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2.5m先のセンパイ

K先輩が少し先で立っている時の気配を、今でもありありと思い出すことができる。

 K先輩は私が高校に入学した時に既に3年生だった、2コ上の先輩だ。私たちは同じ放送部で、授業以外のほとんどの時間を部室である放送室で過ごしていた。
 K先輩は決してマジメな部員ではなかった。というかどちらかというと「不良」に類する人だったと思う。
 遅刻は常習、単位はギリギリ、放送部での活動もロクにせずサボってばかりで、
タバコが見つかってはしょっちゅう停学をくらっていた。かと言ってK先輩はいわゆるヤンキーではなく、たまにケンカはしていたみたいだけど、へんなところで繊細で、部内で一番かわいい先輩が「今年はみんなにバレンタインチョコあげるね」と言ったのを意識しすぎてお腹を痛め、バレンタイン当日に学校を休んだりしていた。服装はいつもジャンパーにジーパンで、無口で、シャイで、ヘヴィメタルとPCゲームが好きで、いつも少し長めな黒髪が、ふちのない眼鏡の上から先輩の細い目をさらに隠していて、そしてK先輩は、誰よりもやさしい人だった。

 当時私は、同じ放送部のMと付き合っていたのだが、K先輩とMは仲が良かったため、三人でよく遊んだ。遊んだと言っても、休日にわざわざ会ったりするのではなく下校時間ぎりぎりまで部室でお菓子を食べたり漫画を読んだりしたあと、そのままだらだらと自転車を押しながら川沿いの公園まで歩き、そこで暗くなるまで三人でなんとなく「居るだけ」という、「仲が良かった」と書くのもはばかられるほどの緩慢さで、私たちは夕闇のなかでゆらゆらと過ごした。

 公園に着くと、K先輩が吸うタバコの灰皿に適した空き缶をみんなで探した。
コーンスープの缶のような、口が広い使いやすいものが見つかるとK先輩のテンションがちょっとだけ上がっていた。
 私がMと付き合っていることを、K先輩に直接言ったことはなかったが、
K先輩はそれに気づいていたと思う。でもそれを私たちにわざわざ確認することもしなかった。ただ私とM先輩がぎこちなく喋っているのを聞くとはなしに聞きながら、隣でK先輩はいつも黙ってタバコを吸っていた。

 ある日、少し離れた場所に置いた自転車のハンドルに、私が体操着入れをひっかけたままにしているとK先輩がすっと立ち上がり、体操着入れを取って手渡してくれた。どうして手渡されたのか分からないままキョトンとしていると、静かな声で
「いろんな変態が、いるからね……」
 と言ってベンチに座るとまたタバコを吸い続けた。
横にいたMがそれを見て、「それに気づくお前の方が変態だよ!」と笑って囃し立てたけど、K先輩は涼しい顔して何も言い返さなかった。

 付き合っていたMのことは好きだったが、感情の起伏がはげしい人で、ほんのささいなことで怒ったり不機嫌になったりし、なだめすかそうとした私がたびたび辛辣な物言いで罵倒されることがままあった。
 そうして耐えきれなくなった私が部室を飛び出し、屋上でメソメソ泣いていると、必ずと言っていいほどK先輩が、後からすーっとやってくるのだ。
 そのままゆっくり歩いて私から2.5mくらい離れたところに立つと、少し遠くからジッポのライターの着火音がして、いつもの煙が風にのって漂ってくる。タバコを切らしてるらしい時は、購買でいちばん安いラスクをじゃこじゃこ食べてる音がする時もあった。
 「どうした?」も「大丈夫?」も一言の声もかけないまま、そうして私が泣き止むまで、ずっと2.5m先にK先輩はいた。
 そのうちにしばらく経つとMも私を迎えに来るのだが、私とK先輩が一緒にいるのを見て「え?何?お前ら何かあったの?」とよく聞かれた。その度にK先輩は
その時になってはじめて私の方を向いて、
「いや?何もないが?」
と、すました顔で応えていた。

