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【ADHD】私の人間関係のうまくいかなさは、承認欲求からくる過大な自己表現?

相手の反応を気にしすぎる私。

その割には、自分の行動を省みなさすぎたりする。

身から出た錆、みたいなとこがあるのに、今まで気づかなかったよね…変なの。


私、多分ね、主張が強過ぎてた。

いや、どこかではわかってたんだよ。

声は大きいし、態度はでかいし、何でも顔に出ちゃうって。

でもそれが、自分への刺激を増やしてたってことまではつながってなかったなぁ。

いや、考えればわかることなんだろうけど、そこに意識が向いてなかったんだなぁ。


表現をし過ぎていた疑惑

私って昔から、素直に自分の感情を表現するタイプだったと思う。

小さな頃は家族にだけだったの。

それが人に慣れてきたら、だんだんと表現するようになり、表現のブレーキのかけ方もわからず、また自分の身の守り方も知らずに、社会で開け放ってた気がする。

それがいいことだと信じて。


決してアクティブなタイプではないのね、私。

何事にも受け身な方なんだけど、外からの刺激に対する反応には素直すぎるというか。

元々は内気で、そんな自分にダメ出ししてた日々でね。

いつからかな。

目の前の人に必要とされたいという気持ちから、人を喜ばせるための感情表現を大切にするようになった気がする。

笑顔とか、わかりやすい反応とか。

自分がどんな反応をしたら、目の前の人は喜ぶのか、納得するのか、必要としてくれるのか、そんなことばっかり考えて、人と接していたかもしれない。


そんな私が医療技術職として社会に出ると、職場の人間関係に振り回されてしまうようになったの。

一対一で治療をする仕事でも振り回されることは時々あったけど、相手の気持ちに立って考える視点のメリットの方が大きかったから気にならず。

でも職場の人間関係は、適度な距離感でうまくやれなかったな。

大きな病院で、スタッフ数がかなり多いところでは何も考えなくても物理的な距離が置けたから、まだよかったの。

だけど小さな事務所や施設では人との距離が近い分、難しかった。

特に上司と上手くいかなかった。


最近、やっとその理由がわかったの。

なんでも真面目に素直に反応し過ぎることが、問題を大きくしてるんだよね。

いいことはもちろん、わからないことに対しても。

私ってね、理由がちゃんとわからないとどうすれば良いかわからないの。

だから、なぜそう指摘するのかという説明を求めたりした。

はーいって聞くフリして流す必要があることさえ、いちいち引っかかって反応することが多かったのよ、今思うとね。

相手の性格や傾向を理解して対策するって、治療では当たり前にやってることなのに、上司の話は全て100%聞こうとしてしまってた。

聞かなきゃいけない、とも思い込んでたかも。

真面目って言われるのは、そういうところだったのよね。


真面目っていい言われ方してないの、知ってたけど、どういうことかわかってなかったなぁ。

そんなとき周りを見て、うまく流しているのを知って愕然としたよね。

あれ、私が何でも真面目に捉え過ぎてたの?って。

ちゃんとやりたい気持ちが裏目に出てる?って。


私の無意識に出てしまう反応が、こんなにも周りに影響を及ぼしていたってことに、意識を向けられてなかった。

頭のどこかでは知ってたことなんだけど、つながってなかったんだよね。


これぞ、THE ADHD?

わかってるんだけどつながってなーいってやつ。

でね、悪気はないの。

策士家じゃないもん、わからないんだもん。

無意識なの。

無意識に出過ぎちゃうの。


ただ、環境によってはその影響力が大きすぎて、自分が思っている以上の意味を持ったりする。

そして、そのことへの自覚が弱くて、トラブルに発展しやすい要素を持ってる。

自分のアウトプットへの意識が弱いってことは、そういうリスクを抱えてるんだよね。


だけど、ずっとそのことに気づけず、外に出ている自分のキャラと、些細なことでも傷ついてしまう内なる自分とのギャップでモヤモヤし続けてたなぁ。

この17年くらいの間、職場での人間関係に悩んできた根本がね、最近、こんなふうにやっとやっと考えられるようになってきたよ。

これも成長かな。

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想いと行動のチグハグ

何が落ち込むってね、相手の反応なのだけど、その反応を引き出す要因の一つが私の反応なわけよね。

つまり、私がいちいち反応し過ぎってこと。

やらかしてるのは自分なのに、反応に傷ついてた。

あれ、反応が嫌なら自分が反応しなきゃ良かった話?

