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学校に行く必要がないと考えている長男との外出

学校には行かず家でもできることを重視する長男。

コロナ禍ではそれもひとつの考え方だと実感する。

だからその考え方は尊重したい。

でも長男はまだ小学5年生。

知らない世界はいっぱいあるのに、小さな世界で完結するのは早すぎる。

そんな長男と過ごす平日の話。


我が家の基本スタンス

長男は小学4年生の5月から、学校に行かない選択をした。

我慢しすぎた結果だった。

理解がなかなか得られない環境でよく頑張ったと思うけど、すっかり人間不信になってしまった。


もともと人の多い環境は苦手だったし、繊細な心の持ち主だった。

親としてできる限りのことはしてきたつもり。

それでも難しいことが世の中にはたくさんあるんだ、と私は学んだ。

親にできることは限られている。

むしろやらないで見守り、本人のタイミングで行動することを尊重した方がいい場面だってある。


私は平日4日、午前中は仕事に行っている。

長男が家にいるようになり、辞めようか迷った。

長男が体調悪そうなとき(熱はない)、出勤して何かあったらどうしようと不安に駆られたときもあった。

平日、どこかに出てくれていた方が安心、人の目があるから。

それで主治医に相談した。

主治医は長男との連絡手段を整えることを推奨した。

外に出ることを促すわけでもなく、私が仕事を辞めることを示唆するわけでもなかった。


それでも私の心は親としてどうすべきかグラグラしながら今に至る。

長男にはいろんな世界を知ってもらいたいと思う。

一度体験しておけば、次に行動を選択するときのイメージもつきやすい。

でも家にいたら私のそんな気持ちがたくさんあふれてしまって、長男には刺激的過ぎると思う。

仕事を続けて適度に距離を置きつつも、時々は深い話をしてみたり、外に連れ出してみたり。

そんなスタンスがお互いを尊重できていいように思う。

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今日の試み

コロナ禍で緊急事態宣言が出ているのに、何やってるんだと怒られるかもしれない。

なかなか休みが取れない私の仕事で、急に休みが取れたこと、長男の精神状態が比較的いいこと、それでいて長男の心と環境がちょっと閉鎖的になり過ぎていることが気になっていて、この予定を立てた。

外出計画。

週末よりも人出が少ない平日だからこそ、できるとも思った。

長男は極力人を避けたいし、外出先ではトイレも入りたくない、そんな長男に休日の外出はハードルが高い。


普段、ほとんど家から出ない長男の体力はかなり落ちていることが予測された。

好きなパソコン関連の機器やマンガ関連、ガチャガチャができる〇〇が行き先だから行くって言ったようなものだった。

電車に乗って出かけた。

私も電車は1年ぶりかもしれない。

しばらく家周辺から出ていないもの。

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素直な気持ち

電車に乗る前に

「気になる本を買っていこう。

 電車で読んでもいいしね。」

と言って、駅ナカの本屋に寄った。


私は本屋がとってもスキ。

いろんな本に出会えるし、パラパラっと中身を確認できたりするし、今のトレンドもなんとなく感じられる。

何より今の自分にピンとくる本に出会ったときに

「ああ、私に今必要なのってコレなんだ!」

と改めて自分を知ることができるよね。


長男の興味が今何にあるのか知りたかった。

いろんなカテゴリの本を見せたけど、全く興味がなかった。

アニメやマンガのコーナーで、人物の描き方が載っている本に出会って足を止めた。

「オレは今、マンガが上手く描けるようになりたいんだよね。

 この本いいな、コレで勉強する。」

「オッケー。

 1000円は図書券で出すから、残りは自分で出してくれる?

