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20年前の絵本作家にインタビューしたい

絵本は、省略のメディアである。絵本作家は起伏に富んだ物語を、10枚や20枚の絵で説明する。物語のなかから、「ぜったいに必要な場面」や「ビジュアル的におもしろい場面」、また「絵で説明しないと伝わらない」場面を抽出し、印象的な絵を描いていく。

(中略)

絵本作家は、読者が目にしているものと同じテキストをもとに、「なにを捨て、なにを残し、どうつなげるか」を考え、10枚や20枚の絵を描き起こしている。つまり、絵本を手にする読者は、絵に描かれた場面だけではなく、絵として描かれなかった場面ー映画でいえば「捨てられたフィルム」ーのすべてを知ることができる。

(中略)

「描かれたもの」と「描かれなかったもの」の両方が並び立っている表現媒体は、おそらく絵本だけだろう。

古賀史健さん『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』(ダイヤモンド社)p217~218

インタビュー記事の執筆をするときは、「何を書くか」よりも「何を書かないか」が大切、と教わった。

実際手を動かしてみると、その難しさがわかる。インタビュー中はたくさんお話しするから、ただでさえ情報量が多い。その中から話のサビを見つけて構成を作っていく。

自分にとっては面白いと思える内容でも、企画のテーマから外れていたり、読者が求めていないことだったりしたら、それはカットしなければならない。


この作業はきっと、執筆だけに留まらない。テレビCMはあの15秒を作り上げるために何時間も撮影に費やすと聞いたことがあるし、ドラマや映画もそうだろう。

その完成品は常に、「排除」された上で出来上がっている。
そしてその「排除」されたものは世にさらされない


この「選ばれたもの」と「選ばれなかったもの」両方が共存する唯一の媒体が絵本であると、『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』で書かれていた。

この事実を知って腑に落ちたと同時に、過去の自分が恐ろしくなった。

私は小学1、2年生のころ、ずっと絵本を描いていたのだ

当時は物語を作るのが好きだった。そして、絵を描くことも好きだった。
きっと話を考えるうちに絵を付けていって、それが「絵本風」になったのだろう。


ただ、私は絵本という媒体の特殊さを知る前は、この過去を軽視していた。

どうせ大した話じゃないし、絵も子どもの落書き程度。遊びで描いていた程度だし、それもいつしか描くのを辞めてしまっていた。

しかし、重要なのは話の内容や絵のクオリティではなかった。

7歳の私は無意識に、話に沿って絵に「描くもの」と「描かないもの」を選定していたのだ!


本書では昔話の「ももたろう」を題材に、10枚の絵を選ぶワークをしたが、選定にかなり時間がかかった。とても難しかった。

あの頃の私は、どのような基準で「描かないもの」を選んでいたのだろうか……。
20年前の私にインタビューしたい気持ちでいっぱいだ。

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