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わたしにとって仕事は〇〇なんです。


こんにちは、親方の三上です。


みなさん、「そもそも論」という言葉を聞いたことはありますか? 


「そもそも〇〇とは?」 


例えば、わたしであれば建築親方をしているので、そもそも木とは?、とか、そもそも建築とは?と考えることができます。この「そもそも」の対象は人でも物でも自然でも宇宙でも哲学でもそれが建築以外のなんであっても、この世界にあるあらゆるものを〇〇に当てはめて考えていくことが可能です(多くの場合、とても面倒くさい作業になっていきますが笑)


ではなぜ、この「そもそも」が--ある人にとっては人生を生きていく意味で--非常に大切な意味をもつのかといえば、そうすることで「ものの本質」に辿り着くことができるからでしょう。


一般的に、仕事は食べるため、とか、家族を養っていくため、といわれたりします。わたしもそのイメージ自体は決して間違いではないと思っています。しかし、そこにそもそも仕事とはなにか?という「そもそも論」の小石を投じていくことで、やはりそこから仕事の本質のようなものが見えてくることも確かです。


仕事は対価(お金)とイコールの関係です。仕事をしてその対価としてのお金をいただいています。人は普通、価値があると感じられるものにお金を払います。逆に価値が感じられないものにお金を払おうとは思いません。


また同時に自分にとってその商品やサービスがどれだけ価値の高いベネフィットを与えてくれるのか、どのような世界観を見せてくれるのか、そうしたことも踏まえながら、その仕事に対して支払う適正な対価までも総イメージ化します。人ってかなり凄いですよね(笑)


世界には極めて質の高い、非常に数の限られた商品やサービスが存在します。そしてそのような「仕事」は質もベネフィットも高く、思わず共感してしまう独自の世界観があったりするものなので、当然ですがその価値はどんどん高くなっていきます。


例えば、イギリスのある仕立て屋さんでジャケット1着を仕立ててもらった場合、支払う対価(価値・価格)は200万円近くになるそうです。


わたしも含め大勢の方が間違いなく、高いッ!と感じられると思いますが、その仕立て屋さんが存在しているということは、ジャケットなりパンツなり、そこで提供されている商品やサービスに高い価値を感じてその対価を実際に支払われていらっしゃる方がいるということです。


ここでわたしが何を表現したいのかというと、仕事とは人を幸せにするために機能する社会的な役割だということです。つまり、仕事は食べるため、家族を養うためでありながらも、奥深くにある本質というものは、誰かを幸せにした結果はじめてそこにその仕事の価値が生まれ、そこに対価が支払われる、ということです。


誰かの役にたつ、誰かを幸せにする、それ以外に仕事の価値も、また仕事に対する対価も生まれないことが「そもそも」という小石を「仕事」という抽象的なイメージに投じてみることでその本質が明らかになっていくわけです。


建築リフォームの仕事はいってみれば生身の人の手による作業が中心です。そのため、お客様から手直しのご要望やクレームのお話をいただくことが時にあります。仕事は相手の方に幸せになっていただくことがそもそもの本質ですから、謙虚に然るべき対応を施すことは当然です。そしてその上で最終的にはお客様に必ずハッピーになっていただく。


そう考えれば、わたしにとって建築とはお客様にハッピーになっていただくための「手段」に過ぎず、そもそもの建築の「目的」はお客様のハッピーだろうと思います。



最後までお読みいただき、ありがとうございます。



三上