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人は生まれながらに価値がある

子育ての困り感で相談すると、我が家の息子たちは3人とも発達障害と診断を受け、フォローしてもらってきました。

そんな中、私は母親としてどんな子育てをしたらいいのか悩み、最近、私が私らしく生活していれば良い、という結論に至りました。

そして、私の困り感と向き合えば向き合うほど、子育てに生きるし、私のステージが上がるほど客観的で冷静な物の見方ができることを発見しました。

そんな私の今の気持ちを記事にします。

心の中を言語化しただけなので、読みにくくてすみません。


精神のレベルが高いと感じる長男

長男は現在小学5年生。

知的に高く、繊細で人の気持ちや感情にとても敏感で、だけど行動や表情には全く出ないというわかってもらいにくいタイプ。

話すと私よりも物の道理をよくわかっているし、人の気持ちを思いやれているし、葛藤のレベルも高い。

小学生がまさかこんなことで悩んでいないだろうレベルで悩んでいる。

なんなら、私が30年以上かかってやっと理解したり気づいたりしたことを彼は小学生でわかっている。

先生にも気を遣えてしまうものだから、彼の本音が伝わらない。

今は不登校になっている。

私は彼の場合は仕方ないと思う。

彼の理解者になるのは難しい。

学校に居場所を作るのも難しい。

彼の場合、家で通信教育を利用してそこそこ学びながらも、毎日笑って生活できたらいいのだと思う。

家にいても、今はインターネットを使えばなんでも専門的に学べる。

自発的に学ぶ時が一番吸収するし、生かせると思っているから、今は家という安心な環境で、可能な限りいろんなことを知ればいいのだと思う。

私が仕事から帰ると、彼はテレビで得たニュースを伝えてくれる。

それについてどう思う?と聞くと、感心するような言葉が彼の口から出てくるので、これも学びだと思えるようになった。

直接やりとりを強制されないテレビで、彼は安心して情報を入手できるのだと思う。


彼にとって安心してアウトプットできる場がある、それがとても大切だと感じた私は、彼が安心して話せる母親になろうと思った。

8年かかった。

今はそれがいい感じなので、少し幅を広げる段階に進めてみた。

現在は週1回1時間の個別の学校登校と週1回の放課後等デイサービス(特別な時間設定)と2週間に1回のスクールカウンセリングに通っている。

無理のない範囲での社会とのつながりを意識して、この形になった。

今は刺激の少ない空間で個別での対応、が基本になっている。

彼は人が多いのを嫌う。

小学校に上がる際も、10人以下の環境でないと通えないから、という本人の意見で個別級を選択した。

今は完全に個別対応。

個別級で良かったと思う。

色々と手厚いし、普通級では対応できないこと(6時間目登校で担任とマンツーマン授業とかね)も、個別級では対応可能だから。


知的に問題がないのに個別級に通うこと、きっと理解できるだろう勉強に参加できないこと、その壁にずっともやもやしてきたのは私だった。

私は誰よりも天才になりたくて、誰よりも努力しようとしてきたから、できるのにやらない選択をする人がいることが信じられなかったみたい。


できるのにやらない代表は夫だった。

能ある鷹は爪を隠す、ということわざがなぜあるのか、夫を知ることで深く理解できた。

夫を見ていてわかったことはたくさんある。

できるのにやらないと常に余裕が生まれる。

心には波が立つことが少なく、最低限で省エネで生きていて、言葉も表情も行動も全て私からすると足りないくらいささやかだった。

夫を知れば知るほど、私には考えたことがない世界が広がっていて、そんな生き方もあったのかと驚いた。

正解なんてない。

自分を知り、自分らしく生きられたらいいのだと思った。


長男は人との関わりに不安が強い。

ここはゆっくり向き合っていくとして、今は家族との関わりや限られた人との関わりを楽しむことが大切だと思った。

今、長男は家で自分のペースで過ごしている。

昼夜逆転することもなく、自分の好きなことや課題をやりながら、家族と大笑いする時間がとても増えた。

私の冗談が結構ツボにハマるらしくて、長男のツボにハマる話ができるとめっちゃ快感だったりする。

ここまで10年かかったけど、築いてきた土台は悪くないと思う。

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今を生きるのがうまい次男

現在小学3年生。

トカゲや昆虫などを毎日取ったり世話したりして過ごす自然派。

性質は見るからに私の血筋(笑)

