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私はエッセイが書けない

私はどうしてもエッセイが書けない。

いや、別に無理して書かなくていいんだけどね。

でも「できない」と向き合うと、新しい自分と出会える気がして。

ちょっと自分の気持ちと向き合ってみたいと思う。


エッセイってどんなイメージ?

私が投稿している記事って、カテゴリで分けたら「日記」なのよね。

そう、自分のために書いてる。

その域からは出てないの。

エッセイっていうのは、伝えたい対象がある文章のことを言うんだって。

と言ってもね、細かい定義があるわけでもなくて、本人がエッセイって言えばエッセイでいいって部分もあるようなのね。

だから、ここでは私なりの線引きのイメージを話したいと思う。

実際の定義や考え方とはニュアンスが違ってるかもしれないけれど、今の私の解釈ってことで、そういう感覚の人もいるんだって思って読んでほしい。


私がnoteで投稿する記事は、日常の些細な気づきを書いてる。

それはエッセイも同じだと思うのね。

でも文章のタッチは全然違うと思っていて。


例えば、雨上がりの庭で見た紫陽花がキレイで、その前をどうしても上着を着ると言ってきかない三男が車に乗ろうと軽快な足取りで車に向かってるとする。

紫陽花のキレイさを文章で表現しながら、それとは対極にある私のドス黒いモヤモヤした気持ちもポロッと言葉にする。

暑くなるのに上着が脱げない三男。

本人のルーティンのひとつになっているのか、不安対策なのか、ハッキリはしないけれど、本人にとって大切なアイテムではあることは確かで。

紫陽花のキレイさと自分の心に渦巻く気持ちの濁った感じを対比させて、最後にはその気持ちも雨上がりのスッキリした空のように晴れていく。

そんな文章が書けたら、エッセイなんじゃないかと思う。

なんとなくよ。

構成もなんとなく決まってて、結論もあって、そこに至るまでどんなふうに表現したら、読んでいる人に伝わるかなぁって考える。

そんな過程がエッセイの面白さにつながるんじゃないかなって。

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私は美しい描写を楽しみたいわけではないらしい

実は生活の一コマをエッセイ仕立てにしようと思ったら、それなりにはできるような気がする。

上手い下手は別として、書こうとしたら書けなくもないんじゃないかなって。

でもしない。

というか、自分がそれを求めてないみたい。


一度、それ風に書いてみようとしたことがあったのね。

少しだけ。

読み手を意識した文章っていうのかな。

これ。

途中までは良かったんだけど、頭の多動が強まりすぎて、言葉が多くなりすぎたのね。

どうして後半そっちに向かって行ってしまったのかっていうと、三男との話をただのキラキラした美しい話に仕立てたくなかったというか。

なんか一生懸命言い訳しているような文章のようにも思える。

迷いも感じる。


私、こう考えて、こうしてるの!

だって三男はこうなんだもの。

私も一生懸命頑張ってるの。

そんな私の想いがあふれているような感じ。


そう、なんかね、エッセイのようにすこーし距離を離れて温かい眼差しでニッコリ見守っているような立場にはなりきれてなくて。

この話にオチとか結論、みたいなのもあるようでない。

読後感は正直悪かった。


結局、今の私の心はまだまだ子育てのことを少し距離を置いてソッと見守れたり、楽しめたり、ホッコリしたりするような距離感が作れていないんだなって実感したの。

ま、それも収穫なのよね。

書いてみたからわかったことなの。

ああ、私はまだまだ自分を応援するレベルで、出来事をエッセイのように語るにはまだまだ時間がかかりそうなんだって。

言葉に焦りがあったり、不安が表れてたりするんだもの。

そして、そんな自分に気づいて、そっと応援する言葉を乗せる。

今の私にはそれが必要な時期。

私の日常のエピソードをフワッと楽しめる文章に変換することを目標にしたら、たちまち文章を書くハードルが上がってしまうのよね。

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気持ちや考えの言語化は今の私に必要不可欠

私、まだまだ日々一生懸命。

余裕ナシよ。


こんだけ毎日文章書いてるんだから、時間の余裕はあるんでしょって思われると思うけど、ちょっと事情は違う。

「ない時間の中でも気持ちを言語化しないと前に進めないから」という、自分の気持ちや考えの把握が日々の中で最重要課題だったりするからなのよね。

決してゆったりした時間の中で優雅に文章をつづっているわけではなくて。

仕事と子育て、家事、とやるべきことや考えるべきことが多い中で、自分の気持ちに振り回されず、子どもたちにも振り回されず、日々必要なことを最低限こなすためには、言語化が欠かせないという感じ。


今の私がこの時間を取り上げられたら、たちまち感情はヒートアップしやすくなるし、理路整然と接した方がうまくいくタイプの子どもたちに感情的に接することが多くなってしまうと思う。

