると思っていて。

手厚い療育から離れた小学校から中学校くらいでは、少しずつ「適切な行動」だけではなくて、自分の気持ちとのバランスも考えられるといいって思う。

それができなかったから、私は優等生化し、ダメと言われていることに怯えるようになったんだもの。

いい、と言われることしか外ではできなくなってた。

それが今でも根本にあって、人の表情や評価、考えていることが気になってしまうし、常に自分はダメなんじゃないかと不安がベースにある。

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「腹痛」や「便秘」、胃や腸のトラブルもSOS

思い出すと、学生時代、キリキリとした胃痛によく悩まされた。

母はそんな私に

「私もよくある。ホラ、これよく効くよ。」

と大正漢方胃腸薬を差し出した。

なんかあったの?とは聞かれなかった。


高校では対人トラブルで常に便秘だった。

2週間出ない→金曜日の夜コーラック→激しい腹痛で早朝目が覚め、冷や汗とともに出す

ということをしていた。

つらかった。

もっと親身になって欲しかったと思ってた。

「私にもよくある」じゃなくてさ、目の前の私の状況を確認してよ、何でそうなってるのか聞いてよって。

そうやって、もっと私を理解してくれたら良かったのに、と思う。

高校の便秘のときはストレスの原因が明確だったから、もっと積極的に関わってくれたらって…異様な過食の姿を見て、ヘルプを感じて欲しかったって。


その一方で、実は母も母なりに私に向き合ってくれてた姿を思い出す。

私は日頃あった嫌なことをためきれずに、エピソードとしてよく母に話していて、よく付き合ってくれていたから。

私の想いが伝わらないときは、母の反応にいちいちカッとなって反応し、話は明け方まで終わらない時もあった。

自分の気持ちを出し切るとスッキリして、また翌日からはいつもの自分なのだけど、そうやって話をしたときは感情あふれて泣きじゃくっているので、翌朝は目が開かないくらい腫れていた。

そんな自分が嫌だった。


でも母親の立場になって思う。

母として私にはそれはできない。

寝れないことが私には大きなダメージだから。

だから、母は母なりに私と向き合ってくれてたんだと思う。


でも私がして欲しかったのは、あふれる感情の代弁と自分ではわからない自分に気づかせてくれること。


冷静に考えると、ここまでのことはできる親とできない親がいるのはわかる。

私も素ではできない。

だから余裕がないとできない。

次男に対しても、やるべきことはわかっていたって時間がなくて後回しになっていることがたくさんある。

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夫が親代わり

親にできないことがあっても仕方がない、と思えるようになったのは、自分が親になったから。

親は完璧じゃない。

だからこそある程度大きくなったら、その足りない部分を補うために親から離れていろんな人と出会い、バランスを取っていくんじゃないかな、と思う。

私は人への不安が強かったから、なかなかできないことも多かった。

あと、どうしても感情そのままに伝えてしまう自分が相手を傷つけてしまうこともわかったので、友だちに相談するときはなかなか勇気がいった。

そんな私にとって、親にはなかった感覚や視点を与えてくれたのが夫だった。

夫は私の感情があふれたとき、絶対に反応しない。

聞いてるの?というくらいに。

反応があるとそれに反応してどんどん違う方に話がそれていくことが多い私にとって、それは自分の想いや気持ちを出し切るのにとてもありがたかった。

(最初は親との違いに戸惑って、何で反応しないの?と突っかかったけれど)

で、全部聞いたあとに、それってこういうことなの?とまとめてくれた。

私が知りたかったのはそれだった。

こうした方がいいとか、世の中はこういうもんだ、ではなくて、自分の考えてることを客観化して欲しかっただけだった。

ああ、自分はこういう気持ちだったのか、と思うと気持ちも落ち着いた。

親とのやりとりでは泣きじゃくって、モヤモヤすることも多かったのは、わかる形で気持ちを受けとめてもらえなかったからなんだとわかった。

夫との話では泣きじゃくることはあんまりなかった。

長くなりがちな話も、出し切るとそのまま寝てしまうことも多かったくらい←言うだけ言って寝るのってヒドイのだけど。

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結局何が言いたいかって言うと?

いろんなエピソードが思い出され、わかってもらえなかった気持ちを消化したいだけの記事のようになっちゃった。

でもね、言いたかったことはよく喋るし、フツーに意思疎通できてるように見えて、私も次男も本当にわかってもらいたいことっていうのはうまく話せてないってこと。

それが言えないからではなくて、わからないから話せないってこと。

わからないのは思考の弱さと自己認識の弱さじゃないかと思っていて、人に聞いてもらうと意外とすんなりと言葉になったりするから、余計なフィルターかけずに聞いてほしいってこと。

心が決まったら動くパワーはたくさん持っているから。


そして何より、大人になったらそれを自分との対話にしていけたらいいんだろうなって思ってる。

今、私はこのnoteでそれを実践してる。

最後は自分自身に言葉をかける。


この記事の途中にもあった次男への配慮のように、私自身にも

「結果で判断しない、できていることに注目する」

をしてあげよう。

子育ても家事も仕事も全然できてない、中途半端、失敗した、じゃなくって!


今日は次男と笑顔になれたよ、

今日は長男とUNOで白熱したよ、

今日は夫の好きなご飯を作ったよ、

今日は仕事で苦手なことをクリアしたよ、

今日は余裕なかったけど無事にこなせたよ、

今日は三男とふれあい遊びが楽しめたよ、

今日は大切な気づきがあったよ、

今日は苦手な面談終わらせたよ、


ひとつひとつやったことに花丸!

どんなに小さなことでも積み重なってるもん!


次男によく言ってるじゃない?

「人には得意と苦手がある。

 得意で頑張って、苦手なことは人の手を借りよう。

 で、ひとつひとつやってきたことに花丸していこうね!」


私にも花丸!!!

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