 けれど一度だけ、それが「いや?何もないが?」じゃないことがあった。
その日、号泣、と言っていいくらいの勢いで泣いていた私の横でK先輩はいつもどおりタバコを燻らしたあと、やっぱり迎えにきたMにいつもどおり「お前ら何かあったの?」と問われて、「いや?何もないが?」のかわりに、いつもよりすこし間をおいて、

「何もない、でもない」

と言ったことがあった。

怒っているでも笑っているでもない、感情の読み取りにくい平坦な声で、でもまっすぐMのことを見て、「何もない、でもない」と。

 先に書いておくが、これは、K先輩が実は私のことが好きだったとか、そういう話ではまったくない。K先輩には当時彼女がいたし、その彼女と別れてから、別の女の人に片想いしていたことも知っている。だからこそ、その時のK先輩の言葉に私は心底おどろかされた。胸がくすぐったいような気持ちになり、さっきまでびしゃびしゃに泣いていたのに、思わず笑い出しそうになり、それでいて胸が潰れるようにくるしくなった。

 誰かに守ってもらうためには、好きになってもらうしかないと思っていたのに。
生きてるだけで大事にされることがあるなんて、私の人生にはありえないと思っていたのに。どうしてこの人は、好きでもない私を守ってくれようとするのだろう。
なぜ、私が泣いていることに、腹を立ててくれるのだろう。

 K先輩がどんな思いでそう言ったのか、今でもわからない。ただの気まぐれだったかもしれない。あるいは、そんな大した意味はなかったのかも。それでも私がこれまで「男の人に大切にされた」と確かに感じたのは、生涯でこの時ただ一度きりだ。

 次の春。K先輩は追試に追試を重ね、教師たちから半ば追い出されるように高校を卒業していった。大学進学はしなかった。どうするの、と聞いたら「さあ?どこかで適当に働くよ」と言っていたが、就職したとはついぞ一度も聞いていない。
卒業後しばらくは放送部のOB会などで会うこともあったが、そのうちにお互い電話番号が変わり、連絡が取れなくなってしまった。

 Mとはその後、実に6年にも渡り付き合い続けたのだが、結局のところは長く付き合った多くのカップルがそうであるように、こじれにこじれて別れた。その6年間に関してはここでは割愛するが、ただひとつ言えるとすれば、私は長らく、傷つくこととときめくことを勘違いしてしまっていたのだと思う。彼について落ち込み、悩むたびに「こんなに彼のことを考えているのは好きだからに違いない」と本気で思い、自分を傷付ける人をふかく愛そうとしていた。K先輩の言うとおり、人が傷つくときには「何か」がある。「何もない、でもない」はずなのに。

 K先輩もMも、今どこでどうしているのか検討もつかない。ただ、毎年夏になると、寄ってくる蚊を叩き殺しながら過ごした蒸し暑い夜の公園と、タバコの匂いと、こちらを見ないで話す癖があったK先輩の横顔を思い出す。そしてふと、私はMではなくK先輩と付き合えば良かったんじゃないか、などと思ったりし、自分の軽率なひらめきに、速攻でほとほと呆れる。ばかな。きっとそんなことはできなかったし、例え時がさかのぼれてもそうしないという確信があるのに。なぜ人は、ありえなさを確認するようなあさはかなことを考えてしまったりするのだろう。

 でも、私は確かにK先輩に会いたいと願っている。会ってお礼を言いたいと思う。心から。私を好きにならなくても大切にしてくれた、そして私も好きにならなかったけど大切だったK先輩に、今でもすごく、すごく会いたい。

 この世の全てに一瞬で感激したり絶望したりしていた、打たれ弱く、すぐ泣き出すくせに無鉄砲で、傷つくことと誰かを好きになることの区別さえつかなかった、16歳の女の子の2.5m先のやさしさ。

私は今もその気配に守られている。




※文中のアルファベットによる呼称は、実際の人名とは無関係のものです。


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