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年々深まる夫婦愛からの考察

先日の選挙の帰り、夫に手をつなぎたいなって甘えたら恥ずかしがりながらもつないでくれた。

つないでいない方の手には、ファミマのパイナップルフラッペ。

2人でひとつを飲みながら、手をつないで家に帰る。

すごく幸せだった。


つないでいる手がね、20代のころのギュッとつないでるのとは違ったの。

包み込むような感じで柔らかくて、私の指一本一本を優しく撫でてくれる。

時々お互いに見つめ合っては、なんかいいよね、この時間が幸せだねってニッコリできてね。

結婚して15年。

いい時間を積み重ねてこられたように感じてる。

それってどんな時間だったんだろう。


大変なこともいっぱいあったし、離婚の二文字を言葉にしたこともあった。

その中でもがいて悩んで向き合ってきたからこそ今がある。

今までの想いをふいに言葉にしてみたくなったから、記事にしてみようと思う。


寝る前のキスの時間が好き

最近、必ず寝る前にキスをしてる。

今までは、お互いにストレッチしたり、マッサージし合ったりと、身体の疲れを取る時間だったんだけど、そのあとに

「お互いに今日も頑張ったね。」

ってね、いたわりの言葉をかけ合って、キスをするようになった。


身体に触れる手が、私を愛おしく思ってくれてるのをすごく感じる。

私も夫に触れる。

全てが愛おしいと思う。


長い年月の中で、夫は私のことを全面的に信用してくれるようになってきたって感じてる。

私も夫を表面的な部分だけではなく、見えにくかった内面を理解して、心から尊敬するようになった。

出会ったときは大恋愛ではなかったけど、2人とも「一緒にいられるのはお互いしかいない」と思っていて、ずっとお互いにベクトルが向いていたことも良かったんだと思う。


努力次第ではない

ただね、こうなっていきたいとは思っていたけど、いろんな条件が重なって、運良く上手くいったに過ぎないのよね。

努力だけでどうにかなるものではないんだろうなって感じてる。

だからこそ、直接関係のないありとあらゆるものに対しても、感謝の気持ちを持ちたいと思うようにもなってきた。


昔は努力すれば結果が伴うと思っていたし、やらなきゃ上手くいくわけないと思い込んでたよね。

だから上手くいかないことは努力不足と勘違いしていたと思う。

今はね、いろんな要素が絡み合うことだから、そういう流れにあったんだとそのままを受けとめるようになってきたよ。

だからきっと捉え方次第なんだよね。

私たち夫婦も捉え方次第では、全然かみ合わないし、行動も違うし、お互いに違う方向を向いてると思う。

だけどお互いにその捉え方を選択してないんじゃないかな。


ADHDな私でよかった

内省が得意な夫は、いつも穏やかで安定した毎日を送れる人。

でも全て自分で完結してしまうからかな。

自分の気持ちや考えをなかなか私には伝えてくれなくて。

私は寂しかった。


私がADHD気質を持ってて良かったと思うのは、夫婦関係において。

社会では本音ってあまりいい顔をされないよね。

言い過ぎると引かれるし、その場に合った言葉や反応、行動というものが存在してる。

だからね、私、この特性であんまりいい経験してないと思うのね、社会では。

社会におけるちょうどいい加減を振り切ってる感覚があるんだ。


でもね、近い関係において、特に相手があまり自分を出さない人の場合、それを察して同じ距離感でいるよりも、押しては引いて、また押しては引く、その中での行き違いと丁寧に向き合う、そういうやりとりが大切じゃないかな。

