存在しなかったことにした毛深い自分
こんにちは!劣等感博士 mikaです。
私は、「ネガティブを味方につけて楽に生きる」を世の中に広めるカウンセラーです。
なのでネガティブはお料理で言えば材料だし、どう扱うかはみんなそれぞれ違います。今まで見ないように、感じないように、できれば早く忘れたいと封じ込めてきたものが、実はお宝だったりする。
ただ単にネガティブな感情って、何かを伝えるサインなだけなんだけど、これを知らないんですよね。だから「酒飲んで忘れよう」とか「気晴らしに行って…」とかやっちゃう。これってただ生き埋めにしただけなんです。
せっせと埋めた感情たちが時間をおいて出てくるんですよ、これが。
私が心の勉強を始めて、かなり強く感じたもののひとつに「劣等感」があります。物心ついた時から劣等感は感じていました。
「私にはお父さんがいない」「周りの子と違う」「何か欠けてる」みたいな。そして極めつけは「毛深い」です。
ただ、私は20代後半~全身脱毛をしてしまったので、世界が変わりました。
でも心の勉強をして、「毛深い自分を否定して、無かったことにした」ということに気づいたんです。毛深い自分と向き合ってない。
これ、生き埋めや。
だから向き合ってみようと思います。
小学校の頃から見た目の劣等感がハンパなかった。
何で私はこんなに毛深いんだろう!醜いし、見ていたくないし、消えたい、生まれ変わってやり直したい…。いわゆる存在が恥ずかしい。恥のレベルにいたわけです。それでも好きな子ができたりもするから、もー、苦しい。
常に自分が恥ずかしいし、毛を剃った次の日は少し堂々としてられるんだけど、また生えてくるから元の木阿弥。
「女子なのに毛深い」
もちろん「毛深くたっていいじゃない!」とか「気にすんな」とか言うこともできるでしょうが、本人にとっては致命的な問題でした。
だから常に比べていました、毛深くない子と。そして毛深い子がいれば、安心したりして…。
こんな風に毎日劣等感と二人三脚してましたわ。
劣等感といっても色々ありますが私の劣等感は「見た目」に関する事がメインです。比べることで、きれいだ、醜い、可愛い、ブス、鼻の形ダメーとかジャッジする。「あの子に比べて私はなんて劣ってるんだろう!ここも、ここも…」って自分の粗さがしばかり。
今でもあの頃の感覚を思い出すと辛いです。毎日が苦しかったなぁと。
そして今、あの頃の自分を亡き者として葬らずに、初めてアウトプットして生き返らせています。
「あの劣等感、何のためにあったんだろう?」
これがネガティブを味方につける魔法の言葉。答えはすぐには出ないかもですがここで深ぼって見つけていこうっと。
猫さんたちを見ていると羨ましくなります。
堂々と素の自分で生きてるからね。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?