見出し画像

ネガティブを楽しむコツ

次から次へと勝手に浮かんでくるネガティブ思考の嵐。

周りの刺激から自分を守るためだったりするんだけど、それが自分をも苦しめてるって残念すぎる。

なんとかネガティブを攻略したくて、私ずっと模索してた。

でもネガティブが強すぎてさ、いつも飲み込まれそうになって、そこから抜け出すのに必死で。


だけど、そうやって真正面から向き合ってきて良かった。

対峙するから、その正体が見えてくる。

不安に思う必要なんてないんだ。

怖がらずに、恐れずに、じっと見つめていれば、少しずつわかってくるんだもの。

わかってきたら、こっちのもの。

あとは楽しめるように工夫していけばいいだけじゃない?


自分はダメなヤツ!に負けないで

私はね、失敗してもそこで原因と解決策が見出せればそこまで落ち込まないし、次の行動につなげる強さを持ってたの。

だけどね、どうしようもないこととか、そうなって仕方ないこととかってあるじゃない?

原因と対策以前に、それは運が悪かったとか、状況的に仕方なかったとか。

私はどんなときでも諦めたくなかったんだけど、それがかえって自分を苦しめた。

そんなときの私の落としどころってね、なぜか「こんな自分はダメ!」だったのよね。

なんで自分のせいだなんて思うんだろう?


だけどね、もっと私が頑張れていたら、よく見ていたら…次々に押し寄せてくる後悔の念。

私はこの思考のクセを、やっと自覚できるようになってね(知ってたけどさ)、客観視することができるようになってきたって思ってる。


なんてことはなかったよ。

あのね、誰も傷つけたくなかったの。

それと、そう思っている割には周りをよく見ていなかったの。


だけどさ、同時に私だって傷つけたくないよね?

あの人やこの人はこの現実をどう捉えてると思う?


感情に押しつぶされずに、冷静に状況を考えてみると見えてくる。

よく見たら怖くないの。

目をつぶって怖い怖い!って思ってるから、増幅するの。


それとね、自分を責めなくていいの。

自分のせいで何かなっちゃうことなんてないの。

誰かがそう思って責めてきたとしても、それはその人の価値観や捉え方であって、その人と私は違うの。

その人のネガティブな感覚を、ホントはその人が自分自身で解決できたらいいと思うけど、難しいから出てきちゃっただけなの。

それはその人が解決できるといいことなの。

その人自身でどうしても無理だったら、頼み方とか話し方、解決策を考えてね、円満解決ができるのがいいの。

でもみんなそんなに人間できてないからね。

お互いさま、が落としどころなのかな。

(だけど、私の周りにいる人たちって、みんな人間ができてる気がする。

 必要以上に感情をぶつけてこないし、私ばっかりやらかしてるって思っちゃう感じなのよね。)


それからね、必要以上に自分を責めなくていいし、相手の出方にビビったりイラッとしたりしなくていいの。

もっと高くから見る、長い目で見る、そんなことができたら、フンワリ柔らかになる。

そういう解消の仕方、捉え方が、私には合ってたよ。


高い目とは?

