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言葉を生きるチカラに。

noteを続けて思うこと。

それは、言葉って偉大だってこと。

この人の文章を読むと元気になれる、自分を肯定できる、そんな方とつながっていると、いつでも自然と自分を応援できる、そんな気がする。

そんな言葉を受けて、いろいろ経験して、感じて、乗り越えて、そんな私から出てくる言葉がまた誰かの背中を押すことができたり、元気になれる人がひとりでもいたら嬉しい。

最近は、自然とそんな気持ちが湧き上がるようになった。

それは多分、人の言葉で自分の気持ちが変わったり、ハッとしたり、肯定できたりして、こういう経験も大切だって実感したからだと思う。


言葉には、それだけの価値がある。

大切に扱おうと思えば、その気持ちが言葉にのって、読んでる人にも届くんだよね。


今朝、ふと夫がもらしたことがある。

夫「オレがもし今、死ぬとして、そのときに何が頭に浮かぶのかなって考えることがあるんだよね。

 まだ三男が産まれてないときは家族4人で夕陽に向かって歩いてるような、そんな情景が浮かんだんだよ。

 今は5人それぞれが、それぞれらしく笑ってる姿が浮かぶ。

 いつでも家族みんなの姿で、それは年々更新されてるんだ。

 ある一時期にとどまることってなくて、ふと考えるとそのときの家族が浮かんでくる。

 それを考えてるときに思うのは、ちゃんと更新されてるんだな、ちゃんと今を生きてるんだな、ってことで、それを実感する時間にもなっていて。

 いい時間を過ごせているんだな、と自分で再確認してる。」


私「ああ、その感覚、いいね。

 確かに私もそうやって頭にイメージしたら、自分の産まれ育った家族よりも今の5人が真っ先に浮かぶし、今がいちばん心地よい気がする。

 それぞれの味があって、この5人、いいよね。

 幼少期を思い返すと、ふと浮かぶのは古い家のトタン屋根に布団を干して、その上で転がって空を眺めていた時間かもしれない。

 不思議と家族の時間じゃないな。」


夫「オレも幼少期は全く浮かばないし、思い出したくもないね。

 でも今はとっても幸せだと思う。」


私「そうだね。私もそう思う。

 この家族で良かったよね。」


こうして夫と話せることが嬉しいし、そういう言葉を大切にできる時間も好きだと思う。

私はどこかで、こういう時間を欲していたから、この人を感覚的に選んだのだと思うし、悩みながらもここまで生きてきたのだと感じる。


その感覚を、これからもnoteに言葉にしていきたいって思ってる。

感覚に素直になって、感じきることはとても大切なこと。

その感覚を周りの目や社会に合わせて否定することなんて、しなくていいと思う。

それが大切にされない環境は、自分から距離を置いたっていい、と今はすごく感じてる。


言葉は自由だから、それなら私は自分を元気にするような言葉をたくさん並べたい。

収入を得るため、有名になるため、誰かに認めてもらうため、人によっていろんな目的があると思うのだけど、私は自分を元気にしたいんだって思う。


そういう想いを時々言葉にしないと、私はわからなくなってしまいやすいの。

ブレないで生きていくためにね。

だけど必要に応じて形を変える柔軟性も持ちながらね。

それってすごく難しい。

だけど、いろんなパワーに頼っていけたらいいんだろうなって思っていて、そのひとつが私にとっては言葉なんだって思う。


言葉を生きるチカラに。




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