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【小説】人の振り見て我が振り直せ  第9話「仕事を嫌がらせの手段にして、都合が悪いと、私ぃ〜病んでるんですぅ〜とはどういうことですか?」

 茉莉花という人は、人の好き嫌いが激しく、特に自分が気に入らない人には、仕事がらみの嫌がらせをする人物だった。

 本来、茉莉花の担当は施設全体をパソコン上で管理し、異常があれば警報がなってそれをパソコン上でできるものは対処し、出来ないものは現場の社員に電話連絡することになっている。

 一定時間に、施設の管理数値を記録簿に記載してしまえば、異常がなければほぼ事務所の電話番みたいなものである。

 同じ会社の別の施設では、人がいないぐらいの仕事なのである。警報がなったときに、出先の社員に通知するシステムさえあえば、人は必要ない担務でもある。だから、将来的にはおそらく〝AI〟に取って代わられるであろうことは間違いない。

 そんな仕事をしている茉莉花は良くも悪くも施設全体の状況が、パソコンの画面を通して、ある程度までは把握できる。そして、日中は一人で業務に当たる事になるため、周りは茉莉花が仕事以外の何をしていても気づかれない。(大抵スマホばかり見ている。本人は気づかれていないと思っているようだが。)

 そして、茉莉花は、仕事を〝嫌がらせの手段〟として使ってくる。
 
 そもそも、何かの不具合に気づいたのなら、その現場の担当の社員に、まずは電話連絡をして確認し、すぐに対応すればいいことになっている。
 所長に連絡が必要な重大なことであれば、すぐに連絡すれば良いだけで、そのためにそこの担務をさせているようなものなのだ。

 しかし、それを気に入らない社員に〝嫌がらせ〟をしたいときだけ、重大ではないことでも自分で対処せず、わざわざ所長にいい、別の現場にいる正社員を動かし、その現場を担当している社員に対して嫌がらせをするのである。

 つまり、〝自らは手を汚さずに、他人を使ってくる〟のである。

 そして、茉莉花はその嫌がらせをすることで、あたかも自分は仕事が出来て、現場を担当している社員は仕事ができない、〝自分は日中いつも注視して画面を見ているアピール〟を大げさなくらいに正社員に対してすることも兼ねているのだ。

 また、マウントを取りたい〝新人社員〟に、仕事がよくわからないのをいいことに、これ見よがしにやったりもする。そういう時には決まって、茉莉花には〝名台詞〟がある。

 茉莉花「私ぃ〜、〝先生〟って呼ばれてるんですよぉ〜」

 新人社員「………。はぁ……。」

 他の社員「…………………。(あの下心しかない、夜勤のオヤジだけだろ?)」

 茉莉花が全社員に同じ〝嫌がらせ〟をするのであれば、ある意味平等で、そういう人格だと理解も出来る。

 しかし、自分が気に入っている社員には全くしないのだ。重大であっても、所長に連絡せずに〝猫なで声〟で正社員に直接連絡し〝なかったこと〟にする。そして、その社員にあとで〝私がやってあげたアピール〟をして恩を着せるのである。
 
 茉莉花は自分にとって都合のよい人間と、都合の悪い人間を嗅ぎ分ける能力が異常にたけている。そういう悪知恵の働く頭の回転みたいなものがある人物の典型だった。

 正社員以外の社員のほとんどは、特に入社してあまり業務に慣れていない時期に、茉莉花の〝嫌がらせ〟を受けているので、現場に行けば、休憩時間に茉莉花の〝嫌がらせに対する文句〟を常に言っている。

 知らないのは〝茉莉花本人だけ〟なのである。

 もちろん由希子も入社当時にその〝嫌がらせ〟を例外なく受けている。しかし、茉莉花は女同士という執着があるようで、事あるごとに嫌がらせをしてくるので、一度キチンと本人に注意をした。その時の〝反抗的な目〟は二度と忘れることはないだろう。
 
 それ以来、茉莉花は本来、毎日由希子に連絡しなければならない警報による連絡を、全くしてこなくなった。それが茉莉花の仕事なのに。

 これも茉莉花なりの仕事を使った由希子への〝注意の報復〟なのだろう。

 しかし、由希子は茉莉花のところで警報が鳴る時間を毎日逆算し、この職場にいる間は二度と間違えることはなかった。由希子の意地でもあった。

 後に茉莉花は、相手は由希子ではないのだから、もとのように毎日連絡しなければならないのを忘れて、由希子の後に担当した社員にも同じことをやり〝オオゴト〟になったと由希子は聞いた。

 その時話してくれた社員に、初めて、毎日由希子に連絡が来なかったことを言った。
 由希子が言わなければ、毎日のようにそんな〝茉莉花の嫌がらせ〟を受けていたことに、誰も気づかなかったと思う。

 些細なようで、仕事としては重要なことだ。

 本来は由希子も所長に報告してあらためてもらうべきものでもあるので、由希子にも非があるかもしれない。しかし由希子は、そうしてでも、茉莉花を刺激せず、こういう人間とは距離を置くべきだと考えていたのだ。
 一つ指摘すれば、嫌がらせをエスカレートさせていく事が容易に想像出来るからだ。〝相手にしないことが一番の対策〟であると判断したのだ。