高い目っていうのは、状況を客観視すること。

自分目線から離れて、私はこうだった、周りはこうだった、私はこう思った、周りはこう感じてたんじゃないかな、ってとにかく事実をそのまま捉えること。

私はこれがめちゃくちゃ苦手で。


苦手な人は言語化すると、感情と事実を切り離しやすいと思う。

感情と事実を切り離すって、得意な人は何でもないみたいだけどね。

私は苦手よ。

感情人間なんだもの。

文句はこの脳みそに言ってって感じ。

生まれつきにはなかなか勝てないよ。


でもね、苦手な人でも悲観しなくていいと思ってる。

主観的に考えるのが強い人は、自分の気持ちや想いを高めていくのが得意だし、人の気持ちにも寄り添うのが上手よね。

両方の良さを知って、その都度モードチェンジできたら、より自分を生かしやすくなるんじゃないかって考えてるよ。


そうよね、うんうん、高い目線で捉えるのが苦手な人は、感じる力が強い人が多い気がするよね。

湧いてきた感情に影響されすぎちゃうというか。

それを払拭して、客観的に捉えようとするには、ものすごいパワーと意識が必要で。

ここは、慣れるまでは人に上手く頼った方がいいかなと、私はだけど、思うよね。


私はそのまま受けとめて、私の成長を長い目で待っててくれる夫がいたから良かった。

そういう人がいると心強いよ。

いないなら、私が聞くよ。

そんな人間になれたらいい、とは思っているけど、私の気質上、やっぱりプレイヤーでしかいられないんじゃないかしら、と最近は思う。

だっていつもこんなだし?

聞くより話しちゃうし?


話は戻って、なんで人に頼るのがいいのかっていうと、自分ではなかなかオッケーが出せないからなんだよね。

自分に湧いてきた感情をそもそも否定してたり、ダメだと思い込んでたり、そういう状態で自己対話をしようとすると、自分を攻撃しちゃう。

安心、安全な相手に話して、それが人間ってもんだよって、誰も悪くなんてないよって、たまたま運が悪かったねって、あなたのしてることはおかしいことでもなんでもないんだよって、言ってもらえる必要があるって思ってる。

自分は悪くないって自分で言えない人に、誰かが言ってあげられるって必要だよね。


私はどうしようもないときは夫に、ある程度冷静に向き合えそうならnoteに、ときには客観視の師である長男にも、言葉にして聞いてもらってきたし、これからもそうしていきながら、上手く付き合っていこうと思ってる。

私が苦手な部分だから。


でもね、少しずつ上手くなっていってるの。

それがわかるから、心が少し軽いよ。

大丈夫、できるときに自分にできる範囲で少しずつ、無理なく続けていくことで、積み重なるよ。


長い目とは?

結果が上手く出せなくて、もう終わりだ!くらいの勢いで落ち込んでしまう人。

ハイ、私です。


だってね、めちゃくちゃ頑張ったんだもの。

もうどうしてよ!って思ってしまう。

その心は?


ズバリ、待てない人。


結果とか見返りとかをすぐ欲しくなる傾向がある。

例えば、欲しいものを見つけたら、すぐ欲しくなって、買ったらすぐに使いたくなる。

すぐに自分を満たしたくなる人です、私。


あ!こうかもって思ったら、すぐに行動したくなるし、その結果がほしくなる。

せっかちさん。

ちょっと生き急いでる感じも出てるかな。

やれることはやれるうちにやっておきたいって思って、どんどん予定を詰めちゃうこともある。

今しかできない、と思って手をつけることが多すぎる。

待てない人。


この気質って、学生時代は結構生かせたのよね。

締切には間に合わせられるし、すぐに結果が出るテストへのモチベーションは高いし、結果につながることは無限に頑張れたりする。

手当たり次第挑戦する力も、存分に生かせた気がしてる。


ところが、終わりのない家事とか子どもの成長を待つことが主体の子育てには合わないと思ってる。

終わりがあるから短期的に頑張れるわけだし、結果が見えるからモチベーションが上がる、というパターンに慣れてしまっていると、終わりのない家事はどこかで燃え尽きるし、結果は何十年後?の子育てなんて忍耐力以外の何ものでもない気がしてしまう。


ここは視点を変えないと苦しい点だなって実感してる。

どうしたら待てるか?