ええ!?私がやらかしてたからこうなっちゃってたの!?

そんな自分に気づいてから、たくさんのフラッシュバックに襲われるようになった。

アレもコレも私の黒歴史は身から出た錆…。

結果しか見えてなかった私が、その前の自分の行動に意識を向けてみると、出てから出てくる、私のやり過ぎな行動や言動の数々。

思い出して気付くたびに襲われる自責の念。


特に車の運転中はひどかったよね。

次々に変わる風景から連想して、過去の傷ついた思い出が蘇ってくるの。

ラジオから流れる音楽からも連想されてしまって、当時の複雑な想いが蘇ってくる。

その度に涙が出て、近くのコンビニの駐車場に停めるの。

自分のやらかし過ぎてる過去が頭の中を埋め尽くし、仕方がなかったことなのに、今の私をネガティブで包み込む。

なんでこんなにもブレーキが効かないんだろ、私。

ADHDのブレーキの効かなさと、注意のコントロールのできなさに、ため息が出る。


知らなかったもん。

みんなこんなものだと思ってたもん。

でも夫と長男を見てると、明らかに脳のタイプが違う。

なんでそこまで抑制できるんだろう、表現せずに済むんだろう、たくさんのことを見られるんだろう、気づけるんだろう。

特に長男はとても慎重なタイプで、やらかしまくる私や次男とは行動の基準が違う。

どちらかが良くて、どちらかが悪いという話ではないの。

長男は確実な線で、自分のできる範囲内で、地道にコツコツと生きてるのがわかる。

一般的な基準とペースで世界を広げようとする学校教育は、彼には合わない。

リスク回避が難しい、つまり予測の難しい「人」との関わりをいちばん嫌い、小4で「学校は自分には必要ない」と断言したのよ。

その歳で自分のできる範囲や教育や世間をなんとなく感じ取っていて、その上でちゃんと判断してた。

自分を知っていて、世間を知っているからこそできることで。

私なんか今だってよくわかってないっていうのに。

ホント、同じ人間だと思っていたけど、こんなにも中身や考えること、感じることは違うんだね。


私もそんなふうに生きていきたかったのかな。

でも世間の目や考え方に影響され過ぎて、自分を見失い、ブレーキのかけ方も間違い、空回りし続けてるのかな。

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自己表現のブレーキ不足と無自覚が起こした問題

思えば、今まで行ったどの職場でも、私の存在って何らかの影響を与えてきたのよね。

そんなふうに言うと、どんだけ自分が影響力あると思ってるんだよって笑われそうだけど。

いや、そんなふうになんか感じてなかったんだよ、ずっと。

でもね、後から思い直して、客観視すると結構スゴイことしてきてるかもしれない、と思って。


実は最初の職場では、私が出した提案書の影響で、直属の上司がクビになってしまったことがある。

代々言われていたの、その上司がいるから発展していかないっていうのは。

それを理由に先輩たちはやめていって、私はいたたまれなかった。

一方で、私はその上司が嫌いなわけじゃなかったの。

だから何とか対策できないかと思って出した提案書。

それを職場の上司よりも上の人たちに良いように捉えられて、要はうまく利用されて、上司はクビになってしまったのね。


上司が辞めたあと、私も転職したのだけど、その後の職場の発展はすさまじかった。

一気に花開いたというか。

きっと職場の上の人たちは早くこうしたかったんだろうな。

でも私はその発展に対する喜びよりも、上司への罪悪感にさいなまれた。

私は何てことをしたんだろう。

先輩たちの話を聞いたり、組織の中でのうちの部署の在り方を真剣に考えたり…真面目に考えて行動に移した結果が、自分をこんなに苦しめるなんて思わなかった。


他の職場でも、私は上司から言われたことに対して、自分の感じたこと、考えたことを素直に表現してたと思う。

伝えなきゃ理解してもらえないし、聞かないと相手の言い分も理解できないしって考えて。

私の姿勢って、常に仕事に対して誠実でありたいの。

変なことをやらかしたくないから、きちんと話をしたかったし、上司の考えも知りたかったの。