 結果、茉莉花は〝仕事を嫌がらせの手段〟に使ったバチが当たったのだろう。

 しかし、それでも茉莉花は自分が嫌がらせをして、都合が悪くなると決まって言う台詞がある。

 茉莉花「私ぃ〜、病んでるんですぅ〜。」

 そして、所長が新しい仕事をさせようとすると、また同じ台詞を言うのだ。

 茉莉花「私今ぁ〜、病んじゃってるんですよぉ〜。だからぁ〜、やる気はあるんですよ、やる気はあるんですけど、その仕事は出来ないんですよぉ〜。」
 
 〝他人に嫌がらせをしなければならないくらいの病み具合〟や〝自己判断で、病んでることを自ら主張する病み具合〟というとはどういうことなのか…。

 由希子は以前、高齢者や障害者福祉施設で介護士をしていた経験がある。夫の転勤で施設は転々とせざるをえなかったが、さまざまな人たちの介護をさせていただいた。

 専門家の診断を受けて入所に至った人たちであるが、そのほとんどがわかりやすい症状ではなく、いくつかの症状の複合である人が多い。
 身体、知的、精神、発達など、その複雑に混ざりあった症状のうち、多く表に出てくる症状に対して対処し、日常のサポートをさせていただくのが現状であるように見える。

 介護士は日常の些細な行動や言動の変化、気分の浮き沈みなどを注意深く観察し、コミュニケーションなどのアプローチを変えるセンスみたいなものが求められる。
 もちろん、高齢者施設でも同様であるが、その両方を経験すると、身体介助(食事、排泄、入浴などの身体に触れる介助)は少なくなるかもしれないが、やはり障害者施設の方が多くの神経を使うような気がする。

 なぜなら、施設に入る段階まできている人たちの症状は、すでに何らかの著しい症状に対処する薬が処方され、その副作用や薬の強さにより、常態的に浮き沈みが当たり前の生活を送っており、誰かが常に見ていなければいけない状態にまでなってしまっているからである。
 薬の効き具合や、その日の天気、なにか自分にとっての不快感による苛立ちや攻撃など、その人によってスイッチがさまざまで、その難しさを感じることがほとんどである。

 それに加えて、どこの施設も常態的な人手不足と、社員が入れ代わりが激しく、入所している利用者の方にもストレスがかかって、悪循環に陥っているのが現状ではないかと思われる。
 現に由希子も介護士の資格と実務経験があるため、どこの市町村に行っても即採用になる。お給料は安いが資格手当がでるところもある。

 そんな由希子は、介助をさせていただいた経験を踏まえて〝病んでいると言う茉莉花〟という人物に向きあった時、どうしても違和感を感じてしまうのだ。

 確かに、施設に入所される人はある意味〝振りきった〟人たちなのかもしれないので、一概には言えないが、茉莉花を発達障害などの〝グレーゾーン〟と言ってしまえば、言えてしまうのだろうし、最近の新型うつなどもいれれば、〝何かの病気〟にきっと当てはまってしまうのだろうと考えられる。

 しかし、あくまで由希子の経験上ではあるが、そういう身体障害以外の人たちに共通するのは、表立って他人が理解しづらいのもあり、自分のことを障がいであると、著しくまわりに強調したりする人は少ないと思うのだ。

 どちらかと言えば、初期段階で、そもそも自分でも気づいていなかったり、積極的に公表できずに密かに悩んで思いつめている、というのが多い気がするのだ。
 最近のうつ病では、自分でうつ病だと主張する人もいるようだが、どちらにしても、自己判断ではなく、専門家の判断を仰ぐべきだと思う。

 茉莉花も〝自分は病んでるから、やる気はあるけど、新しい仕事は出来ない〟というのだから、きちんと専門家に診てもらうべきではないのか。本当に病んでるとすれば、本人はきっと辛いのだろうし。

 それに〝他人に嫌がらせをしなければならないほどの病み具合〟とはどういう病気で、どの段階なのか、由希子も勉強させてもらいたい。

 〝病んでる〟という言いかた自体は、どちらかと言うと、自分に向いている(自分が死にたいとか、無気力だとか、ネガティブだとか)と思うが、他人に対して〝間接的に攻撃する〟病み具合を、症例として見たことがないからだ。

 あえて、病名を想定するのであれば、受動攻撃性パーソナリティ障害(怒りを直接的に表現せず、陰口や皮肉などの相手を困らせるような行動をして攻撃する障害)と、なにかの複合に近いのかもしれないが、専門家ではないので、あくまで個人的な予想でしかないのだが。

 どちらにせよ、ターゲットにされる側にしてみれば、気持ちの良いものではない。

 由希子は経験上、茉莉花の〝警報が鳴っているにも関わらず、連絡しない嫌がらせ〟行動に対して、〝刺激せずに距離を置く〟のが最善策と判断し、最後までその嫌がらせを表立って公表しなかったのだが、一般的には明らかに悪意からくる攻撃性のある行動であったと思っている。

 それを病気だと言うのなら、逆に茉莉花は〝悪意があると相手に思われてはいないし、当たり前の行動だと認識している〟ということになる。

 それらを踏まえて、由希子は思うのだ。

 (どこの職場にいっても、一定数の嫌がらせをしてくる人たちはいる。

 それに時間を費やすのであれば、もっと自分のためになることに時間を使えばいいのにと毎回思う。

 自分の時間を使って他人を攻撃することになんの意味があるのか。本人はそれに意味があるから攻撃するのだろうが、時間の無駄遣いをしているのではないだろうか。中には、わざと煽るように攻撃して反応を試す人さえいる。

 人間の時間は有限であり、その時間をいかに自分にとって充実させるか考えて行動するほうが良いのではないか。

 もし、自分の承認欲求を満たすマウントのために他人に嫌がらせをしているのであれば、なおさら今の若者がいう〝タイパ〟に優れないのではないだろうか。

 決して、茉莉花の気持ちを、全くわかろうとせずに諦めているわけではない。

 しかし、自分自身の時間とタイパを考え照らし合わせると、やはり距離を置くべき人物だという結論に達してしまうのである。)

 その出来事自体は、人生経験という自分自身の糧として、学びの機会だったと受け止めることにしよう、そう思う由希子だった。

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