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ADHD全開を感じるとき

こんにちは!!

ビジュアルに強くて、環境からの影響を受けやすいADHD気質のみかんです。

今日はモヤモヤと溜まっている自分の気持ちを言語化します!!


ADHDな私

大人になってから判明したADHD。

小さい時はそこまで困らなかった私ですが、大人になってからかなりこじらせてます。

多分、自分のことだけ考えていればよかった子どものときはなんとかなったのが、家のこと、夫婦のこと、子どものこと、仕事のこと、そして自分のこと、というふうに考えなきゃいけないことが途端に増えた出産後からが特にヤバいです。

検査では知的には問題ないけれど、動作性優位でワーキングメモリ不足が顕著でした。

元々完璧主義というか、さじ加減ができずに全力疾走モードで生きてきているのですが(もしかしたら全力モードじゃないと切り抜けられなかったのかも!?)全てにおいて全力モードはさすがに無理でした。

自分ではASDのこだわりの強さも持っていると思っていて、特に勝ち負けとか結構強くて、そのおかげで強迫的になんでも頑張ってこられたと感じているのですが、子育てしながらの兼業主婦にはいらないマインドです・・・。

やることなすこと空回りだらけ。

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ADHD

自分の中のADHD気質が強めと思える部分について、ピックアップしてみます。


① 何にでも距離が近い

人との距離感もパソコン画面との距離も物事の捉え方も全てにおいて近い。

字を書くときも紙に近い。

どんだけ前のめりなんだって感じ。

でも無意識にこうなっちゃったんだから、前のめりな気質で前のめりな人生を送ってきたんだと思うしかない・・・最近やっと自覚。

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② 何に対しても熱い想いを持っている

ひとつひとつに熱い想いを勝手に抱いてしまう私。

だってワクワクするし、こうなったら楽しいだろうなぁって妄想が際限なく頭を埋め尽くしているんだもの。

これ、学生時代にはよかった気質でした。

たくさんのことに興味を持ち、熱く取り組み、やり遂げた達成感が次の行動のエネルギーになる。

長期休みのいろんな募集によく応募し、よく表彰されてました。

みんなもやればいいのにって思ってました。

全然苦じゃなかったし、楽しかったです。

まぁ誰も同じ温度で行動する人がいませんでしたけどね。

温度差・・・大人になるにつれて感じるようになりましたが、何がそうなっているのかわかりませんでした。

温度低めな夫や長男と生活をするようになってやっとその感覚を自覚できました。

動く前によく見る、状況を把握する、慎重に考えてからやっと動く・・・脳のタイプが違うとこんなにも違うんだと驚きました。

私は間違いなく見切り発車タイプです・・・自覚なかったけどね。

だって熱いパッションが湧き上がってきたら、動かずにはいられないってもんじゃないの!?

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③ ひとつひとつを終わらせない

注意が次々に移り変わっていくので、ひとつひとつを終わりにするのが苦手です。

家事とか特に。

洗濯物をしまっていて、何かを見てハッと思い出したらそっちに行っちゃう、そして予定を済ませているうちに違うものを見て、またそうだった、とそっちに行っちゃう。

で、動いているうちにまた洗濯物が目に入って、やりかけだった、と元に戻る感じ。

頭の中は常に忙しくしています。

で、目に映った何かに影響されやすくって困っちゃう。

それはちょっと置いておいて、ができない。

それはやっぱりワーキングメモリの問題もあるかなって思っています。

だって、置いておいたら忘れちゃうもの、それは嫌なのよね。


だからといって集中できないわけじゃないんです。

むしろ集中したら過集中!!

