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【生きる力】めちゃくちゃ力が抜けるようになった

仕事とか子どもの療育とか、社会で何かをしようとするとき、私は無意識に

「ちゃんとやらないと!」

と身体中に力が入ってたと思う。

少しでもできてないと自分を責め、もっとやらなきゃって自分を追い詰めてた。

力が抜けなかったんだよ。

そんなに頑張らなくていいよって言われたこと、いっぱいあったけど、そのさじ加減がよくわからなかった。

だってミスしたら怒られるし、ちゃんとできてなかったら指摘されるでしょ?

テキトーにやってオッケーだったらもっと力抜いてるって。

そんな気持ちだった。


今日、力が抜けるってこういうことだって感覚を掴めたから言語化しようと思う。


ガッチガチに頑張ろうとしちゃう

私は目の前にあることに100%力を注ぎたくなる人なの。

例えば、子どもに発達特性があると知ったら、それはどういうことか勉強して、特性に合った子育てをしたいと思うのね。

それ自体はいいことだけど、それにハマってしまうというか、固執してしまいやすいの。

目の前で起こることをそのフィルターでしか見えなくなる、という感じかな。

その子が学校に行きたくないってなったとき、発達特性が…とその一面でしか見えなくなったり、親子関係がうまくいかないときは特性との付き合い方とか勉強し始めちゃう、とか。

そう、視野が狭い。

物事を一面でしか捉えられなくなってたりする。

でもそういうときって自覚があるわけじゃないのよね。

で、うまくいかなくて悩むのよ。

それも一生懸命悩むの。

で、視野が狭い中で頑張っちゃうの。

それでもうまくいかないってなったとき、子どもの特性が悪になってしまったり、自分を責めてしまったりする。

そう捉えるしかなくなっちゃうんだと思うけど、行き詰まっちゃうのよね。


仕事でもそうで。

治療業務、書類業務、レセプト業務、全てに100%注ぐから、めちゃくちゃしんどい。

結果どうなっていればとりあえずオッケー、というラインと、ちょっと質を上げるならここを頑張る、みたいに、結果のレベルを何段階にもわけて、その日のモチベーションや体調、メンタルでさじ加減していいのだけれど、それができない。

というか、そういう視点がない。

常に100%。

できないと自信をなくす、みたいな。


こういう力の配分とかって、きっと学生時代に少しずつ学ぶのよね。

だけど、私は学べなくて社会に出たんだと思う。

とにかく頑張るしかない。

常に100%狙って生きてた。

そんなに頑張らなくてもいいのにってくらい、あれもこれもってやってたよね、息切れしながら。

それがいい生き方だと信じてたし、みんなもそうなんだと思い込んでたし、100%の成果が出せた時は心から嬉しかったからそれがいいんだって思っちゃってた。

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頑張りすぎるメカニズム

100%を狙ってしまう心理って何か。

うーーん。

ゴールは見えてるけど、それ以外の視点や背景が考えられてなくて、ただ頑張るっていうカタチで実践しちゃってるのかな、と思う。

ここまで成果を出さなきゃダメっていうゴールが私には見えちゃって、とにかくそこを目指して努力する、みたいな。

自分のキャパや能力とかは見えてないの。

段階とかも見えてないの。

ゴールだけ。

自分のキャパや能力とか考えずに、目指すはゴールのみ!って感じなのよね。


だからいつでもそこに向かって100%。

めちゃくちゃ頑張ったらできちゃうと思っちゃってたのかな、私。

そんな簡単じゃないよね、物事は。

自分のキャパや能力と、ゴールを眺めて、どんな戦略でゴールまで段階追って到達するか、っていうコツコツの積み重ねが必要なんだよね。

だけど私、単純だから、100%努力し続ければできる!みたいに考えちゃってたよね。

物事にはダンドリってあるのにね。

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気持ちをゆるめる

最近の noteの記事では、自分を大切にするとか気持ちをゆるめるような言葉をたくさん書くようにしてたの。

ちゃんとできてなくても、今自分がやれることをひとつひとつやって積み重ねていくことが大切だからって、自分に言い聞かせてた。

やれなかったことは仕方ないじゃない。

でもやれなくて怒られた、そしたら次は頑張ります、それでいいわけで。

そこで、ああ、またやっちゃった、私ってダメなやつって思っちゃうと、気持ちばかりが沈んじゃったり、逆にハイになってイライラしたりするのよね。


手を抜こうとしてるわけじゃないんだもの。

できることはやりたいって思ってるのよ。

そんな自分を認めて、できないことを許すってこと、昨日の記事を書いて、何度も読み直して、なんか腑に落ちた感じがあった。

この記事。

自分で書いたものだけど、いいよね。

自画自賛(笑)

