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婚活と「幸せになる勇気」がリンクしたって話

「愛」っていうとなんだかくさい。

「素晴らしい言葉」であると知識としては知っているのだけれど、やっぱり自分の言葉に思えないからか、使うのを少しためらってしまう。

でも、「愛」という言葉を使わないと、このテーマについてはお話しできないので、今日は小恥ずかしいけれど使ってみようと思う。

愛することが人生の課題と知りホッとした話

つい先日「幸せになる勇気」を読んだ。同著ベストセラーの「嫌われる勇気」の続編だ。ご存知の方も多いだろう。

未婚の私が言うのもなんだが(笑)、「幸せになる勇気」は是非私のように婚活中の方に男女問わずお勧めしたい。

今日は、私の過去の恋愛と今の婚活事情を少々交えて、「幸せになる勇気」を読んで得たヒントをご紹介したいと思う。

【私から見た「幸せになる勇気」の要約】
アドラー心理学の前提は「人の悩みは総じて『人間関係』によるもの」ということ。この世に自分しかいなければ、悩みという概念も生まれない。
人がいるからこそ悩みがあり、また、同じように喜びもある。
私たちは、昔からすべての人に内在している共同体感覚(協力関係)の中に生きている。それ故に、「人生のタスク」は対人関係にある。
その中の今回のトピックが「愛」だ。
人を信じ、自分を信じ、目の前の人と仲間になる。人を愛し、自分を愛し、一緒に幸せになる。愛することは人生の課題であり、決断であり、自立である。
そして「私たちの幸せ」に向かって自ら能動的に他者を愛することは、とても勇気が伴うもの。よって愛することは勇気が必要であり、幸せになる勇気が必要なのだ。

この本を読んだきっかけ

前作「嫌われる勇気」は、ちょうど看護師を退職した当時、様々な悩みがあり同期の友人から勧められて読んだのがきっかけだった。

その後、続編が出たのは知っていたが、「幸せになる勇気」というタイトルに全く惹かれなかった。なぜなら、ちょうどうつ病と拒食になっていた時期で、幸せという定義も考えようとしなかったし、自分が幸せになれるイメージがつかない、そんな将来の不安もあったため、「自分には不要なモノ」と一歩引いてしまっていたのだ。

あれから数年・・・今の職場の上司と、ひょんなことからアドラーの話になった。上司は「嫌われる勇気」と「幸せになる勇気」を読んでいて、「幸せになる勇気」の方が面白かったと教えてくれたのだ。

それで、今回だいぶ流行に乗り遅れながらも、読んでみた💡という経緯になる。

一番の驚きは、今まさに婚活中に色々と考えていた矢先、かなり内容が刺さったのだ。

「愛するって難しい」と思った過去

愛について真剣に考えたのは、以前お付き合いしていた方と出会ってからだ。特に「結婚」とかそういうワードが自分の中で現実味を帯びてきた時に最初に考え始めたと思う。

お別れの原因は、彼への不満の消化が自分の中でうまくできなかったことだ。自分が彼を尊敬できなくなってしまったこと。これは彼が悪いとかの話ではなく、私自身の問題だった。

不満という種が少しずつ芽生え始めたとき、私はその嫌な感情をどう処理したらいいのか迷っていた。直接伝える?直してもらう?我慢する?嫌なところも受け入れる?試行錯誤してみたが、イライラは募るばかりだった。

ある日、自分だけ彼に不満を伝えるのは申し訳ないと思って、彼に「何か不満はないか?」と聞いたところ、彼は「特に何もない」と答えた。
自分が未熟と認識している私にとっては、彼の言葉は全く信用できず、素直に喜ぶこともできなかった。

また、とある日。お付き合いしてから3年ほど経ったころ、彼と恋と愛の話になったことがある。なんでこんな話になったかは覚えていない・・・
だが、その時、彼が言った言葉を今でも覚えている。
「好きだけど、もう恋愛の意味じゃなくて、愛情に変わっているんじゃないかな」
その時私は、彼がそう感じていることに対し尊敬したのと同時に、「愛情があるなら、なんで●●を直してくれないんだろう?私が嫌だと感じることを続けるんだろう?」というモヤモヤが残った。

私はそんなことを思う自分が嫌だったし、どうしたらイライラポイントを含めて彼を愛することができるか、躍起になって考え続けた。
その結果、今のままだと自分のことも彼のことも嫌いになってしまい、結婚を考えて良い関係性が築くことが難しいと考え、4年お付き合いした彼とお別れしたのだ。

交際中も、別れた後も彼は私のことを大事にしてくれていたと思っていたが、それは的確な表現ではなかった。
「幸せになる勇気」を読んで、私は、彼が能動的に「私を信用してくれていた」のだと知った。そして残念ながら、その信用を素直に受け取って返すことができなかったし、自分から先に彼を信用する勇気がなかったのだ。