ちゃんと仕事に取り組みたい、そんな強い想いが距離を縮め過ぎてたんだと思うし、時には相手に押し付けるようなこともあったんじゃないかな。

そんな感じで、お互いに働きにくくなってたと思う。

私は自分の想いが受け入れられてないことがわかると、仕事に行くのがつらかったものね。

トラブル回避のために、見て見ないフリすれば良かったのに。


私がいた職場で、私と対立した上司は、私が辞めた後長続きしていないの。

私が一悶着起こして去っていったからかもしれない、と思い返すと考えてしまう。

そうじゃないといい、と願ってる。


それから、私とタイプが似てる上司と仕事をしていたことがあって。

その上司のやることを眺めつつ、それに対する職員の反応を見られる立場に私はいて。

でね、私、最初は上司の考えや行動には賛成!と思っていて、好ましく思っていたの。

私もそう思う!とか。

そうか、そうやって考えたらいいのか、勉強になるなぁって。

だけど、実はスタッフの反応がよくないということが多々あって。

ビックリした。

え、いいと思ってたのに、そういう視点で捉えられちゃうんだって。

そっちの方がメジャーなのかな。

そうだとしたら、私は今まで結構やらかしてきたのかもしれないな。

そんなふうに気づいたの。

それで、難しいなって思った。

私が良かれと思っていることって、こんなにも人ウケが悪いものなんだなって。

結局、私がいいと思って反応したり、話してきたことって、ひとつの考えでしかなかったんだよね。


先入観と思い込み。

それってきっと視点が足りないんだよね。

例えば、職場での人間関係で言えば、物事を良くしていこうという視点と、目の前の人たちと上手くやっていく視点の両方をいいバランスで考えられてなかったんだ。


そうやって気づいて振り返ると、私って目の前の人たちとうまくやっていきたいと思っているにもかかわらず、行動の判断は全て物事を基準にしてたってわかったよ。

私は物事をきちんと進めたいし、取り組みたいと思う気持ちが強すぎて、その場の人の想いは見えてなかったかもしれない。

ホントはみんなと上手くやりたいと思ってるのに。

このギャップがつらかったんだ。


人よりも物事を優先にしていて、それを自覚しているならいいの。

でも私はその自覚がなかった。

気持ちは人を優先したいのに、行動はきちんと物事に取り組みたいって思ってて。

チグハグだったんだね。

だから、思っているような結果につながらなかったんだね。

だってね、きちんと物事を進めたいと思えば思うほど、周りとの温度差がハッキリして、頑張れば頑張るほど空回りして、気持ちはしんどくなっていったんだもの。

このチグハグ、ずっと気づかずにいたよ。

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目の前の人や物事に影響され過ぎないために

私はどうしても、目の前にいる人が嫌な気持ちにならないようにと考えてしまう。

ネガティブな反応を恐れてる。

その場面で考えられる精一杯を、その人や状況に合わせて考えて動く。


こうして振り返ると、なんて刹那的なのかしら。

目の前の人や状況に振り回されてしまうのは、当たり前だよね。


夫は絶対に振り回されないの。

夫の軸がブレないのは、目の前の人や状況を軸にしているのではなくて、世間一般という広い目を基準に考えてるからってことが、最近わかってきたのね。

私は目の前の人や状況で何でも考える。

だから振り回されやすいし、自分の軸がない。

もっと大きな視点を持ち、目の前の環境じゃなくて、大きな社会を基準に自分のあり方や軸を決める。

それが大事なんだって、夫を見ていてやっと理解した。


夫と出会ったとき、夫はなんて頼りないんだと思ったのね。

行動力もないし、表現力もないし、何を考えているかわからなくて、こんな人でもこの世の中を生きていけるんだなって不思議だった。←ヒドイ


14年経って、やっと実感してる。

これは処世術だったって。

私という人間とバランスを取りながら、長く関係を続けていくための夫なりの距離感で、夫にとって無理のないスタンスで、ややモラハラ気味な私のモラを悪化させない絶妙なあり方だった。