私は距離を置こうにも、衝動性が強いから、無視しようにもし続けられないし、黙っておこうにも黙っていられない。

言っちゃうけど、それは夫といい関係を築きたいから。

その気持ちだけはずっと伝え続けてきていて、夫も私のグイグイっとくる強さに引きつつも、私の人となりを理解してくれたんだと思う。

そういうやりとりがなかったら、今のカタチには落ち着いてない。

距離があって、年々よそよそしい感じに変化してたかもしれない。

だから、多少やり過ぎな感じでも理解しよう、わかってもらおう、関わりを持とうとしてきてよかったんだと思う。

これは社会において良くないなって思う自分の特性が、いい方に影響したかもしれない、と唯一思えること。


最初は宇宙人のように思えた夫

ものすごく失礼な話だけどね、夫と結婚して一緒に生活や子育てをするようになった10年前くらいはね、夫のことを「宇宙人」とか「置き物」とかって感じてたの。

結婚を決めたときは自分に必要な人だと思ったのに、同じ方向を向いて一緒に家庭をつくろう、子育てをしていこうってなった途端、スピード感も物事の感じ方も全然違ってて、足並み揃わないし、動きも違ってて。

私が考えて動くのが早すぎて、というかそれくらいのスピード感でやらないと生活って回らないと思うのに、夫は傍観していて。

言われたことしかやらない。

察して動くとか、後々のことを考えて工夫するとかない。

何を言ってもスルー。

心の距離は縮まらないどころか、何を考えているかサッパリわからない。

そんな捉え方でいたから、関係って微妙だった。


よくよく考えてみたらね、自分がいろいろ突っ走りやすいし悩みやすい人間だから、穏やかで常にフラットで慎重な人を選んだんだと思う。

自分にはないものを持っている、だから惹かれたし、だからこそ同じようには動かないし考えない。

その中で私は夫に求めるものがどんどん増えていき、思うように動かない現実に落ち込むことも増えていったの。


そこで私に、視点を変える大きなキッカケが訪れる。

2歳の長男と思うようにコミュニケーションや関係が築けないという現実にぶち当たるのよね。


最初は私が何かおかしいのかと思った。

でもママ友の同じ歳の子どもと遊んだら、長男とは全く気質が違う。

遊ぼうと意識しなくても勝手にリードして遊んでくれる。

楽!!

その事実が私を自責の念から救い出してくれて、私は自分の息子との付き合い方を学ぶしかないんだと覚悟して、療育に通った。

それが結果的に自分の世界を広げたのと、自己理解につながって、夫婦の相互理解に発展したんだよね。


具体的にいうと、私がイライラしたり、夫に何かを求めてしまうときっていうのは、助けてほしいとき、自分がキャパオーバーになってるときだって自分で気づけたの。

そんなときに「自分で頑張るしかない」と結論づけるんじゃなくて、または感情的になって夫にぶつけるんじゃなくて、具体的に論理的にSOSを出すようにしたらすんなりと解決したのね。

夫にもそれをそのまま伝えた。

私「感情的になってるときは夫を責めてるように感じるかもしれないけど、キャパオーバーで助けてほしいときなんだ。嫌な思いさせるけど言い終えたら気づくから、一緒に考えて欲しい。」

それを繰り返していったら、少しずつ私は冷静になれるようになってきた。

そして、夫は私にはないスキルがあるとわかったの。

全然違うやり方で物事を理解し、解決する力があるんだって。


夫はリスク管理能力が高いから、余計なことには手を出さないし、争いも嫌うから感情的にはならない。

状況に応じて冷静に判断し、私や子どもがどうしてほしいかという視点ではなく、最悪な状況にならないように微調整をしてくれていたのね。

人には適材適所があるし、価値観ややり方も違う。

そういうのを私は体感的に理解できないまま大人になってたんだって、やっと自覚して、恥ずかしくなったよね。


夫とのコミュニケーションは、そんな私の気づきを機に年々増えてきたんだ。

それでね、今ではいろんなことを伝えてくれるようになったの。

パッと見ではわからないんだけど、夫はとても深くて包み込むような心を持っていてね。

でも普段は分厚いバリアで自分を守っていて、絶対に自分を見せない。

そんな夫が今、とっても自然に笑ったり、心のうちを話してくれることはすごく嬉しいし、心から愛おしく思えるんだ。


もちろん、いつでもそんな感じなわけじゃなくて、イライラしたり、つい求めすぎたり、ため息ついたりもしちゃうのね。

でも、そんなときは夫じゃなくて、私が余裕ないんだってわかったから、まずは自分の心に余裕をつくるために最善を尽くすようにしてる。

ニュートラルな状態に自分を近づけていくと、また夫が愛おしく感じるから不思議よね。

気分ってすごい影響力!