ただ、私にとっては、「幸せな別れ」であった。
4年も一緒だったため、情もあるし、まるでプチ離婚みたいな喪失感もあったが、いずれにしても「感謝の別れ」だった。
相手のその時の気持ちを推し量ることはできないが、お互いがお互いの幸せを願って別れることができたと思うし、お互いイイ年だったが、何より4年という年月を一切無駄とは思わなかった。

なぜなら、自分の中で、人生で大切なライフイベントである「結婚」や「愛」そして自分自身について、深く考えるきっかけになった出会いと別れだったからだ。

そもそも、私って人を愛せる人間なのだろうか?と思った今

彼と別れて、私はすぐに婚活を始めた。職場恋愛をする気は全くなく、年齢的にもミソジ近い。出会いの場が必要であったのと同時に、婚活で様々な男性と出会うことで、一つの自己分析の機会にしたのだ。

彼とお別れするまでで、私はたくさんの自分自身の課題を見つけた。

婚活を始めてすぐに思ったのは、「結婚ってどうやってするんだろう?」ということだった。彼と結婚するかどうか悩んでいた時も思っていたのだが、4年付き合った人と別れ、アラサーの婚活フィールドというステージに自ら飛び込んでいったはいいが、「結局、私ってどんな人と結婚したいんだろう?」という疑問だった。
色んな男性と出会ってみて、素敵と思った人でも、何回かあってみると、「嫌なところ」に焦点が当たり、それが結婚したら50年も続くと思うと、考えすぎて敬遠してしまう。そんなことを繰り返すうち、次に考えたのが、

私って人を愛せるのだろうか?」ということだった。

つまり、自分が人を愛することを、一生知らないまま生きていくしかないんじゃないか、という不安に、ぶち当たったのである。

「幸せになる勇気」から得たヒント

そんな時に不安が出てきた矢先、出会ったのが「幸せになる勇気」だ。

愛とは「ふたりで成し遂げる課題である」。しかしわれわれは、それを成し遂げるための「技術」を学んでいない。
アドラーは「運命の人」を一切認めていない。

どんな出会い方で、どんな未来のパートナーがいるかはまだわからない。結婚できるかどうかもわからない。

でも、出会った人を尊敬し、信用し、その人の興味のあることに関心を寄せる、そういった自分から何かを行動を起こす勇気が必要であったというこだ。

アドラーは誰かを愛することは、「決意」であり「決断」であり、「約束」であると言っている。

そしてアドラー心理学が焦点に充てているのは「過去の原因」ではなく、「これからどうするか?」という未来志向に基づく。

何より大きな気づきは、「私の幸せ」ではなく、「私たちの幸せ」を考えるということ。これまで、主語が違ったのだ。求めるべきモノは「私たち」の中にある。

私たちの幸せが何かは、私にはまだよくわからない。
幸せというものをこれから見つけて、考えて探していけばいい。
そんな前向きな気持ちで、引き続き婚活を楽しんでいきたいと思った本との出会いだった。

私が愛を知るのはまだ先だ。それでいいのだ。

noteの冒頭で、「愛」という言葉を使うことに対し、私は「やっぱり自分の言葉に思えないからか、使うのを少しためらってしまう。」と書いた。

つまり、それが今の正直な私の姿なのだ。

愛について書かれる小説・映画・漫画・アニメは山ほどある。むしろ大半は作品に色々な形の「愛」のテーマが隠れている。その「愛」を見て、私たちは泣いたり、笑ったり、感動したり、学んだりする。

そして、愛の指南書みたいな、自己啓発本的なものも多い。ただ、文字だけ追えば一見簡単そうに思えても、それを読んだからって、本当の意味でなにかが一気にクリアになることは難しいだろう。
愛することを継続することも難しいのだ。

「幸せになる勇気」の中に、もう一つ「宗教と哲学」に関しても書かれていて、「哲学とは永遠に歩き続けるものです」とある。

そして、最後の章で、青年と哲学者は、実はこの本のアドラー心理学に対して、万民に対する答えを出していない。青年は「全く未来が見えない!」と清々しい気持ちで哲学者に伝え、答えは自らの手で導き出すもの、と締めくくっている。

自分が思っていた疑問や不安に対し、答えを導き出さないと結婚できないと思っていたものが、実は死ぬその時までに取り組む「人生の課題」であったことを知って、ホッとした。そして、なんだかこれからの出会いに対して、とても楽しみになった。

右も左もわからないが、何かを「愛する勇気」を持って、日々新しい発見をカバンに詰めながら歩いて行こう。

私が本当に「愛する」ことを知るのは、きっとまだ先だ。

それでいいのだ。

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