知的には問題ないけど、多動・衝動・不注意が甚だしい。

そして表情豊かで感情の波が激しい。

気が向かないとやれない。

あと、基本、今のことしか考えていない。

あと30分以内に宿題が終わらないとアイスが食べられない、という状況でアイスには目がない次男なのに、目の前の物(三男の動きやテレビ)に目を奪われて30分を終え、大泣きの結末・・・。

笑うしかない、ホント。

大人になるとね、回り回って元に戻れるようになるから大丈夫(笑)

→洗濯物を片付けていて、キッチンに置きにきたら目についた洗い物をやり、洗い物の中に幼稚園のものがあったからバッグにしまいに行くと部屋の汚さに気を取られて片付け、ゴミを捨てにキッチンまで戻ってくるとご飯の下ごしらえを始めてしまい、あ、フキンがない、と洗濯物に戻ってくる。

それに、本当に大事なことはちゃんと頭にあるもので、やらなきゃと思えばアレクサを頼ったり、メモを頼ったりするようになる。

自分ごとにさえなれば、やらざるを得なくなってくる。

だから母親は子どもの仕事を取らなければいいんだと思う。

失敗の多い多動、衝動の強いタイプはブレーキがなかなか効かないからつい止めようと母親が頑張ってしまいがち。

衝動は頭でわかってても自分で止められないことはたくさんある。(大人になってからだってたくさんある)

そんなとき、親に止めてもらえると思うと他人に依存したくなる。

だって自分でブレーキかけられないんだもん。

もちろん、誰かに助けてもらうのも大事。

こんな状況のときはこんなふうに声かけしてほしい、とかね。

だけどそれに頼りすぎると自信をどんどん無くしてしまう。

むしろ小さな失敗をたくさんやる方が力になったりする。

経験ってかけがえのない宝物。

それに強烈なブレーキになるのは失敗体験をしたときの感覚だったりするから。

もうああはなりたくない、という力は偉大だと思う。

そういうパワーって、動きが大きいADHD気質の子には備わっていると思う。

だから日頃から小さな失敗体験はたくさんあっていいと思うし、そこに親が過敏になる必要ってない気がする。

そして失敗したときは、「ほれみろ!」と怒るのではなくて、どんな行動をしたら防げたのか一緒に考える時間にすることが最大の学びだと思う。

失敗体験そのものよりも、それに対して親が勝手にそれを失敗と位置付けたりダメだと烙印したりすることの方がダメージ大きいもの。

親が失敗を見ていられないのは親自身が失敗に対する恐怖が強いからじゃないかな。

私もそうで、幼い頃の怒られた経験が強烈だから子どもの失敗がダメージ大きかったんだと思う。

親になると世間体や学校の先生に対する目と怒られたくない気持ちが、子どもの行動の先回りをしがち。

でも大丈夫。

ママは怒られないし、子どもだって学ぶ。

私は失敗を恐れる本人を目の前に

「失敗したっていいんだよ。そこから学ぶことが多いから。今何ができるかな、次どうしたらいいかなって考えることができる方が大切。次男は今、それができていたよ。ママも苦手だから、一緒に考えようよ。」

そう言えたとき、自分の中の何かが変わったと感じた。

これは私に対する言葉(→思考の上書き)でもあると思った。

子育てを失敗したらどうしようという不安があったし、小さい頃は多分感情的に叱られてきたんだと思う。


ADHD気質の子はいつだってドラマチックに生きてる。

失敗や悲しいこともドラマで、気持ちさえ切り替わればいつもの自分に戻れたりする。

だから少し距離を置いて眺めていて、ヘルプがあったときに一緒に考えたり、新たな視点を与えられるような一言をポンって目の前に提示できたらいいんだろうなって、今は考えてる。

そして、刺激をたくさん受け取った日は感情がざわついてる。

そういうときは一人の空間で好きなことに没頭させてあげるのがいいかなって思う。

心地よい感覚や満たされた感覚が大事だと私自身も感じている。

気持ちのコントロールさえうまくいけば、鬼に金棒、どんなことにも頑張れそうな気がしているから、そこのコントロール(自分をご機嫌にするスキル)を少しずつ親子で考えていけたらいいんだと思う。

あ、怒りの感情を抑える学びだけはダメ!