そうなのよ、だって今自分に必要なこととか言葉とかって自分が一番わかってるもんね。

休みたいけど休めない、だけど心だけでも休ませよう、そういう想いがちゃんと言葉になったから、私ね、今日の仕事でめちゃくちゃ心がゆるんでたの。

余裕があったし、対応も自分にしてはスゴイと思えるようなスムーズな対応できてた。

焦りとかなかったし。


意識でこんなにも違うんだなーって思ったよ。

で、私の場合、視野が狭いんだけど、ホントに狭いんじゃなくて、自ら狭くさせてたというか。

ちゃんとやらなきゃダメでしょって、すぐそばでジィーーっと見てるような監視役を自分でつくってたのよね。


そんなんしなくてヘーキだった。

監視しなくたって、自分はちゃんとやってるよ。

それでいいんだよ。

監視されなくなったら、もっと大きく、広く物事を見られるようになったのよ。

なんだ、できたんじゃんって思った。

私は自分をできてない、ちゃんと監視しないとって監視する自分を勝手に作っちゃってたから苦しかった。

これって思考のクセってやつかな。

なかなか手強いね。

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自分を追い詰めないためにすべきこと

私が腑に落とせて楽になったのは、

「とりあえず毎日こなせてたら今はオッケーなんだ。

 それ以上のことはできるようになったときにやればいい。

 自分のスキルやキャパ以上に頑張る必要は、今はないよ。

 もうギリギリってときは、そんな気持ちになってしまってる自分を大切にしよう。」

と自分に言えたこと。


そして、現状の最低限を設定できたこと。

多分、こんな感じ。


【最低限】

家庭:健康で毎日が送れる、トラブルがあってもどこかで笑顔になれる、何か食べられるものを用意できたらオッケー

仕事:コストの間違いがない、患者さんがトラブルなく治療を終えて帰れる


その日の状態でもう少し細かく設定して実践してもいい。

プラスしてやることは得意分野だから大丈夫。

常に成長し続けたいって思ってるから、自然に任せてたらそうなると思うしね。


問題はしんどいときなわけで。

しんどいときに、もっとしんどくさせないためのブレーキを自分に持つことが必要なのよね。

「あ、しんどいな、今日は。」

そう思ったら最低限モード。

うまくいかなくても、とりあえずこなせてたらオッケーだよ。

しんどいときはとりあえずなんとかなるくらいのハードルを設定して、それができればマル!で、いいじゃん。


あとは、ゴールに向かってやった方がいいと思っていることは細かく段階を設定して、一度に全部やろうと思わないことが大事かなって思った。

なんか、言葉にしたら当たり前だったなぁ。

でも実際、冷静に考えてみないとわからないものだね。

私は何でも一気にやろうとしてたんだって思うし、自分の調子に合わせてさじ加減するってこともしてこなかったって思ったよ。


ずっと周りと温度差があった私。

力が抜けたら、周りとの温度差がなくなった気がする。

やっぱり頑張らなきゃって思って、いつも必要以上に自分を奮い立たせてたんだな、と実感した。

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相手を信じて待つこと

私はずっと自分がやらなきゃ、何とかしなくちゃって焦ってたり、結果を出すために動いてた。

結果が出てないのは自分のせい、みたく思ってた。

だから仕事も療育も焦りがあった。

結果が出てないと、努力が足りないと言われているような気がして。


そして、そういう焦ってる自分を隠すのもうまくて。

周りからはどこの職場に行っても適応できそうだよね、とか、苦手な人とかいないでしょ?とか言われてた。

どんな人ともうまくやって、仕事も期限よりも早く仕上げて、何より患者さんとの関係を大切にしてた。


とにかくうまくいくことに貪欲だったと思う。

その影にはいろんな努力や苦労もあったの。

でもそうやって頑張ってる自分をどこかで認めてなかったというか、当たり前よって厳しく監視する自分がいたのよね。


その監視役の自分から解き放たれて、できるようになったのは相手を信じて待つということ。

結果を出せないのは自分のせいって思ってると、相手を信じて待つっていうのができないのよ。

相手のことは相手が決める、相手のタイミングで相手の責任で。

私はその手助けしかできないの。

私が結果を出すんじゃなくて、種まきしたり、視野を広げたり、肯定したり、元気づけたり。

そういう認識が、頭ではわかってたけど、体感としては弱かった。


でもね、自然とできたよね。

あんなにできないって頭抱えてたのに。

コントロールできるのは自分だけ、他人はコントロールできないって思ってても、自分が何かすることで変えられるんじゃないか、影響を与えられるんじゃないか、とおごってたのに。


ああ、この人だったら大丈夫って思えたり、この子なりに考えてるんだなって見守る気持ちが湧いてきたり。

なんだろうね。

自分が自分に監視されなくなって、自分で自分のこと大丈夫って思えると、周りの人にもそう思えるようになるのかもしれないね。


なんか人にはそれぞれ気質ってあって、私自身も含めちょっと厄介な気質を持ってる人だっているのよね。

気難しかったり、センサーが過敏だったり、人との距離が不安定だったり。

今まではそういう気質を感じて、どう戦略を考えたらうまくいくかな、と思っていたわけよね、子どもの療育含め。

だけど、今はどんなタイプの人だって、いろいろ考えたり感じたりして今を生きてる、って思えるから、私ができることをコツコツ積み重ねていって、何か力になれてたらいいなぁっていう感覚。

よく見て、本人が気づかなかったところに気づいたり、変化を言葉にしてみたり、元気がなかったら気分転換できるような話題を提供してみたり。

一緒に伴走してるような感じかな。

しかもずっととかじゃなくて、必要な部分だけ。

もしくは私が付き合えそうな部分だけ。

そんなスタンスでいいかなーって、自分なりの新しいスタンスが見えてきた感じ。


何が正しいとかないと思うし、やっていく中で変化していくとは思うんだけど、自分の中でこんな感じでやっていこうって決まるって大事。

ちょっと力が抜けた今の感じはいい感じな気がする。

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