 好きなことは応援するけど、好きなこととおうちでの勉強、外での体験、このバランスは少し意識しながら生活してね。」

ひと言多かったかなぁ、と思った。

でも素直な気持ちだった。

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帰ってきて思ったこと

正直、やっととれた自分の休みを子どもに使うことに迷いはあった。

私だって好きなことに使いたいよ、と思っていたから。

揺れ動く中で長男との時間を大切にしようと思ったけど、このコロナ禍でのこの行動、あまり言いようには言われなかった。

わかってる。

私だって悩んだよ。

でも今このときに長男には必要な気がしたんだよ。

もうこのまま家から出て行けなくなっていきそうな長男に、なんとなく危機感を感じたんだよ。


だけど実際に行ってみて感じた。

やっぱり長男にとって外の世界というのは過酷なんだ。

私が当たり前のように過ごした外での青春時間は、長男には訪れないのかもしれない。


そんな生活も生き方もアリだ。

食べていけるだけの収入があれば、なんとか生きていけると思う。

その収入だって、今からいろんな世界にアンテナを張って親子で生きていけば、何かしら見つかる気がする。

私だって体を張って仕事をしている身で、もし体が使えなくなったら他に何のスキルもないのだから同じようなものじゃないかな。


起業を考えたときもあった。

やるしかないとも思った。

だけどマインドが全然整わなかった。

それでもやるしかなかったらやったと思う。

私は最低限の平和な日々を選んだ。

その中で思ったんだ、人は今の最適をどこかではちゃんとわかってるんだってこと。

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母親として、ひとりの人間として

母親として頑張ってるつもりだけど、思うようにはならない。

そんな思うようにはならない現実は私が今まで避けてきた世界でもあるな、と思ったりもする。

私は思うようになるところでしか努力をしてこなかったのかもしれない、と感じるから。

勉強を頑張ればそれなりに成果は出るし、医療技術職の資格取得も相当努力をしてきた。

指導者とのコミュニケーションの不和が原因で実習が不可になったりもしたけど、なんとかやり抜いた。

ホントはその実習の失敗で気づくべきだったかもしれない、自分だけではどうにもならないことが世の中にはあるんだって。

だけど、先生に止められても再挑戦することにして、やり抜いた。

厳しい条件もなんとか乗り越えた。

それだけやってきた私だから、きっと結婚も子育ても大丈夫、そんな根拠のない自信ばかりあふれていたのかもしれない。

そんな私に現実を教えてくれ、ちゃんと地に足がつくようになったのは子どもたちのおかげだった。


自分の考えをしっかりと持ち、学校に行かない不安を抱えつつも学校に行く意味はないと断言する長男。

学校に全く行かないよりは、ギリギリ可能と思える頻度で人に会わない環境で少しでも学校の雰囲気や先生との関わりを細々とでもつないでおきたい母親の私。

これが2人の間の折り合い地点。

子どものためなんだかよくわからない選択で(いや親の想いもあるし、保険をかけているような感覚かもしれない)いつもブレブレな私に

「オレもそれがお互いの妥協ポイントだと思う。」

と背中を押してくれる夫。


悪くない環境なんだよな。

この状況で何かが悪いとか、そういう原因探しじゃないんだよな。

結局やれないことはやれないし、できることを積み重ねていくしかないんだ、と言い聞かせる。

そんなふうにいろんなことが頭の中をグルグルと回り、ため息をついてから結論に達した。

今日のは長男のためというよりは私のためだったな、と。


長男という人間を知る時間だったんだ。

そういう時間があっていい。

そうやってお互いにとって心地よい距離感を探りながら、長い長い親子の時間をお互いに嫌なものにならないように、そしてお互いに人生を無駄にしないように、バランスを取っていくんじゃないかと思った。

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今日飲んだフレッシュネスバーガーのレモン&クランベリーソーダ。

はちみつが口の中に広がって、気分を柔らかくしてくれた。

私の青春ドリンク、ハニーオレンジティーはメニューになくなっちゃってた。

あの頃には思い描けなかった今の自分。

いろいろあったんだけど、それが私らしいのかもしれないって思う。

レモン&クランベリーソーダの最後のひと口がたまらないほど甘酸っぱくて、今の自分、悪くないなぁって思った。


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