真面目で怒りをなくすことにパワーを注いでしまったりするから、怒りが湧いたときの罪悪感が半端なくて、自虐モードになるか、他責モードになるか、依存モードになって苦しみが継続する。

怒りを認めて、その後の気持ちの切り替えを大切にしするのがいいんじゃないかなって感じてる。

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支援が厚く悠々と生きている三男

3人目はきっと特性を持っているだろうと覚悟の上で産んだ。

三男がおそらく一番分かりやすいタイプで、支援しやすいタイプで、温和だから愛されるタイプ。

知的に遅れがあって、ルーティンが得意。

穏やかだけど不安が強く、初めての人や物には拒否的。

3歳半だけど、言葉は1年以上遅れがある。

2語文がちょこちょこ出るくらいで、基本要求。

理解は単語レベルかな。

言葉で伝えるより、写真やイラストの方が断然早いし正確に伝わる。


家族の生活リズムに合わせて動く、ということはほとんどない。

自分が食べたい時に食べ、(それ以外は頑なに拒否)夜はなかなか眠れない。

言葉が伝わらないから、こちらの指示が難しい。

ルーティンになれば強いけれど、そこまでどう積み重ねるかが大変だったりする。

でも基本素直で、表現も可愛らしいので我が家の癒し系でもある。

困ったらイラストや写真で伝える。

最近は数字を理解し、順番を覚えたので、順番を図化して、途中や最後に楽しみを加えたら結構いい感じで取り組めたりする。

療育の王道パターン。

こんなにも言葉での指示とイラストの指示で入り方が違うのか、とびっくりするくらい。

例えば、アイスとかヨーグルトを要求され、1つ渡すと、食べ終わった後にもうひとつ!となることが多い。

単純にお腹が空いていて、食べたいんだと思うけど、ヨーグルトは1つでおしまい、ということを伝えるとき、いくら指と言葉で「ひとつね!ひとつでおしまい」と伝えても要求は収まらないけれど、カードを見せると納得して「ご飯にしよう」「グミ1つね」とこちらの指示が入るようになるから不思議だ。

目からの情報に強いというのはこういうことなんだと思う。

まあ、私も会議でただ話されるよりも資料付きで目からも情報を入れられると整理の度合いが全然違うし、集中できるから理解も深い。

キャパに余裕もあるから感情的にならずにも済む。(そんなふうに考えるのはおかしくないか?みたいな)


この三男は現在幼稚園年少で、集団活動は難しいことが多く、支援が必要で、幼稚園の先生の手厚いサポートに私もありがたく思う毎日。

今後も支援が必要になるのは目に見えているし、普通級で学ぶ姿が想像できない。

でもなぜか大丈夫という安心感がある。

わかりやすいのと、マイペースを守れる力があるのと、要求がうまいから。

今後、やりとりに力がついてきたら、人にうまく頼りながら何とかやっていけるような気がしている。

上二人と違って、人への不安や恐怖心が感じられないため、環境のレベルを彼に合わせてあげたらその中で成長していくだろうし、人との関わりは伸ばしていけるような気がするんだと思う。

長男は愛されるタイプだったけれど、彼が愛されるのを嫌ったから、人との関わりが難しいと思った。

次男は愛され方を選ぶタイプだと思う。

三男はその点、素直な気がする。

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子育てで一番大変だったのは、私の中の子育ての価値観を打破すること

