旅で、壊れた心は救われない
大層もったいない旅をした。
迫りくる明日への恐怖に耐える、午前3時の寝台列車。
物理的に身体が温められた、玉造温泉。
「実績作り」ために行った、出雲大社。
こんなはずじゃなかった。
大学4年生ぶりに乗る寝台列車にわくわくしてインスタのストーリーにあげるはずだったし、誰も入っていない雨の日の露天風呂に心も身体も身を任せるはずだったし、しめ縄にやっと出会えた感動をひとり噛み締めて、その壮大さに圧倒されるはずだった。
そんな旅にしたかった。
ただ1つこの旅の教訓があるとすれば、精神が壊れたときに必要なのは、旅じゃないかもしれないことである。
とりあえずどこか遠くに行ったら?の罠
今年1月の中旬、「仕事行きたくない」に限界が来て、配属先の居酒屋に出勤できなくなってしまったある日の昼。
同じエリアの料理長が心配の電話をくれた。
とりあえず私の休みを確保すると言ってくれたあとに、こう続けた。
「どこか旅行にでも行ってきたら? リフレッシュできるよ。俺もそうだったし。」
正直そんな気力はない。
でも、行かなきゃいけないような気がした。
絞り出した行き先は島根県。
旅好きの私でも一度も訪れたことがなく、特に出雲大社はかねてから行ってみたかった場所だった。
Googleマップで目的地をとりあえず保存して、そこまでを辿る「足」の予約をおさえる。
「足」の道中のめぼしい観光地を行き先の候補に挙げる。
宿泊先は駅前のビジネスホテルをいくつか候補にあげて、道中にすぐ予約できるようにする。
今回の旅は、東京駅から松江駅まで寝台列車の「サンライズ出雲」で向かい、松江から鈍行で玉造温泉に行って朝風呂に入り、そこから出雲駅に向かって出雲大社に行くことにした。
次の日の朝、始発で出雲駅から岡山駅まで向かい、そこから新幹線に乗れば昼の出勤に間に合う。
本当はもう1日かけて石見銀山にも行ってみたかったが、「なんで出勤しないの」と言われる恐怖が勝った。
段取りよく荷物をちゃっちゃとまとめる。
ここまではいつもの旅と同じだった。
夜通し走るサンライズ出雲と、いつまでも暗闇にいる自分
楽しいはずなのに、まったく心が弾まない。
早すぎる東京駅の到着は、JR東海の窓口で寝台列車の切符を引き換えても、十分時間を持て余した。
すぐ近くのNew Daysに入って水とおにぎりを買い、暇つぶし程度にトイレに行き、出発20分前にホームに向かう。
4年ぶりに乗る「サンライズ出雲」。以前寝台列車に乗ったときは個室席だったが、今回はいちばん安い「のびのび座席」という雑魚寝シート。
滅多に乗るものではない。
いつもの私なら軽率にときめくはずだったのに。
座席番号を確認して、ただ座り、とりあえず写真を撮り、場所を整えて、寝る。それだけ。
夜通し暗闇を走るサンライズ出雲はまるで、働きたくないけどどうすればいいのかわからない暗闇でもがく自分のようだった。
横になっても迫りくる明日への恐怖で、息が詰まる。
手が震えて、付属の薄い掛け布団を掛け直す。
うつ病ってこんな感じなのかな、とスマホで検索すると、「セルフうつ病チェック」のページが出てきた。
結果、30点以上で重度と判定されるところ、28点だった。
たった1人の露天風呂
旅の前から雨だったが、松江に着いても土砂降りだった。
それでも特に天気に左右されないスケジュールだったので、当初の予定通り玉造温泉駅に到着。そこからタクシーで目当ての温泉に向かう。
「今は閑散期だから、温泉独占できると思うよ! 晴れていれば宍道湖が本当によくきれいに見えてね。お姉さんに見せてあげたかったな〜。」
まあ雪じゃないだけよかったけどね、とタクシーのおじさんはそう加えて慣れた道を走る。
おじさんが言っていた通り、平日だったことや天候などが重なり、温泉には私しかいなかった。
3人で満員になってしまうくらいの、ちいさい露天風呂。
大して長くない足を遠慮なく伸ばす。
店舗のアルバイトや常連さんに、休んだ理由なんて言おう。
みんな働いてるのに私は島根で温泉に入ってるなんて、誰にも言えない。
私のせいでみんなの休みがなくなってしまう。
身体は温まる。でも心はいつまでも仕事で支配されていた。
暗闇で唯一、明るかった場所
出雲大社に行っても、私の荒んだ心は変わらなかった。
とりあえず写真を撮り、お参りをして、御朱印をいただき、ぜんざいを食べる。
「出雲大社に行った」という実績を作りに行っただけの旅。
行かない方がマシだった。
旅は健全な心で行くから、刺激を感じられる。刺激も楽しめる。
ただ、この旅で唯一楽しめた場所がある。
出雲駅近くで立ち寄った居酒屋「ツバメヤ」だ。
新店を匂わせる、明るくきれいな店内。
観光客にも地元民にも、シーン問わず選ばれる料理の品揃え。
加えて満席近くなのに提供スピードも早い。
カウンター席にはおひとり様向けのメニューも用意。
寂しい平日の商店街で唯一、この店だけ明るかった。
ときめいた。こんなにいい店があるのか。
私がこの旅で唯一楽しめたのが、私が苦しんでいる「居酒屋」だなんて、なんとも皮肉だと思いませんか。
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