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【子育て】心を見つめる時間

同僚「お子さんたち、家にいるんだ?

 学校に行けないの?」

私「そうなんですよ。

 いろいろプリントとかやることは置いてきてるんですけど。」

同僚「私も学校嫌だったけど、行かないって選択はなかったもんね。

 周りにはいなかったし、そもそも休んでいいところじゃなかったし。」

私「ですよねー。」

そんな話をしながら、ふと思ったこと。


気持ちを無視した先にあるもの

会話したあとにふと頭をかすめたこと。

子どものときに転んで痛くて泣いて、

「大丈夫、大丈夫、痛くないよ」

と言われたら、痛かった気持ちは無視されて、なかったものになってしまわなかったかなって。

本当は痛かったのに、これは痛くないものなんだ、と認識したらその気持ちはいつの間にかあるのにないもの、認識しないものになってしまうと思う。

あるとき、同じように痛みを感じたとき、人に

「それ、かなり痛いよね?つらいでしょう?」

と言われたら、そうなんだ、これは痛いものでつらいんだなーってハッとするかもしれない。


学校も同じだったのかな。

誰もが行くものだって思ってて、行きたくないって気持ちがあっても、そこは尊重されなかっただけ。

みんなそういうものだからって、見て見ないふりしてきたんじゃないかなぁ。


だけど悲しい、痛い、つらい気持ちは自覚がなくても積み重なると体や心が反応する。

内にこもって自分を守る人もいれば、反社会的な想いが強くなっていろんな活動をする人もいると思う。

心の悲鳴はいろんな形になる。


大人になったときに、心の悲鳴が自覚できるようになっていたら対処のしようもあると思う。

ストレス発散しようとか、予定を減らしてゆっくりしようとか、気分転換にハッピーエンドの映画を観ようとか。

でもその気持ちに気づけなかったら…つらい気持ちをいい形で解消するのは難しくなってしまうかもしれない。

こじれた感情は人を傷つけたり、自分を傷つけたりする。

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私の小さなころのこと

私は小さな頃、よく泣いてて。

何かあって泣いていたというよりも、何かよくわからない気持ちがちょっとずつ積み重なって、あるキッカケであふれ出す、という感じだった。

だから周りにはあまり理解されにくかったし、ただただ泣いて気持ちを発散するだけだった。


大人になって、仕事をするようになった。

医療技術職で専門的な勉強をしたから仕事はできた。

対人関係は学生時代になんとなく自分流で積み重ねてきたものをそのまま社会でも採用した。

すると学生時代には避けてきたような苦手なタイプとの対人関係において、適度な距離感を保ったり、受け流しができずにつらい思いをした。

それでも見た目はそれなりに社会人として、なんとか形にはなっていたと思う。

それは多分、学校教育のおかげじゃないかな。

こういう行動しておけば大丈夫、を学べたから。

でも学校教育になかったものは育たなかったみたいなのね、私。


自分の気持ちをそのまま理解すること、

自分の感情を言葉と結びつけること、

自分のキャパを知ること、

自分の気持ちを満たす手段をたくさん持つこと、

自分の心の悲鳴に気づくこと。


こういう学びってきっと個人差あるよね。

私は何かキッカケがないと気づかないタイプ。

意識が向かなかったんだ。

だってやることがいっぱいあったんだもの。

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子育てで大切にしてきたこと

私はね、そんな自分を無意識に救いたかったんだと思うの。

子育てで大事にしてきたのは、子どもの気持ち。

感情はそのまま受けとめて、理解してあげたいって思った。

転んだときには、

「痛かったね。悲しいね。」

気持ちの代弁を心がけるようにしてた。

あなたが今、感じている気持ちってこういう言葉で表せるんだよって。


そこまでは良かったの。

私も一緒に自分の心と向き合いながら、子どもとも向き合えたし。

でも子どもが学校に行かないって選択をしたときは受けとめきれなかった。

だってそんなふうに考えたことなかったんだもの。

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人生は学びの連続

今は少し、こんなふうに考えてみたりしてる。

学ぶ順番とかタイミングっていろいろあるんだよね。

私は体裁とか周りの目とか大人の言ってることを素直に従って頑張るのがいいって思ったから、勉強頑張ったし、学校にも当たり前のように行ってた。

もしかしたら途中でもう行きたくないって言ったり思ったこともあったのかもしれない。

でも周りの大人の価値観に上書きされちゃって、そんなことないって、それが事実だって思い込んでしまったのかもしれないよね。

大人の言うことをちゃんと聞き過ぎて、私自身の気持ちなんて置き去りにしてきたんだもの。

それが限界にきて、今やっと自分と向き合えてる。

それが私の学ぶ順番だった。


子どもたちは今、もしかしたら自分とちゃんと向き合おうとしてるのかもしれない。

自分の気持ちを見つめて、自分の気持ちと社会との折り合いを考えているのかもしれない。

自分の気持ちを大切にしたいんだけど、それだけだとなかなかうまくいかないってモヤモヤしてるのかもしれない。


学校に行くだけが全てじゃない。

だけど学校だから学べることっていっぱいある。

それだけを考えると、つい焦って学校に行かせたくなってしまうのだけど、今は心のベースをしっかり築いてあげる時間のかもしれないなぁー。


人生は長い。

今だけを見てると、今やるべきことをちゃんとやらないとって思ってしまう。

でもそんなことなくて、そのときどきで必要なことを子どもたちが選んで成長してる。

世間的にやるべきことじゃなくて、本人が今抱えている課題に一緒に向き合えばいいんだよね。

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