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幸福論

〜満たされてしまうことへの不安は不幸なのか。という話〜

10年ほど前、もう人生でやりたいことをやり尽くしたので死ぬ以外やることがないって富豪がいる話を聞いた。

その人は最期どうなったか、まだ生きているのかは知らない。

ところで、あたしは片付けが苦手だ。それでも職場さえそれなりに整理でいていれば、家の中のことなんて、生きるのには優先順位が低い程度の物事だと思う。

そんなあたしの前に片付け得意だからやりますよ。と言ってくれる男性が現れた。
なんと、ギターまで弾いてくれると言う。

機能として文句の付けようのない男性だ。
容姿も悪いわけではない。
ひと言彼にYESといいだけでいい。
合理的に考えて躊躇する理由はない。

ここで躊躇してるってことはまだ考える必要があるってことだと思う。

どんなあたしで何を目指して行くか。

心地よい条件が揃ってしまうことで、安定してしまうことで、感情の機微も何かへ向かうエネルギーも消失してしまうんじゃないかって、これからへの期待より、一抹の不安を感じている。

先の老人のように、満たされたことにより何もかもどうでもよくなってしまうんじゃないかって。

これからの新しい幸福への希望のための行動より今の薄い不幸に染まっている方がいいって言う人はたくさんいる。

自分自身が変化したり、周りの変化に適応するのはエネルギーが必要。

だから嫌なんだろう。

その薄い不幸の中にあたしもいるのかもしれないとも思うし、自分の何かへ向かって行くエネルギーは保持していたいと思う。

結局、自分の生き方を後悔したくないから、思うように生きるしかない。

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