気分には惑わされずに、上手くコントロールしていくのが大事だって思ったよ。

周りと上手くやっていくには、自分と上手くやっていく必要があるのよね。


楽に呼吸ができるようになる関係

社会に出ていると、自然と出てきた自分に対しての周りの反応や状況で行動を修正していくから、いつの間にか私らしさってどこかへ消えてしまう。

この場に必要な役割をこなせているだろうか、やるべきことをやれているだろうか、そんなことばかりが頭をかすめる。

状況は私のレベルに合わせてくれないから、私が合わせるしかなくなってしまう。

私にとってのベストを私が認めてあげられないと、私は状況にどんどん振り回されて、努力をして自分を高めていくしかない状態になってしまう。

私はここまででいいよって自分になかなか言えなくて。

社会に出ると、私なんだけど私じゃないような。

ホントはこうありたくないんだけど、こうするしかないっていう、状況に引っ張られてしまう自分がいる。

その中で、どこか冷静な自分が周りを見ていて、いつかどこかで無理のない自分のポジションを確立すると楽になる。

だけどそれも年々、難しくなってくる感じね。

歳かな。

いろんな経験をして、「コレはしない方がいい」っていうのが増えてしまったからかな。


それをね、最初は家族と接するときもそのモードになってしまっていて、私の居場所が家にどんどんなくなるような感覚があったのね。

でもさすがにそれをやり続けられるわけがなくて。

まずは子どもたちが自分らしくいられることを大切に、母親としてできることをしようとしたんだよね。

子どもたちが自分らしくいられるってどういうこと?と突き詰めていくと、自分が自分らしくいる感覚を伝えてあげたり、背中を見せてあげる必要があった。

自分らしくいる姿ってどんな姿?