多分、長期的な目線で物事を見ることができると違うんじゃないかな。

「今」も大事だけど、今の積み重ねが未来につながるわけで。

結果を出すには?という考えから、少し離れて、「長く続けていくためには?」という視点で改めて物事と向き合いたい。

長く続けていくという目線では、決して無理はできないし、何かを犠牲にして頑張るというよりは、自分を苦しめないためのゆるい部分とか余白みたいなものが大事になる。


長い目で見ることも、私にはとても苦手な視点。

つい目の前の物事に100%で向き合ってしまって、疲れてしまうし、その姿勢をずっと続けると息切れ必須。

夫は「できるけどやらない」という省エネ戦略で生きていて、ここぞというときはちゃんと動くというメリハリのある人。

ちゃんと地に足がついていて、ちょっとのことでは動じないよね、スゴイ。

それはいつでも長期的な目線で物事を見られているからだと思った。

夫の言葉を借りて言えば、「時間が解決してくれることは多い」。

私の感覚で言えば、「時間が経つのを待っていられない、自分で動きたい、やりたい。」なのだけれど。


どちらかがいいとか悪いじゃなくて、ネガティブと向き合うときは、夫の戦略の方が平和で穏やかに過ごせるなぁと思うのよね。

過度に悲観的にならなくてすむし、落ち込みすぎて目の前のことが見えなくなることも少ない。

どんなときでもそれなりに自分を保っていられる、心を持っていかれない、そんなスタンスって大切。


夫はネガティブと付き合うのがすごく上手くて、私はポジティブを生かすのが得意なタイプなんじゃないかな(夫は私の何でもワクワクに持っていってしまうテンションに日々ビックリするようですよ)。

そういうパターンを知っておくと、自分に振り回されなくて済むよね。


ネガティブがワクワクに変わるとき

ネガティブなときってさ、ネガティブでいていいんだと思う。

めちゃくちゃツラいって思ってたけど、多分そう捉えてたからであって、ツラいことって捉えなくても良かったのかもって今は思うよ。

そう思えるようになったから、少し今は楽なのかもしれないね。


ネガティブなときって、世の中を悲観的に捉えることも多いし、人のクールさに傷つくこともあれば、人の優しさを何倍も感じられるときでもある。

私、今だから言えるけど、その世界に浸りきる時間があってよかったのかもしれないなぁって。

この感覚を知っている人と知らない人では、多分人との関わり方に大きく違いが出るように思うんだよね。

深みというか。

この人はわかってる人だ、という安心感が滲み出るんじゃないかな。

そういうセンサーって誰もが持っているよね。


それでね、本題だけど、ネガティブがワクワクに変わるときって、何かや誰かにそうさせてもらうんじゃないよね。

誰かに聞いてもらうからワクワクに変わる、何か新しいことをしたからワクワクする、そういうものじゃないってわかった。

私は苦しくて、つい何かや誰かに頼ることしか考えてこなかったんだけど、何かや誰かがしてくれるから変わるんじゃない。

苦しさやネガティブがワクワクに変わる瞬間っていうのは、自分の中から出てくる。

あ、変わった、という感覚。

割とすんなりとやってきて、待ってました!というよりは、あ、いつもと違う感覚が降ってきた、という感じ。


それは事業の成功者の人の話を聞いていても、似てるかもしれないって思ったんだよね。

今の成功は、狙っていって捕まえたわけじゃなくて、そういうタイミングのときに自然とスルッと自分の中に入ってきたんだって。

自然とその方向へ進んでいった結果が成功につながったんだって。

考えて悩んで頑張って…みたいにガムシャラな感じというよりは、必然的に目の前にやってくる、という感じなんだってさ。


そのタイミングがきたときに、進む準備がされていれば、スルッと前に進んじゃうものなんだね。

焦ってアレコレ動くよりも、その必然のタイミングを待つこと、広く準備をしておくことが大事みたい。


なんか似てるなぁって、成功者の人の話を聞いてて思ってね。

ネガティブから脱するときも、自分から脱出しようともがくほど、なんだか出口は遠く感じてしまう。

でもそこでさ、今の自分を冷静に見つめて、今自分にできることをコツコツと積み重ねていると、あるときフッと開ける、みたいなね。

自分から歩いて開くイメージよりは、しゃがんで地面にお絵描きしてて、ふと横を向いたら開いてた、みたいな感じ?