テレビは、ながら見ができません。

テレビを見るならテレビしか見られない。

うるさい場所では本が読めない。

勉強するときは波の音のCDかけていて、あれはかなりモードに入れましたね。

入ったら止まれません…ずっとし続けられたりします。

で、うまいところで切り替えなんてできないので、夜遅くなり、目が冴えて眠れないという悪循環です。

要はちょうどいい加減っていうのが難しいんです。

ちょうどいい加減って頭で考えなくても脳がうまーくコントロールしてくれたりするでしょ、フツーの人って。

そんな自動コントロールが搭載されてないらしいですわ。

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④ リアルタイムで話すのが苦手

これね、表現しにくいのだけど、普通に話すし、話題もそれなりにあるから、一見、おしゃべりが好きでいつも楽しそうって思われていると思うんです。

でもね、ワーキングメモリ不足の人って、リアルタイムで人とやり取りするのに苦労している人、多いんじゃないかしら。

元々は苦手だって自覚はなくて、むしろ友人と話すのは大好きだし、楽しいと思っていました。

でもなぜかよく友人とランチした後は一人反省会をしていはことが多く、それが私の「いつも」だったんですね。

話しながら内容を理解し、自分の考えをまとめて喋る。

これって結構高スキルで、反射的には喋れるんだけど、考えて話すとか難しくて、結構言わなきゃいいこととか話しちゃったりしてました。

情報の整理が追いつかず、ビジュアル強いもんだから相手の表情の変化とか気持ちの変化ばかりが入ってきちゃって、テンパってテンション高めでなんだかよくわからない状態で話し続け(反射的に話せてしまう)、帰ってから冷静になり、思い起こして情報の整理が進み、あんなことやこんなことやっちゃったなーーって一人反省会。

リアルタイムでの情報処理が追いつかないのと、シングルフォーカスで思い込みが強いためのこの状態・・・冷静にそんな自分がわかるようになったのはキッカケがあって。

私、職場環境が合わず、育児との板挟みでメンタルやばくなっていたときに、思考の整理の目的で「ストラテラ」を飲んでいた時があったんですね。

これを飲んだときにわかったんです。

モヤモヤしない。

暴走しない。

言葉があふれ出さない。

これがスッキリしている感覚かって思って。

インターネットで検索してみると、ADHDの人がストラテラを飲んだ時の変化に対する反応は両極端で、ぶっとんだ感じとか刺激に対する自分の反応の激しさがなくなってさみしいと思う人と、自分の思考や感覚に振り回されることが減って落ち着いたと思う人がいるみたいで・・・私は完全に後者。

その頃自分の気持ちの整理にブログを書いていたのですけど、ストラテラを飲んでいる時は更新頻度も文章量も減っていました。

書き殴らなくても頭の中で整理された感覚だったんですよね。

お友達とのランチでも自分の中でどんちゃん騒ぎしなくて良くなりました。

で、不思議なんですけど、その感覚を自分でつかみ取ったからか、これでいいんだって後押しにもなり、その後もそこまでひどくならずにいます。

思考の整理はやっぱり苦手で、こうしてまとまりつかない中で書き殴ってしまいますが、リアルタイムでの会話は「そんなにいろいろ考えなくて大丈夫」と自分に言い聞かせられるようになったので楽です。

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⑤ 枠の中に収めるのが苦手

良くも悪くも出る杭を打たれる存在になりやすい私。

でもね、それは見えない「枠」の存在に気付いていないから。

気付いていても、自分の気持ちで「やらない、はまらない」という選択をしているのならいいんです。

気持ちは合わせたい、と思っているのに、枠の存在に気づけないがために睨まれてしまう・・・状況理解が弱かったり、それゆえに空気が読めないからだと思っています。

キャラをわかってもらえると「まぁあの人は悪気はないから」と大目に見てもらえたり、情報通の友だちが職場やグループにいるとこっそりいろいろと教えてもらったり(あの人とあの人は仲が悪いとか、この会議ではこれが裏テーマになっているから発言には気を付けたほうがいいとか)、そんな環境が私をずっと助けてくれていました。

今もそうかな・・・(笑)

今は意識して「枠」をさりげなく聞くようにしています。

もしくは枠を理解してから動くとか。

職場だったら、経験で必要な知識の枠がわかるから、具体的に質問するとか。

行き詰まったときには「枠」を意識して人に聞くとか。

自分の思い込みや思いの強さ修正にもなるので、これは必須。

私なりの社会適応のやり方ですね。


ちなみに「枠」の大切さを実感したのは長年試行錯誤してきた生活費の管理でした。

私、「生活に必要だから!」と赤字になっても買い物してたんです。

必要だ!と思うと優先順位を考えずに買ってしまうから、フルタイムで働いていた時はなんとかなっていたものの、子どもが増えてパートで働くようになったら赤字が常態化しちゃいました。

生活費管理は何度も投げ出したい思いに駆られました。

でも自分でなんとかしないとなんとかならなかったので、(夫にお願いしたらサイフの紐が固すぎて切なくなって、ストレスだったのですー)夫に泣き言を言いながら年々試行錯誤を繰り返してきました。