子どもと向き合うと自分と向き合う必要があったのね。

その中で、夫との関係もどんどん変わっていって。


自分を知り、向き合わないと何も始まらないんだってやっとわかったの。

ずっと合わせることしか考えてこなかった。

自分らしさを押し込めて、上手くやっていくことしか考えてなかった。

いつの間にか、自分らしさよりも「こうすれば上手くいく」っていうノウハウが大切になってた。

でも、それは家族には通じなくてね。

それに気づいたとき、その事実は私の呼吸を楽にしたの。


夫が力をフッと抜ける、私が力をフッと抜ける、自分らしさに戻る時間が夫婦の時間になってきた。

それは無意識だったんだけど、改めてそういうことだと実感できたのは、この記事を読んだから。

一組の男女が出会い、互いに好きになって結婚し、
夫婦として一体になっていくイメージが強いでしょうが、
本来の魅力や自分らしさを取り戻すプロセスが結婚です。


ああ、そうだ、そうなんだ。

それでいいんだ。

本来の自分に戻っていく、それをお互いに認め合う、そしてお互いを満たし合う、それが夫婦。

うん、すごくしっくりくる。

多分私は夫とそんな関係になっていきたかったと思うし、お互いにそれを求め合ってきてる感覚がある。


お互いに弱い感覚を伝え合う関係

夫はね、身体感覚というのかな、身体の悲鳴を聞くのが弱いと私は感じてる。

なんでこんなにカチカチになるまで気づかないのか、こんなに痛みを出す前に痛みの出ないような動きができないのか、すごく不思議。

私は多分、自分の身体が疲れてるとか、この動きをすると痛みを出すとか、力をうまく発揮するにはこの動き方がいいとか、感覚的にわかってる。

だから、身体がしんどいときには無意識に「休む」ことの優先順位が高くなるし、日頃から適度に身体を動かすと調子がいいことを知ってる。

身体を動かす仕事だけど、慢性的な痛みとは無縁で今までやってこられてる。

その意識はなかったのだけど、夫が毎日身体のどこかしらを痛い痛いと訴えてきて、その都度身体を見てきてわかってきた。

夫は身体感覚が弱いんだって。

体の使い方も実はとっても下手で。

コアが使えていなくて肋骨は広がっているし、脊柱のS字カーブがなくてフラット。

案の定、腰への負担が強くて、坐骨神経痛やヘルニア症状をよく出してて、その都度ケアが必要で。

それをいくら解説しても、自分で微調整やバランスを取れず、何かするたびに痛い場所が増える。

触ると筋肉はかなりガチガチで、お腹は常にひんやりしていて、「痛い」ってならないと気づけない。

痛みの前に気づけるって、ひとつのスキルなんだって、夫を見てるとわかる。

そういえば私、妊婦のときも、関節の痛みのトラブルとは無縁だったんだけど、お腹が大きい状態での自分の身体のバランスの取り方っていうのを、なんとなく意識して生活してたかもしれないなって、改めて気づけたよね。


でもね、夫はココロのバランスをとるのがめちゃくちゃ上手い。

多分、感覚的にわかるのよね、ブレーキをかけるところ、力を抜くところ、人との距離の取り方。

私はそこの感覚がめちゃくちゃ弱くて、上手くバランスを取れなくて家に帰ってくることが多いのよ。

夫は身体が痛いと言って、私はココロが痛いと言って、お互いにお互いの得意で相手をいたわる。

私はマッサージやストレッチ、エクササイズで。

夫は私の話を聞いて、落とし所を探っていく。


上手い人の話を聞くと、視点が変わる、なるほどと思う。

これはお互いに感じていること。

やっぱりさ、人は得意なところは無意識に伸ばしていて、苦手なところはレクチャーが必要だってことなのよね。


今、週に2回くらい、夫とオンラインレッスンでヨガやストレッチを2人で取り組むことにしてて。

2人でするって楽しい。

こうやってお互いにセルフケアを学びながら、お互いのケアを理解する。

ひとりでは続かないことも、楽しんでやれる。


得たい感覚に意識を向ける

なんかね、いろいろ検索しててもね、いい夫婦でいられるコツとかあっても「すべきこと」が羅列されているだけで、そのときの感覚とかお互いの信頼とかそういうもっと手前にあるようなことが書いてないの。

「すべきこと」なんて夫婦で違うと思うのにね。

大事なのは、お互いの感覚じゃないのかな。

安心安全な関係でいられているか、という信頼の部分も。

それと相手がこうしてくれない、これっておかしいって相手を非難することとかも多いよね。

非難じゃなくて、理解が先じゃないかと思うんだけど。

もっと「いい感覚」を言葉にしたものが増えたらいいのにって思う。

「すべきこと」よりも「得たい感覚」に意識が向いた方がワクワクできたり、満足度が高かったりしないかなぁ。


私は家族と過ごす時間で、安心安全を感じたい。

リラックスとか穏やかな日々とか、無理しないでいられるとか、ゆっくり休めるとか、笑顔が自然とこぼれるとか、家族の悲しさや悔しさをザワザワせずに受けとめられるとか、ひとりの時間があるとか、ひとりひとりが家族のことを理解して考えられるとか…。

そういう「感覚」を大切に過ごせたらいいなって、思ってる。


ああ、こうやって言葉にすると、自分の輪郭がハッキリしてくるね。

なんとなく、ぼんやり考えていたことがハッキリすると、自分を強く持てる。

社会に出ていると、つい周りの反応で自信をなくしやすいんだけど、それってだいぶ他者評価に依存してるのよね。

でも社会で生きていく上での私なりの戦略でもあって、それは否定しなくてもいいと思うんだ。

ただ、家に帰ってきたら、自分が大切にしたいことを思い出して、ニュートラルに戻せたらいいよね。

このみかんのnoteのトップにあるように、私にとっての noteは「自分の感覚に戻る場所」。

言葉にして発見して、そんな自分でいることを夫と共有する。

今はそんな時間が心地よい。

うん、今はそれでいいね。

大きく深呼吸。

どんな私になっても、リセットする時間や意識があればいいんだ。

本来の自分に戻る感覚、大切にしたいね。




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