お盆にちょっと気づいた話。認めるだけでいいのかも。
私、先祖・家族・両親とかを
「大切にしよう」「敬おう」 って表現があんまり好きじゃなくってさ。
家族仲悪いとかじゃないよw
お盆ってのも、母の日やらなんやらの日も好きじゃなくてw
「大切に」とか「敬え」、「感謝」とかって、
言われてするもんじゃないだろ?
湧き上がるモノだろ?
気づいたら勝手にしちゃうもんでしょ?
って。
したくなったらするわ!黙っとけ!って。
まぁ、あれよ、言われた通りヤル・指示されるのが嫌いなタイプなので。
※中の人は天の邪鬼なところがあります。
なんだけども、
なんだか少しワカッタきがするぞと。
「大切に」「敬う」って言葉の概念がちがってた。
「自分より相手を優先する」「相手に従う「自己犠牲しても尽くす」みたいなニュアンスでとらえてた。
そんな↑だから、「ヤなこった!」ってなるわけで。
本来は、ただそうであるらしい と認知する でいいんだね。
先祖・家族…ワタシまでの過程・設定が
「そうであった」と、ただ認めればいいだけ なんだ。
・先祖そういう人が居た(らしい)。XXで▽▽だったらしい
生まれる前に〇んでて、実際会ってない人の方が多いし。
それがホントかウソか、わからない。けど、それでいい。
って気づいたら
・なんか知らんけど「ありがとう〜」
・「先祖さんもぼちぼち頑張れよ〜」
って気持ちになってきました。
って話。
好きにならなきゃ!
とか、世話しなきゃ! じゃなくてイイんだなぁ。
◯◯しなきゃ!
ってのがセルフ縛りプレイの原因で、それ自体いらないのかもね。
自分が「〇〇しなきゃ!/してくれなきゃ!」って言いそうになる時って、
ちょっと余裕ナイゾ! のリトマス紙なのかもしれないね。
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