だから、その中でどうバランスを取ったらうまくいくかという試行錯誤の末に導き出した方法のひとつが、気持ちや考えの言語化。

もっと言えば、自分の気持ちや考えを言語化することで、自分を大切にできたり、考えを天秤にかけたりできるようになる。

そのために書いてる。

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週末出会ったステキなエッセイ

週末、ふと読んだエッセイがステキで最後までワクワクしながら読んだの。

私、サラッと読んだときに、スゥーっと入ってくる文章と、心が拒否してしまう文章とあってね。

それは自分の記事に対してもあって、読み直すと読めない記事が実は結構ある。

三男の記事もそのひとつで。


何を言ってるのかイメージしにくかったり、言葉が難しかったりするともうダメ。

私は多分、文章を読むのが苦手なんだと思ったよね。

長い文章の記事で、最後まで読み切れるってなかなかないの。

それが、たまに長いのにサラッと読めて、読後感も良くて、いい気分が残る記事に出会うと、ああ、すごいなって思うのよね。


で、その方の他の記事もいくつか読んだの。

スキがたくさんついてる記事は中でも特に読みやすかったり、いい感覚で終われたり。

ああ、そういうことなんだなって思って。

ああ、スキだ、ポチっていう。

押さずにはいられないよね。

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伝えたい感覚が明確なときはいい記事が書ける気がする

今はエッセイな感じに仕立てるのは難しい。

だけど、読んだ人が読んで良かったなって思えたかもしれない、と感じられる記事は時々書けたりする。

例えば、この記事とか。

投稿後もずっとコンスタントに読まれてる。

もちろんタイトルが結構インパクトあるってのもあると思うんだけどね。

あとは、読まれるようになると、他の方へのオススメでよくピックアップされるようになるのかしらね。

noteの拡散システムのスゴイ部分よね。


ま、そういう要素もあるにはあると思うんだけど、この記事を書くときには伝えたい気持ちや言葉って明確に決まってたの。

私は夫との時間を無駄にしたくない、その想いを言葉にしたかった。

言葉にして、自分にも言い聞かせたかった。

意識することで変えられる現実があるんだったら、意識すればいいこと。

大切にしたい、という気持ちは必ず相手にも伝わるもの。

そういう想いがハッキリしてるときに書く記事は、シンプルで、回りくどくなくて、心に響く言葉が出てきたりするのかもしれない。

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私がエッセイが書けるようになるには?

そんなわけで、今は心に響く記事が時々生まれる?くらいで、ひたすら自分と向き合う日々だったりする。

でね、それは今の私の心のステージなんじゃないかな、と思ってる。

言語化し続けることで、少しずつ少しずつ、私の中に俯瞰して自分を見つめられる自分が確立されてきてるのを感じてるから。


実はまだね、出てきた言葉に対して、やっと客観的な視点で自分を捉えられる感じなのよ。

書いていくと、そうだったんだってハッと気づく。

それで、自分励ましたり、大切にする視点で言葉にしてみたり、包み込んでみたり、が、やっとできる。

次のステージは、そうやって言葉にする前にある程度客観視できること。

最初に紫陽花の例を出したけど、記事を書く前に結論が出ている状態がそれかなって。


え?もしかしてビックリした?

そうなのよ、今の私ね、結論なしで記事を書いてるの。

思うがままに。

自分を知るために、好きなように言葉を使わせてあげてる感じ。

で、出てきた自分にハッとして、ギュッて抱きしめてあげる感じなの、そうだったのねーって。

インナーチャイルドを癒すってこんな感じなのかしらね、よくわからないけど、それに似てる気がする。


だからきっと、私の記事は自分を大切にするのが苦手だったり、責めがちな人には響くと思うのよ。

だってなかなかできないのよね、自分に優しい言葉をかけるとか、ね?


でね、十分に癒されたら次のステージに進めるんじゃないかって勝手に思ってて、それが私にとっては

「エッセイが書ける」

状態なんじゃないかって。


ちょっと面白いでしょ?

それに、同じように自分をそのまんま抱きしめられない人にはその変化が気になるところだったり、ちょっと希望だったりしないかなって思うのよね。

ちなみに、整形外科クリニックでの仕事でね、患者さんのそのまんまの想いを包み込んであげるって結構好評なのよ。

頑張ってる人が多いから。


人にはできるのよね、私。

でもそれ、自分自身には難しいの。

分かる人には分かるよねー。


だから今、私はnoteで、いちばん苦手な自分自身へちゃんと声かけてあげたいの。

たくさんたくさん励まして、応援して、もう十分ーってなるまでやり切ったら、きっとエッセイモードへ昇格よ。

ふふ。

その変化、楽しみにしてて。

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