結果、袋分けが一番うまくいきました。

項目ごとに予算を決めて現金を分けていれる、食費は1週間ごとに分割して入れる、です。

予算内で使うようにブレーキがかけられるようになったので、「枠」がはっきりしていることって大事だなって思いました。

さじ加減が苦手な私には「枠」や「最低限やるべきこと」などの幅がわかりやすいことって大事です。

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⑥ 刹那的に生きている

今を生きる、というと今流行りのマインドフルネスでも良く聞く言葉のように思います。

ADHDは今を生きる代名詞のような気がしているんですけど、私の場合はちょっと違いました。

環境や人からの刺激に振り回されすぎてしまうんです。

自分の心の言葉は外からの刺激で簡単に消されてしまいます。

その瞬間瞬間のインスピレーションで動いているような感じ。

嫌だなぁと思ったら避けようと動くし、空気が悪いと思ったら明るくしたいと思って話すし、落ち込んでいるように見える人がいたら助けになりたいと思う。

全て見えたもの、感じたものに反射的に反応してしまっているだけで、それは良かれと思ってやっていたりするのだけれど、結局のところ相手のためになることで自分の気分を上げようとしているのかもしれない、なんて思うんです。


オンラインの朝トレを始めたんですね、去年の6月に。

まずは1年続ける、と心に決めました。

コツコツと続けることが苦手な私なので、設定はよく検討し、週1回にしました。

仕事をしながら、配慮の必要な子どもたちをサポートしながら、続けられる最低限の設定です。

朝トレは自分のからだのためにもなるし、仕事にも生きるので、モチベーションも悪くはなかったんです。

それなのにここ2〜3週間は、「今日こそ最後にしよう!」と心に誓うほど、なんだか続けることがつらくなってしまってました。

そんな状況で朝トレを開催したというのに、参加してくださった方の

「気持ちがいい時間でした」

「以前よりも体が柔らかくなって、からだへ意識が向くようになりました」

「自分のからだへの気づきが深まりました」

という言葉と笑顔で元気いっぱいになり、満たされてしまうんです。

あんなにやめようと思っていたことなのに!

あんなに本気だった気持ちにウソはないのだけど、ちょっとした外からの刺激でこんなにも気持ちが変わってしまう自分にびっくりしたんですよね。

それも2週間続けて。

自分には確固たる信念はないのか、揺るぎない気持ちはないのか、誰に言われても動じないくらいの想いはないのか!?と思いました。


マインドフルネスはうちなる自分の心や感覚に意識を向けて、今を大切に選択するイメージですが、私の場合は今この瞬間に受けた刺激に素直に反応していく感じ。

違うんですよねぇ、残念!!!


外からの刺激で一喜一憂し、その後の行動に影響してしまう…そんな振り回され人生からちょっと成長したいんだけどな。

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⑦ 欲深い、つまりいい感覚を得ることに貪欲

以前、ストレスクリアという心の葛藤を解決するセッションに出会いました。

そこで自分と向き合ったときに、欲深いから悩むのか、と腑に落ちたことがありました。

そこから今は進化して、欲深いのはいい感覚を得たいから、いい感覚を得たいのはいい感覚を知っていてそこに到達したいと願っているから…と分析しています。

いい感覚を得たとき、それを忘れられないし、それをまた得たいと思ってしまうんですね。

割といい思いをしてきたと思います、私。

学生時代は周りが見えなかったから、その分挑戦もしやすかったし、暴走しても大人ほどとがめられることがなかったし、結果が出やすくていい思いをたくさんしましたから。

その思いがずーっと残ってしまっていて、自分はまた頑張ればそういう思いができるはず、なんて自分への期待が捨てられないんじゃないでしょうか。

期待が欲深さにつながっているんじゃないかって思っています。

私ならできるはず、と淡い期待と成功した自分を単純に思い浮かべて見切り発車で行動してしまう。

そんなに世の中うまくいきません!


夫はささやかな幸せを日常から感じて、ホッコリとできる人です。

期待も欲深さもなくて、リスク管理主体で動いています。

私がいい思いをしたいがために見切り発車で動いているそばで、自分に害が及ばない安心できる道を石橋を叩くように一歩一歩着実に歩んでいる感じです。

その心理を知って、やっと自分が欲深く、期待値が高すぎて、なんでも飛びついてしまっていたのがわかりました。

自分を知り、周りの人を知ることでいろいろ見えてきますね!

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今日、思いついたのはこれくらいかしら(笑)

こうして言語化すると、思っている以上に発見があり、そうか!なんて自分でふに落ちたりして、とてもいい時間になりました。


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