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哲学者として生きる


「人生とは、○○である」
「人は○○する生き物だ」

とか、大大大好物。


哲学の世界が好きで
古典とか読むのが楽しくて

紀元前ギリシャを出発点に、西洋も東洋も
言葉としてのいろんな表現で
自然や真理や存在や流れや軸や思考や心理や社会のシステムを
知識として得ていく楽しさよ…

現代の課題も、いろんな解釈も、
これからの未来の向き合いかたも、
古典から受け継いで、突破して再構築して、
という積み上げた思考の流れを汲んでいるのも。

かつては全ての学問の祖で、
あらゆる学問はそこからの分家だということも。


哲学をするということは、
実はシンギュラリティを迎えたときに
AIに負けない、いや、それは難しいとして
匹敵して肩を並べるための要素なのでは。
人ひとりの人生で経験できる尺は限られているけど。

哲学を知識として得ることと、
そして、思考力として持ち合わせること。


自由意志もパラドックスも
言葉としての結局どっちなんだい!
と頭悩ませるのもおもしろくて。


思考していくルーツは
たぶん、根底は幸福とか心地よさで

どれだけ追求しても尽きなくて
いろんなパターンもあったり
変わっていったりもあったりで


普遍じゃない良さと
揺るぎない個人的な信念と
人間らしい不一致とかも

なんだか包容力満載の、哲学。



自分にとって
まるっと『よいもの』で『必要なもの』って感じる。

その世界に触れていることが自分らしさの一部。


漠然と「哲学してたい(?)なー」と思っていたのだけど、
哲学する、ってなんなのか


前フリが長引きましたがこちらのまとめ


哲学とは。


いち学問ではなく、あらゆるところに哲学はあって
(○○哲学、とか、彼の哲学とか)

哲学とは?というそのものを考えるならば
その本質は「問い」を立てるそのものだと。


これ自体が哲学。

自分にとっての○○とは、
ここに存在する○○とは、
そもそもなぜ○○?


だから、

哲学者とは
問いを立てながら生きる人
定義を考えつづける人

ある意味で永遠にゴールしない人


そういう、哲学をしてたい。
哲学者でありたい。


思考はもちろん個人的な作業なんだけど、
たまにそれを人と話すのもよき。


「対話」の力はすごくて、
一人では行けない新しいところへたどり着ける

似たような思考展開で
話せるってすごくたのしい。



・・・



野望として、人生の目標のひとつは


“「定義集」をつくること”


自分が解釈した、「○○とは○○である」を
並べて眺めたい…たのしすぎる

人それぞれに答えがあるものだったり
時の流れで変化もあるものだけど

私にとっての○○を言葉に書き留めて
個人的な世界を形取りたい
私の世界はきっと私だけのものでいい

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