私の子育てのイメージは母しかない。

価値観も強く影響を受けている。

そんな状態で、特性全開の子どもたちを育てるのは大変だった。

母以外の考え方や価値観など新しいイメージをインストールするしか、打破できなかった。

最初は夫の姿。

私とは全く違う関わりをし、結果的に夫の方が程よい距離感で子どもの反応もよく、自分も苦しくならない立ち位置にいる。

そう、距離感の取り方が絶妙なんだ。

私とだってそう。

私は最初ガンガン近づいていってしまう。

自己開示に抵抗ないし、初対面の方が自分なりのやり方で近づける。

相手がだんだん見えてきて、自分への反応もわかってくると、相手に微妙に合わせようとしなければならない気持ちになって、苦しくなってくる。

相手に居心地がいいように自分をコントロールしながら付き合ってしまい、結果相手は近づいてくれているけれど、自分が苦しくなってしまうため、自分から離れていく、そんな関係を築くことが多かった。

なので、離れる前に学校やクラスが別々になった、という程よい距離でいられる関係になった人たちとはいまだに時々やりとりしたり、会ったりしてつながっている。

それが夫とは違った。

私が近づきすぎるとスッと距離を置き、私が苦しくならずに済む(心は寂しくなるのだけれど、それがまた新鮮な気持ちになれていい)。

で、離れすぎると夫からちゃんと向かってきてくれる。

絶妙!!!

ここをコントロールしてもらえると非常に心地いいことに最近気づいた。

近づきすぎることのブレーキが私は甘いので、スッと引かれるのはショックなのだけれど、結果的に嫌な関係にならずに済む。


私は勉強会などで理論は学んだけれど、夫の背中や言葉が一番響いたと思う。

自分にない視点ばかりで、言葉の選び方もやっぱり絶妙だったから。


夫のことはずっと大切にしたい、そう自然に思えて、そう思わせてくれる夫に心から感謝なんです。

ADHD気質のパートナーを持つ人は忍耐強くある必要もあって、一歩引く大切さをわかっていて、パートナーの笑顔で頑張れる人じゃないとしんどいだろうなって思うんです。

ホント、夫の忍耐強さはピカイチ。

夫の苦手や得意と、私の苦手や得意が、鍵のようにカチッとハマったから、こんなにもお互いを尊重しあえ、助け合えるんだと思っています。

あ、不思議、夫の話になったら敬語に戻った。

でも多分、そんな感じ。

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これからの方向性


この記事で書いたのですが

最近、私生まれ変わっちゃったので、新しい視点で、今後のことを考えています。

そもそも今しか生きれない性質だから、何年後、とか考えられないのですが、

「目の前の人を笑顔にすること」

これをとにかく積み重ねたいと思っています。

私が好きなことで、モチベーションも上がることで、生きていて良かったと思えることだから。


今は朝トレで、私にできることと言ったら筋肉の声を伝えることだから、それを通して笑顔が増えたらいいと思っているのだけれど、子育て中で笑顔が欲しいママの役にも立てたらいいな、なんて思ってる。

私自身が社会的に良いこと、をとにかくこなして、結果出して、それがいいことだと信じてきて、でも子育てには全く通じなくて(子どもといい関係が築けなかったから)ずっともやもやや苦しみを抱えてきたから、同じような人の話をうんうんうなずいて、そうやって葛藤しながら子どもと向き合っているあなただから絶対に大丈夫って伝えたいし、私になくてあなたにあるとってもステキな部分を見つけて「これがすごい」って言いたい。

いつかそんな活動ができるといいな。


あとは家族でずっと笑っていたい。

今までは自分が一番笑えていなかったから、今までの分もたくさん笑いたい。


ママが笑顔が一番っていうでしょ。

あれさ、そんなのわかってるじゃん。

でもできないから困ってるじゃん。

リアルでの付き合いで、ガッツリネガティブなんて出せないじゃん。

出せる友人がいたら困らないんだよ。

私は友だちいても、子どもが特性あって困っている話は簡単にはできなかったよ。気を使わせるのわかってるし。

支援者もやたらママ頑張ってるよって姿勢の人は信用できなかった。

頑張らないと生活できないんだって、死活問題なのよ。

何が一番大変?って聞いて、吐き出させてもらえるのが一番ありがたかった。


結局、目の前の問題は問題じゃないことが多い。

目の前の問題に向き合おうとするより、いろんな視点に気づかせてもらえる環境がありがたいって思う。


心の吐き出し記事にお付き合いいただき、ありがとうございました!

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