見出し画像

水中毒の話

だんだんと暑くなってきました。
介護施設では、喉の渇きがわからない高齢者に試行錯誤しながら水分を飲んで頂きます。
それでも頑なに口を閉ざして活気が薄れてくる方もいるので、やむを得ずに点滴となる場合もありますが…。
新人看護師の頃、精神科病棟で見た光景はそれと真逆の姿でした。喉の乾きが満たされたという感覚を忘れた人たちです。居室の水道の元栓が締められており、看護師の詰め所まで水をもらいにいくようになっていました。
多飲が習慣になり腎臓が処理能力を超えると電解質のバランスが崩れてしまいます。その結果、血液循環が滞り、命を落としかねないのです。
脱水もそれと同じで、看護師はいつも「過剰」と「不足」の狭間でためらうものです。
体は無意識ですが、約70%の水がちょうど良いことを知っています。細胞の一つひとつがバランスを保つために機能を果たしますが、水が過剰や不足にあると、溜まった汚物を排出することが不可能になります。

看護の本質は心を活かすこと。
生きる意味を見出し生命力を高めることです。
たとえ病気でも寝たきりでも、役割はあるはずだから。
血圧や検査データであれこれ伝えても心の奥まで響きません。
ですから看護師はためらい、苦しみます。
しかし、諦めなければその答えをバランスと循環のなかに見いだすことができるのです。
固まった血液を溶かすには深いところに耳を傾ける必要がありますが、諦めなければキツく締まった蛇口がいつのまにか緩んでいくのを感じます。

諦めと欲求

辛い、もう嫌だ、あゝつまらないという感情の先には自分の都合通りにはならないという強い自我があります。コロナ禍で長い間家族との面会もできずに喜びを失った高齢者は日に日に活気を失っていきました。
母や妻である役割を見失い何のために生きるのかがわからなくなっています。
人は意志がわからないと血液循環が滞り老化が進みます。しかし、意志を見いだすことが出来ると蘇ることができる!
わがままとか、興奮などの不穏な症状は諦めていない証拠ですから、看護師も諦めてはならないですね。
約70%の水はバランスと循環によって意志を表現しています。たとえ寝たきりでも、毎日その名を呼ぶだけでも音が細胞に響き蘇ります。看護師が諦めると患者様も生きたい欲求を諦めます。

感覚

美味しいものを食べたり飲んだり、きれいな景色を見ると感覚は刺激されますが、血液までは刺激されません。同じ感覚を得ようと繰り返すだけです。しかし、不安と恐怖の中から生きる意味を見い出すために行動すると血液は刺激されます。
今は苦労したい人が減っていますから血液がドロドロと固まり、生活習慣病になる人も増えてきました。
昔から、苦労はお金を払ってでもしなさいと言われてきましたが、今は医療費の支払いに苦労している人も多いかと思います。

バランスと循環

人が不安や恐怖を感じるのは、このままではいけない!と生きていくために進む大事な感情ですが、あまり過剰になると思考力が損なわれていきます。秩序がなくなるので、被害的になりますが本当は求めているのです。体はどうにかしようとさまよいながら、命の根源「水」にたどり着きます。
これは無意識ですが、あちこちと動き回り何かを探し求めている人は何も精神科に限った事ではありません。
職場でも家庭でも、不満ばかり言う人は自分が何をしたいかわからずに人生そのものに不満を感じています。仕方なく仕事へ行き、自分が何がしたいかを人から示されなければわからなくなっていますがこれでは血液は循環されません。
水という他人に支配された心は意志に抗うと固くなります。それを溶かすには、意志という生きる意味を見いだし、気と血と水を循環させるしかないのです。

万物の根源である雨水は土から川、海に流れていきます。その水をきれいに使うか、汚すかで私たちの健康が左右されます。地球の汚れた水は簡単には浄化することはできませんが身体に置き換えても同じことが言えますね。
水は決して悪いことはしているわけではなく、それどころか、命を繋げる大切なものです。
水に支配されることから抜けて、水をどう活かすか、汚れを清めたり、冷やしたり温めたり、本質を生かして循環させていきたいですね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?