相手を見て距離感を設定する。

それは私のように相手に必要とされたいという欲求に支配されるのではなく、自分が自分らしくいられる距離感を設定する。

当たり前のようでいて、そこに気づけなかったな。


私の行動の動機の根本には、常に承認欲求がある。

過剰な承認欲求は、おそらく自分で自分を承認できてないからっていうのは少しずつ気づけてきた。

だから誰かに補ってもらいたくなるのよね。


今の私に足りないものなんてないよ、そのままで十分なんだよ。

いろいろひっくるめて、全て「私」。

ダメなんて思わなくていい。

だからさ、もっと自分基準でライフスタイルを選択しよう。

苦手だから、好きじゃないから、という理由でどんどん手放そう。

自分がコントロールできない人の心や将来のことも、先回りして何とかしようとせずに手放そう。

そして、自分が心地よいと思うことやモノ、人を選択しよう。


例えば私、人が目の前にいたらついその人のことを考えちゃうから、

その人のために動こうとしちゃうから、

親だからという理由で何か関わらなきゃいけないんじゃないかと思っちゃうから、

ささっと家事ややることやって、一人だけの空間で過ごす時間をつくろう。


自分のからだをケアする時間をつくろう。

ボディクリームをぬったり、マッサージやストレッチしたり。

自分のからだを見つめる時間、感じる時間って大切だよね。

いつもと違う、なんか疲れてるかも、固くなってるかも、そんな自覚が、自分のライフスタイルの見直しに必要な視点かもしれないね。


ライフスタイルは私の感覚や感情、考えを大切にして選択していいよね。

そのためにはからだの声も心の声も聞いてあげて、選択したらいいよね。

私、多分、周りに影響され過ぎたし、自分も影響ある存在になり過ぎてた。

そういうのが苦手なら、静かに自分らしく生きていい。

何かをどうにかしなきゃいけないとか、ないよね。

自分のために生きていい。

誰かのためにって思い過ぎなくていい。

程よいバランスでやっていこう。

結果を気にせず、経過を楽しもう。


今までのやらかし過ぎた出来事は、今の私に至るための必要な経験だと思って、全て水に流そう。

過去は変えられないもの。

でも捉え方は変えられるから。


今まで私がやってきたことは無駄じゃないよ。

私の想いは現実につながっているもの。


これから私は転職とライターという2つの新しいことにチャレンジするよね。

ドキドキだよね。

またやらかすかもっていう心配がいちばん大きいよね。

でも大丈夫。

それもひっくるめて私だし、それはきっと私に必要なことなんだもん。

今までだって、なんとか乗り越えてきてるじゃない。

その度に新しい自分に出会えたり、夫や子どもの理解が深まったり、仲が深まったり、自分の視野が広がったり、してるじゃない。


ADHDの気質、つい放り投げたくなるんだけど、確実な生き方をしてる夫や長男にはできなかっただろうすさまじい経験もいっぱいあるしね、経験は宝よ。

表現の豊かさは親しみやすさにつながるし、表現しているからこそ自然な周りからの配慮が受けられていたり、メリットだってたくさんあるよね。

憎めない愛らしさだってある。

多分、夫はさ、私といることで増えるたくさんのデメリットを抱えられるのは、その憎めない愛しさなんじゃないかなって最近感じるものね。

それだって十分な魅力じゃないね。


これからは慎重に、自分がどうしたいのか、どうありたいのかに素直に行動を選択していこう。

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