私の場合はね、ジッとしていられなくてアレコレ動いちゃうからかもしれないけど、そういう瞬間は小出しでやってきてて。

先日、長男と会話したことも大きかったし、そのあと仕事で科長と小話できたことでハッとしたことも大きかった。

朝起きて、陽の光がこんなにも優しくて温かく感じたのは初めてで。

ああ、自分の感覚次第で見える世界は変わるのだ、と思ったよ。


ネガティブ期間の過ごし方

いつもならネガティブにぶち当たるとそこから抜け出したくて、何とか講座とか、今自分に学べそうなことを手当たり次第やってみる、みたいなことが多かったんだよね。

でも受けても生かせない、みたいな空回りが多かった気がするなぁ。

計画性がないからだよね。

今の自分から脱出したい、が動機だからよね。


まずはネガティブに陥ったことを悲観せず、いい機会だからそんな自分に浸ってみようくらいの心の余裕を持ちたいね。

難しいけど、もがいてもどうにもならないと諦めて。

でもその中でできることはやる。

できないことは頑張らず、これ以上ネガティブな現実を引き寄せないように淡々と過ごす。

とても敏感になっているから、フツーの現実もどんどんネガティブ変換しちゃうしね。

それらと向き合うだけで十分よ。


ネガティブを感じやすい自分をダメだと思わないで、受け入れる。

今の私はそうなんだ。

生きてるだけで大変な感覚にあるんだ。

それに対して頑張って乗り越えようとするよりは、今までとは違う視点、感覚、世界を知るキッカケにしようと思ったらいいよね。

実際に、私はネガティブな期間で得られた世界観は、自分の肥やしになった感覚があるし、何より長男の良き理解者に昇格できたと思ってる。


ネガティブから脱しそうな私へ

少し上向きになってきた感じ、あるよね。

でも、どんな世界でも言えることだと思うけど、ちょっと乗ってきたときがいちばんリスクがあるっていうよね。

ガッツリとネガティブなときとか何かできないときっていうのは、慎重だし、常にどんよりな感覚だから何かやっても上手くいく気がしないしね、意外と変なこともやらかさないでいられる。

ところが、ちょっと上向きなときって、気が楽になってきて、心も軽くて、なんかできそうな気がしちゃうのよ。


就職でいったら2〜3年目くらい?もう少しあと?

リハビリでいうと立ったり歩けるようになってきた時期?

うつ病でいうと少し良くなってきたころ?

あるでしょ、あるのよ。

こう自然と走り出しそうな感覚に襲われるときが。


ここでフワフワっと動かずに、ベースを固めるのが大事だと思う。

つい、今までできなかったアレコレをしたくなるんだけど、まだやらない。

生活リズムや生活習慣を整える。

やりたいことは動かずに、とにかく書き出す。

そして、それをどんな順番でこなしていくかのプランニングが大事。

加速はゆっくり。

せっかく得られたガソリンというエネルギーを、ゆっくり長く使っていこう。


自分の中に湧いてきた感覚だけに振り回されずに、私らしい生き方のベースに沿って生きていく。

特に私はアレもコレもって目の前のことに意識を持っていかれやすいでしょ。

だからこそ、無理のない、長く続くような生活スタンスをまずは構築していこう。


って、せっかくネガティブをワクワクに変えようと思ったのに、最後はブレーキかける形になっちゃった。

でもそう、ワクワクと慎重さは両方必要なのよね。

慎重に考えられるから安心してワクワクできるし、ワクワクできるから慎重に考えるパワーも湧いてくる。


もう40歳なのにって焦らず、今、心地よいことをたくさん感じて、今、ネガティブになりがちな部分も必要な時間と大切に思って、気楽な気持ちでやり過ごそうかな。

やりたい!と思ってることがあるけど、動くのはまだやめておこう。

動かずにはいられないくらいの気持ちになるまで、自分を見守っていようと思う。

やり始めたらすぐに息切れそうだもんね。

大丈夫、大丈夫。

どんなだって私らしいよ。

サポートのお気持ちがとっても励みになります😊✨その幸せの気持ちを他のたくさんの方へつなげていきたいと思います🎶