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心の記憶

赤ちゃんたちは、
視力がまだほぼ無いにもかかわらず、

養育者の表情を真似る
「舌出し模倣」といわれる現象を
見せるのだと、教わった。


でも、どうやって??


視覚ではなく、
何に反応しているのかは、
未知らしい…。


それでもそれは、人間に生まれつき、
共感や共鳴する力が備わっていることを
教えてくれているように思った。


自分の声というのも、録音してみると、
自分が思っている印象とは全然違って、
驚くこともある。


私、こんな声じゃないよ…って。


でも、自分以外の誰かの声は、
その通りに聞こえてくるのだから、
これが真実なんだろう…。


鏡に映る顔も、
写真とは微妙に違う。


前髪の分け目も、反対に映る。



時々思う。
あなたは…誰ですか?



私は私に、会った事がない。



「自分」というのは、
言い換えれば、

唯一、客観的に出会えない存在。


私は私が居る世界を、
客観的に見たことが無い。


けれど楽器の響きは、
生まれた瞬間に耳に届く…。


これもまた、
「客観的」に聴くことは
なかなか難しいけれど…。



それでも、対話しているような
気持ちになる。



ピアノを弾けなかった時間、
どんなに稚拙な録音でも、

自分の響きにだけ反応する
身体の記憶が確かにあるのを感じた。


呼び醒まされる、眠る記憶。



書き換えられてしまった脳神経回路を、
少しずつ取り戻せて来たのには、



音の記憶の力も、
関係しているのかもしれない?


…もちろん真実は、わからない。


でも、記憶喪失になっても、
歌によって過去が甦る事例は、
確かにあるのだから…。


「心」というのは、
どこにあるのだろう?



頭の記憶だけでもなく、
手の記憶、腕の記憶、脚の記憶…??

記憶は身体中に保管されてて、
その連動によって

「私」が成り立っているのではないかと、
動き始めた身体とともに、

今はちょっぴり、新しく思う。





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