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水曜日の本棚#7 遠い太鼓が、聞こえてきたら

遠い太鼓に誘われて
私は長い旅に出た
古い外套に身を包み
すべてを後に残して
(トルコの古い唄)

旅に出るのと同じくらい、いや、もしかしたらそれ以上に、旅について書かれたエッセイが好きだ。「遠い太鼓」は、そんな数々の旅エッセイのなかでもたぶんいちばん好きで、村上春樹のエッセイのなかでは「職業としての小説家」と同じくらい好き。実は彼の小説はほとんど読んだことがない−ほとんど、というのは、何冊かは読んだことがあるから。毎回、今度こそはと思って読むけれど、だいたい「うーん、やっぱ、無理」となってしまう。あの独特の世界観がわたしには合わないみたい。ローティーンで「ノルウェイの森」を読んだのが何となくトラウマになってる−けれど、エッセイは別。安心して作者の世界に入っていって、その世界を一緒に楽しめる。

「遠い太鼓」は彼が37歳から40歳の3年間をヨーロッパ−主にギリシア、イタリア−で過ごしたときの記録だ。40歳を境に「精神的な組み換え」が行われてしまうのではないか、それを過ぎると書かなくなる(書けなくなる)種類の小説を書いておきたい、と感じた彼が日本や日本語から離れ、彼曰くの「常駐的旅行者」になった3年間。この間に「ノルウェイの森」や「ダンス・ダンス・ダンス」を書き上げたのだから、彼のその切実な予感は正しかったのだろう。

まぁ、そんなことを置いておいても、このエッセイは'80年代の南ヨーロッパの雰囲気が伝わってきてただただ愉快になれる。ギリシアのスペッツェス島のゾルバ系ギリシア人たち、白ワインを飲み損なったタヴェルナ(食堂)、猫たちの島民性。まだマフィアの影も濃かったシシリア島パレルモのどことなく暗い雰囲気、それでも島内にあるオペラ劇場は人々に愛されていて−何せ隣の席のおじさんがみかんを食べながら主役と一緒にアリアを歌ってる−、新鮮で美味しい魚介類は毎日市場へと水揚げされる。トスカーナ地方の美しい景色とまとめ買いしたくなるワイン。イタリアのTV番組で天気予報をする人たちのめまぐるしいジェスチャーとニュースで映るとつい笑顔を見せてしまう消火現場の消防士たち−。

30年前のことだし、きっとさすがにいろんなことが変わっているだろう。いまではひとりでジョギングしている日本人をわざわざ呼び止めて「何で走っているんだ?」と訝しげに尋ねる人々もいないだろうし、シシリアだってずいぶん安全になったと聞く。

そんなことは、構わないのだ。

そう、ある日突然、僕はどうしても長い旅に出たくなったのだ。 

それは旅に出る理由としては理想的であるように僕には思える。シンプルで、説得力を持っている。そして何事をもジェネラライズしてはいない。

ある朝目が覚めて、ふと耳を澄ませると、何処か遠くから太鼓の音が聞こえてきた。ずっと遠くの場所から、ずっと遠くの時間から、その太鼓の音は響いてきた。とても微かに。そしてその音を聞いているうちに、僕はどうしても長い旅に出たくなったのだ。

 村上春樹「遠い太鼓」より 

この一節を読んでそわそわしてきたひと、そろそろ旅に出るときかもしれません。


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