私の心地よい人との距離感
人との心地よい距離感って人それぞれよね。
だけど、なんとなく世の中的に推奨されているように感じる関わり方とか距離感っていうのもある気がしてて。
どうなんだろう?
私はそれを表面的に捉えすぎて、ちゃんとやらなきゃって思い込みすぎたのかな。
それを手放す記録です。
もともと好きな距離感
もともと、人と関わるのは苦手だった私。
小〜中学生のときはマイペースに過ごしてて、ウマが合うクラスの子がひとりでもいれば十分で。
その子ともべったりじゃなくて、何かグループをつくるとかで必要になるときに相手としてお互いに頼る、みたいな感覚で。
ちょっと波長が合わなかったら少し距離を置く子もいたし、その時々で付き合う子が違ったり、割と浮遊してる感じだった。
あまり執着してなくて。
楽しい時間を共有できれば十分で。
この子とは運動系で気が合う、この子とはイラストで気が合う、この子とは好きな本で気が合う、とか。
人との距離は広く浅く。
仲良くなったら1対1が安心で。
あんまり集団で仲良くするのは苦手だった。
いちばん心地よかったのはお手紙でのやりとり。
面と向かってよりも、お手紙や交換日記でのやりとりが好きだった。
それは今も同じかもしれない。
ママ友とも時々ランチで会って話をするけど、LINEでのやりとりの方が好き。
夫とも付き合っていた時はデートの度に交換日記を交換してた。
絵と文章でのやりとり。
会ってない時間もなんかつながっている気がしたし、本当の気持ちも伝えやすくて心地よかった。
だからあんまりリアルは得意じゃない。
多分。
そんなのもわからなくなるほど、フツーに接することができるように、仕事でうまくやっていけるように、必死に頑張ってきた気がする。
なんとなく感じる、求められる距離感
私は人よりも距離感が遠かったから、高校ではもう少し仲良くならなきゃって必死になった。
でも全然うまくいかなくて、苦しかった。
多分、自分の中の理想とするイメージばかりが先行してしまってたのかもしれない。
みんなとっても仲良し、深く付き合えている、なんでも分かり合えている、みたいな。
実際にはそう見えるだけで、駆け引きとか微妙なさじ加減があったんだと思う。
なのに、私はそんなこと知らずに、ただ距離を縮めることだけを考えた。
そんな高校時代。
クラスや趣味の合う友だちとはうまくやれてたけど、距離の近くなりやすい部活だけはうまくいかなかった。
そこで、程よい距離感というものを学べたらよかったのだと思うけれど、そんな視点も考え方も自分にはなかった。
だから理想とするイメージは払拭できず、心地よい距離感も獲得できずに社会人になる。
友人関係の延長上の感覚を社会でも採用したもんだから、まぁうまくいかない。
そういうソーシャルスキルを学ぶ機会があったら良かったんだと思う。
本音と建前ができなかった。
できないことは無理せず相談するとか、リスク管理とか、全くできてなかった。
バイトも結構やったんだけど、学べなかったらしい。
一般的な会社と違い、医療の現場は人とのやりとりが上手な人が多いし、思いやりにあふれている人も多くいるのが救いだったと思う。
大所帯の職場で、苦手な人とは距離がおける大病院にいるときがとても心地よかった。
それぞれの病棟のカラーもあったし、技術職でも畑が違うと話してても世界が違って見えた。
いろんな居場所があった。
風のように浮遊しながら仕事をするのが私には合ってた。
でもその中で、必要な関わりっていうのはあって、私はしっかり向き合いたい人だったから結構突っ込んだ話もよくした。
そういうときの違和感…。
温度差というのかな。
程よいさじ加減が必要なんだなって思った。
でもちゃんと人とは向き合いたかった。
そんな私とは、周りは少し距離を置いた付き合い方をしてくれたから、心地よかった。
グイグイこられるのは好きじゃない。
その中で学んだのは、顔を合わせたら当たり障りのない雑談を軽く交わせる距離感。
一緒にいる時間はお互いに気持ちよくいられるような会話と空気感。
困ったときでもとりあえず笑顔。
あ、この人とは波長が合うな、と思えば少し話したり。
ちゃんとやらなきゃいけないと思ってた
人との関係づくりはちゃんとやらなくちゃ、とどこかで思ってた。
人と話すからには相手のことをきちんと思いやり、しっかり向き合う…なんて。
そうだね、なんかちゃんとやらなくちゃって思ってたんだよね。
でもホントに心地よい距離感って、時々会ったり、LINEを交わすくらいの距離。
目の前にいる人と常に真剣に向き合わなきゃって思わなくてもいいのよ。
なのに、ご縁があった人とはしっかりとつき合わなくちゃ、いい関係でいられるように努力しなくちゃ、とか思っていたかもしれない。
うまくいかなかったら距離を置けばいい、必要な業務連絡や雑談くらいでやめておけばいい。
そもそも、自分がちゃんと付き合いたいと思う人は選んでいいし、そうじゃない人とはそれなりに付き合えばいい。
でもそういうさじ加減も苦手だったんだなぁ。
子どもとの距離感
子どもとの距離感も迷ってた、ずっと。
やっぱり親だからちゃんと見なくちゃ、やらなくちゃって思ってた気がする。
それが子どもにとっては重たいことだってあるものね。
長男は話してもきっと否定されるだろうなと思ったら言うのをためらうし、次男はメモのやりとりの方がお互いに感情的にならなくて済んだらする。
なんかそういう、リアルではちょっと難しい…みたいなことってあるよね。
それは否定したくないよね。
全て会話とかリアルなやりとりで済ませてしまわなくていいよね。
お互いが心地よくいられるやり方とか関わり方ってあるはずだもの。
先日、この記事読んで子どもと交換ノートっていいなって思った。
何度か試みたことは過去にもあったと思う。
でもその時の子どもとの関係って今ほど近くなかったし、子どもたちは何でも拒否的だったのね。
今ならどうかな、とちょっと思ってみた。
長男は難しいかもしれないけれど、結果やらなくてもいいしね。
ちょっと始めてみてもいいよね。
早速2冊作ってみた。
中身は私の好きな無地。
絵も描けるし、字だって自由に書けるから。
最初のページ(笑)
これで、私がちょっと忙しくて話しかけられないときでも伝えるツールが作れたと思う。
なかなか本人のタイミングで私が聞ける状況にないことの方が多いと思ってる。
いつもウェルカムな親ならいいんだけど。
申し訳ないけど、私はいつもウェルカムではないし、頭が忙しいときは切り替えができないことだってある。
そんなときでもここに書くことで忘れずに伝えられたらいいような。
別に使わなくてもいいんだけどさ。
伝えるツールはいくつかあっていいし、本人が伝えやすいタイミングと私のタイミングが合う時間があれば、それはそれでリアルでやりとりできたらいいし。
私もこれがあることで、いつでも子どもたちと向き合わなくちゃ!と頑張らずに済む。
ま、思ってても無理だけど。
なんかそうやって自分の中のやらなくちゃ!を少しずつ手放していくのっていいな。
心地よさが戻ってきそう。
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