母が毎朝わたしにさせていたある練習
うちの両親は特別子どもを厳しくしつけたりコントロールしたがるタイプではなかったが、「朝ごはんを食べる」ということになぜか尋常ならざらぬ情熱を持っていて、わたしは「遅刻してもいいから、朝ごはんを食べてから(幼稚園なり学校なりに)行きなさい」と言われて育った。
実際、寝坊して「もう朝ごはんいらない!」と焦って登校しようとしても、両親プラス祖母に寄ってたかって止められ、泣きそうになりながらお味噌汁をかっこんだ記憶もあるから、彼らは本気で「遅刻しないことより、朝ごはんが大事」と思っていたのだろう。
「今日はパンとごはんどっちがいい?」
そんな会話から始まる朝がわたしにとっての朝であり、そこに何か親の希望や思惑が隠されていたとは想像だにしなかった。
☆☆☆
「おばあちゃんには、『何で子どもにパンとごはんどっちがいいなんて聞くんだ。これを食べなさい、って与えておけばいいんだ』って言われたんだけどね」
2-3年前だったろうか、母との会話で朝ごはんが話題になったときのこと。彼女はそんなことを語り出した。
「でもお母さんは、お姉ちゃんや美香に自分で何かを選べるひとになって欲しかったの。だから小さなときから、毎日自分で何を食べるか選ばせたかった」
そうなのだ。自分にとっては当たり前すぎて気づいてもいなかったのだが、わたしは毎朝「パンとごはんどっちがいい?」と聞かれながら育った。記憶にないくらい小さな頃から。
–あれは、自分で選ぶ練習をさせていたのか。
パン、とたとえ言ったとしてもお味噌汁は必ずついてきたので(なので長らく、パンと味噌汁は普通に一緒に食べるものだと思っていた)、おかずまでパンとご飯できっちりと分けていたわけではなかろう。
けれど、いつも姉やわたしがどちらを食べたいと言っても大丈夫なよう食卓を整えていた母の毎日の労力とそこに込められた願いを思うと感謝を通り越して畏敬の念しかない。
毎朝毎朝、わたしが18歳で家を出るその日まで欠かす事のなかった朝の一コマ。
そのおかげなのかどうなのか定かではないが、わたしは「自分で選ぶ」人間になった。一般的にはこうだよね、だけど本当にそれでいいの?わたしはどうしたいの?と、自分に問いかけながら選びながら、いまも毎日を生きている。
Thank you mom, you'll never know how much I love you.
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